第8話 拾われた者 拾ったもの
どういうわけだろうか?
ラッツが会いたがっていた男は、洋館の外で自分を出迎えていた。
「随分とボロボロな姿だな。最初に出逢ったころのようだ」
「まあな。それよりアンタこそ、どうしてここに居るんだ?」
そう言って、ラッツは男に詰め寄るようにして顔を近づける。その瞳には怒りの色が見えた。
「お前の目的はいったい何だったんだ――なぁ、ガレス長官?」
その言葉に男は無表情のままで何も答えない。代わりに懐から何かを取り出すと、それをラッツに向かって放り投げた。
辛うじて左手でキャッチしたそれは、小さな百合の絵が彫られた、金属製のプレートだった。
――ドッグタグだ。それもラッツにとって、非常に見覚えがあるもの。
「どうしてアンタがこれを……」
朦朧とする頭でも脳裏に鮮明に浮かぶのは、自分がかつて愛した女の顔。
彼女の名はリリーニャ。自分と同じ時期に組織へ入り、年頃も近かった。珍しい黒髪で小柄な体格だが、体術に秀でたアルファ隊員だった。いつも明るく気さくで、人付き合いの苦手なラッツとは対照的で――。
そんな二人の出会いは最悪だった。
下される命令を厳守し、ただ遂行するだけのラッツ。そんな彼とは違い、彼女は不服があれば命令違反を繰り返してばかりいる問題児だったからだ。
厄介なことに、彼女より権力のある者でさえ止められないのだから、余計に
しかし不思議なもので、そんなリリーニャと行動を共にしていると、なぜか素の自分でいられた。そしていつしか、自然と彼女を目で追うようになっていた。
今まで抱いたこともない感情の正体に気づいたとき、ラッツは
同時に、絶対に報われることはないということも理解していた。組織の人間に恋愛はご法度。それは絶対に
「私は英雄にはなれないわ。国とか民とか、そんな大きなものを守れるほどの力なんて持ってないもの。ただ――目の前で困っている人には、手を貸してあげたいの」
リリーニャが組織に入った理由。それは、ある男がきっかけだという。
唯一の家族だった母を
どうやらその彼は国中の孤児院を回っていたそうで、行き場のない子供のために支援をしているそうだ。そんな彼をリリーニャは父親のように慕い、そして憧れた。
影響を受けた彼女は、自ら望んで父の所属する組織に入隊することを決意したそうだ。
結局最後まで、その男の名を明かすことはなかったが――。
「でもね、本当は怖いの……。母さんのときみたいに、また大切な人を喪うんじゃないかって……だから、せめて自分の手が届く範囲の人は守りたいの。もちろん、貴方もよ?」
そう言って微笑む彼女に、ラッツは心を動かされた。この笑顔をずっと見ていたいと思った。
組織の人間に墓標は作られない。代わりに自身を象徴するドックタグを共に作り、任務中でも身に着けた。なにか形になるものが残ればそれが唯一、自分たちが生きた証になるような気がしたから。
内心でラッツは、リリーニャのために強くなると決めた。たとえどんな犠牲を払っても、必ず守り抜くと心に誓ったのだ。それなのに――。
彼女はラッツの目の前で命を落とした。
共に遂行していた任務中。ミスをした他の仲間を庇い、呆気なく死んだ。理由はソウルドライヴ武装の、単純な整備不良だった。
ラッツの行き場のない怒りは、その場に居合わせた敵へと向けられた。激しい憎悪と共に放たれた弾により、敵は跡形も無く消し飛んだ。
それでも彼の心は満たされなかった。むしろ
「もうこれ以上、誰も死なせたくない」
常に準備を
そして何より、自分が弱くなることを恐れていたからだった。弱い人間は、敵を殺せない。ただ味方を殺すのだ。
――それから数年の時が流れ、彼は組織内最強の部隊長となった。
誰もが彼の偉業を褒めたが、当人であるラッツは影のある顔でこう答えた。
「目の前の奴すら守れねぇ強さなんか、ただ
◇
ガレスは懐に手を入れると、そこから取り出した物を無言でラッツに差し出した。それは彼がよく吸っていた銘柄と同じ煙草。ソウルドライヴ製ではない、本物の嗜好品だった。
「……ありがとうな」
ラッツは礼を言って受け取ると、すぐに火を点けて紫煙を吸い込む。途端に
そのまま吸い殻を地面に落とし、足で踏みつける。やがて完全に火が消えるまで見届けると、ゆっくりと顔を上げた。
「……なぁ、教えてくれよ。アンタはどんな気持ちで、自分の娘を死ぬ危険性の高い兵士に仕立て上げたんだ?」
目の前には、相変わらず無表情のままの男の姿があるだけだった。
ガレスはラッツと同じく煙草の吸殻を地面に捨てると、ようやく口を開いた。
「すべては私の復讐だよ。真実を伝えずにお前を利用したことは謝罪しよう。しかし、おかげで私の計画も順調に進んでいる。後は仕上げだけだ」
「……どういうことだ?」
ラッツの言葉に、男は不気味な笑みを浮かべるだけ。
それどころか、
「『ソウルドライヴ』はすべてを壊してしまった。私が愛した妻や、彼女の忘れ形見まで――」
「待て、まさかリリーニャは本当に血のつながった娘だったのか!?」
「そうだ! 貴様なら、大事な者を奪われた私の怒りが分かるだろう! どれもこれも、王族や上層部のくだらん私利私欲のせいで!」
その言葉を聞き、ラッツはガレスが見ている視線の先に目を向けた。そこにはソウルドライヴによる光源で輝く、王城の姿があった。そして同時に理解する。この男は、その光を全て消し去ろうとしているのだと。
「まさか、この国そのものを終わらせる気なのか……?」
「組織が溜め込んだソウルドライヴを転用し、大規模破壊を可能とする爆薬を用意した。ソウルドライヴの危険性が知られれば、国民も黙っちゃいないだろう」
「そのために反体制派すらも利用したと?」
「そうだ。ちなみにリーダーのイーサンなら元部下だ。ミュー部隊という、私の直属のな」
まさかの展開に、ラッツは口を大きく開けたまま息をのんだ。
彼の口ぶりから察するに、反体制派の者たちさえも、彼の手の平で転がされていたということだ。
「どうして、そこまで――」
言っている理屈は分かる。だが果たして愛というものは、ここまで人を突き動かすほどのものなのだろうか。
そうしなかった自分と彼の違いは、いったい何だったのだろう。
ともかく、このまま放っておくわけにはいかない。このままでは間違いなく、無関係な人々が大勢死ぬことになる。
「待てよジジイ! そんなこと絶対にさせねぇぞ!」
グランタから奪っておいたナイフを左手に握ると、ふらつきながらも歩き出した。
一歩ずつ進むたびに激痛が走るが、それでも歯を食いしばって耐える。
今はただ、あの男を止めることだけを考えろ――そう自分に言い聞かせながら、必死に足を動かすのだった。
「ほう……そんな状態で私に勝てるとでも思っているのか?」
歩みを止めた男が、振り返ってこちらに目を向ける。その瞳は赤く輝き、全身からどす黒いオーラのようなものが漂っていた。明らかに普通じゃない。とはいえ、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「当たり前だ。俺は、リリーニャに誓ったんだからな……」
震える手で剣を握り締め、構えを取る。
――次の瞬間。ガレスの姿が消えたかと思うと、いつの間にか背後に回っていた彼に首を掴まれていた。
咄嗟に振りほどこうとするがビクともしない。まるで万力にでも締め付けられているかのようだった。
「ぐッ……!」
「お前は私と同じ、ただの薄汚れたドブネズミだ。孤児院でお前の姿を見たときから直感したよ」
「だから……使えると判断したのか……!」
「良い理解者になれると思ったんだが、残念だ」
首を絞められながらも、なんとか視線だけを上に向ける。そこには今まで見たこともないような歪んだ男の顔があった。
その表情を見た瞬間、ラッツの中で怒り以外の感情が湧いた。それはきっと、男に対する憐れみだったのかもしれない。
「お前だって……昔はただ、誰かを守りたかったんだろ? 本当は誰よりも――」
そこまで言いかけたところで、不意に手を離される。思わず咳き込みながら膝をつくと、今度は頭を鷲掴みにされて持ち上げられた。
そのまま徐々に力を込められていき、頭蓋骨の
「黙れ……私にはもう何も残されていないんだ……だから、もう……」
ラッツが横目で見えたのは、涙を流しながら自分を見下ろす男の悲しげな顔だった。
(ああ、やっぱりそうか……)
薄れゆく意識の中、彼は心の中で呟く。
(俺はガレスとは違う……)
愛する人を失ったことで心が壊れてしまったのは同じ。だがラッツはリリーニャの“誰かを想いやる心”を受け継いでいた。
こうして大勢の命を奪うおうとしている男とは違う。それが分かっただけでも十分だった。
ゆっくりと左手を持ち上げる。その手に握られているのは、リリーニャの形見であるドックタグ。それをポーチに詰まったソウル煙草のエネルギー部位に押し込んだ。
(なあ、リリーニャ。お前ならきっと、俺と同じ選択をしただろう?)
脳裏に浮かぶのは、彼女と過ごした日々の記憶。楽しかったことも辛かったことも全てが鮮明に蘇ってくる。
最後に浮かんだのは、彼女の笑顔だった。応えるように自身も笑みを浮かべながら。
(俺ももうすぐそっちに行くからさ、向こうでまた会おうぜ――だから今は、今だけは力を貸してくれ)
瞬間、左手に握りしめられたドッグタグが眩い光を放ち始めた。
「貴様、なにを――」
「すまない。俺はアンタのこと……」
あまりの眩しさに目を開けていられなくなる。ソウルドライヴを利用して、高エネルギーを発する。効果は一瞬だが、理屈はソウルナイフと同じ。
虹色に輝くドッグタグをガレスの首に突き立てた。
「――グフッ」
短い
ドサリと音を立てて地面に落ちると、それきり動かなくなった。どうやら完全に事切れたようだ。
「これで本当に終わりだな……」
ラッツの方も力尽き、その場に倒れ込んだ。遠くから誰かが駆け寄ってくる音が聞こえる気もするが、もはや指一本動かせない。
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