第8話


 ――みんな、色んな理由があって手芸をしている。


 サチは、死んでしまった夫との時間を大切にするため、桜の刺繍をしている。

 アッキーはアクセサリーを作ることが趣味以外に、お仕事という実益も含めて。

 でもみんな、最終的な理由は手芸が好きだからだ。ユウもそうだ。編み物をする人が増えることが嬉しいと何度も公言するくらいに。


 けれど二葉はどうだろう。二葉は、死んだ父のことを知りたくて編み物を始めた。そのことに罪悪感がないというと嘘になる。生きているときは知らないと顔をそむけていたくせに、今になって楽しいと思うことが自分自身許せない。

 だから楽しいとユウに伝えたが、それは一人でいることが楽しいだけなのか、それとも本当に編み物が楽しいのか、自分にだってわからない。


「佳苗さん、ちょっと待ちや! なんで一人で帰んねん」

「ユウさんいいえ水城さん、どうぞ追いかけてこないでください! 私は家に帰りますので!」

「いや僕も帰るんやけど。ほんまなんやの?」


 まさかユウが付き合っている彼女のことを気にしてダッシュで帰ろうとした……なんてことは言えない。一方的にこっちが気にしているだけなんて恥ずかしすぎる、という感情も二葉にもある。


「実はすごく急いでまして……すみませんけど、もうちょっと離れていただけますか?」

「いやだから目的地は同じなんやけど……?」


 結局、二葉がする早歩きに、ちょっと遅れてユウがついてくる形になってしまった。

「夜道で一人は危ないでー。はあ、さむっ」と背後で話す声を聞いて、もこもこなのに絶対にぶるぶる震えているんだろうな、という姿が目に浮かぶ。


「最初はそのまま放ってくれてたじゃないですか……」

「家がアパートが同じとなると話は別やんか。っていうか、さすがの僕でも住所も知らん人を送る勇気はないわ。怖いやん。僕がっていうより、そっちがやで? 仲良くもない同僚に家なんて知られたないやろ」

「たしかにそうですけど……」


 そもそも彼は、とても優しい人なんだろう。


(そうじゃないと、賄賂を渡すからとまで言ってまで、わざわざ呼び出して、様子を窺おうとしないよね)


 帰ってしまった二葉を心配して、屋上前の階段で話したときのことだ。【自由時間】のことを黙っていてほしいと願ったのも本当のことだろうが、それよりもいきなり帰ってしまった二葉のことを気にしていたに違いない。


 結局、今もユウの善意なのだろうと思うと突っぱねる気持ちも小さくなってくる。でもそれとこれとはやっぱり別だ。他人のように、一メートルくらいあけて歩きながら、周囲には気をつけてほんのちょっとだけ大きな声を出すという不思議な距離で会話を続けた。

 会話をする度に、黒い夜の中で、真っ白い息がふわりと浮かんだ。


「それで、あみぐるみは完成したんか?」

「……痛いところをつかれました。パーツは全部出来上がったんですけど……」

「別に急ぐもんちゃうから、ゆっくりでええんちゃう?」

「そうじゃなくて、ちょっと怖くて」

「怖いってなんで?」

「だって、あみぐるみって、ぬいぐるみみたいにパーツごとに作って、綿を入れて組み立てて……って、するじゃないですか」

「せやな」

「でもくっつけたら、もう取り返しがつかないじゃないですか! ちょっとつけるパーツがずれたら、変な顔になっちゃいますし!」


 一応、これでも何度も組み立てようと試みてみたのだ。ためしに手でくっつけてみても、何か違うような気がする。どうしても変な出来栄えになる予感しかない。

 ようは自信がないのだ。作らなければ、一生失敗しなくてもいいのに、とまで考えてしまう。


「そうなん? 僕はできたー! と思ったらさっさと作り上げたくて仕方ないけどなあ。作らへんと結果はなんにもわからへんやん」


 あまりにも二葉と真反対の意見だ。作らないなら失敗しないという二葉と、作らなければ結果はわからないと言うユウ。どっちが正しいなんてわからないが、少なくとも自分の方がずっとつまらないことを言っていた。


「……なるほど」


 ぴたり、と二葉は止まった。「うわ。いきなり止まると危ないで」と後ろから文句の声が聞こえたけれど、そのまま空を見上げた。

 暗いばかりと思っていた空はよく見ると微かな星が瞬いている。星屑のように小さく、すぐに消え去ってしまうような、本当に微かな光だった。はあ、と吐き出す息が、また白く染まっていく。きしきしと骨の奥まで響くような寒さを感じたが、静かな空気は、どんどん思考を澄み渡らせた。


「作ってみます。ちゃんと、最後まで」


 ぱちぱちと空の上で光の粒がこぼれてくるようだ。


「ええやん。出来上がったら見せてな」

「はい。頑張ってみます。来週まで待つのは……なんだか嫌なので、家で、作ってみたいなと」

「えっ。わかるんか? 買った本も間違っとったんやろ」

「い、痛いところを思い出させないでください……ユ……水城さんを見ていたので、多分。大丈夫です」


 二葉がやっと全部パーツを作り終えた隣では、あみぐるみ王国を作り続けている男がいたのだ。それだけ見ていればさすがにわかる……と、言いたいところだが、自信がない。

 でも、やってみなければわからない。


「でも佳苗さん、とじ針持っとった? エコたわしの糸始末は僕がしたし、持ってへんのやない?」

「い、いとしまつ!?」

「なんやねん初耳みたいに……編み物の最後のしっぽみたいに出る糸を、見えないように始末することや。あみぐるみはパーツをくっつけるのにも使うから、とじ針がないと話にならへんで」

「手芸店で中に詰める綿は買ったんですが、まだ必要なものがあったんですね……!? てっきり、それは普通の手芸用の針でいいのかと……! あっ、でも穴に毛糸が通れば大丈夫そうな……?」


 家にある手芸箱の中身を思い返してあわあわしていると、いつの間にかユウと二葉はお互いに向き合う形で立ち止まっていたので、どきりとした。ユウはマフラーを指先でひっぱり真っ赤な鼻を覗かせ、呆れたように眉をひそめて二葉を見下ろしていた。


 それから手袋を片方脱いで鞄の中に手を入れ、「ほれ」と不機嫌な声を出す。しばらく反応が遅れてしまったが、慌てて両手を合わせて出すと、ぽとり、と小さな袋を置かれた。

 一瞬、ユウの指先が手のひらに触れてぎくりとする。


「手袋くらい、せぇや。真っ赤やんか」

「えっ、は、はい……。あ、いえ、寒いのは、得意なので……」


 多分最後辺りは上手く声が出なかった。両手を見ると、いつもユウが使っていた透明なケースの中に、何本かの針が入っていた。


「あの、これ」

「やるわ。さっさと帰ろうや。ほんま寒くて耐えられへんねん」

「いやいや待ってください。もらえませんよ! 借りるにしても、水城さんが困るじゃないですか!」


 いつの間にか先を進んでいたユウを追いかける形で声をかけた。これじゃあさっきまでとは反対だ。


「僕は予備があるから平気や。それにな、作りたいって思ったときが一番の作りどきやねんで。そういうタイミングを逃すと、中途半端に放置して作れなくなるもんやねん」

「だからって」

「ええか? 佳苗さん。これは僕に編み物を教えてくれた人が言うとったことや。耳かっぽじって聞き。『作りたいときに作りたいものを作る。これが、いっちばん幸せなこと』やねんで! 【自由時間】は自分の時間を大切に、ひいては幸せに、ハッピーになるための場所やねんぞ! それを否定するのは僕は許さんで、素人さんは黙っとき!」

「は、はい……」

「嘘や。さっきのは話の流れや。別に佳苗さんがしたない言うんなら、僕に否定する権利はないに決まっとるやん。でもなー、ほんま中途半端はあかん。おすすめせぇへん。いや、僕もする。するからこそほんまになー、あかんねん。編みかけのまま終わるってのは辛いで。したいタイミングを逃したらめちゃくちゃ心残りやのに、手を入れる勇気がないという、魔の境地に入ってしまうんやよ……」


 切なげな顔といえばいいというか、しょんぼりというか、くしゃくしゃというか……。イケメンはそんな変な顔でも様になるだな、と羨ましくなった。


「なんかもうよくわからなくなってきたけど気持ちは受け取ったので、そのままお借りします……でも、今度手芸店に行ってちゃんと買ってからお返しします……」

「返品不可のつもりやったからお受け取りいただけてほんま良かったわ。あ、でも睡眠時間も大切にしてや。趣味はあくまでも生活を切り取らない範囲でしなあかんよ」


 今度はひどく真面目くさった顔つきである。

 会社では無口、クールの水城と呼ばれているのに、編み物のことになると途端に饒舌になる不思議だ。ここまでくると、ちょっと面白みも感じてくる。マイペースな青年だ。


 そうこうしている間に、アパートにたどり着いた。二人で帰宅するのもこれで何度目になるのだろうか。もう二人きりになるまい、と考えたのにと思い出して、自分自身にがっくりする。

 エントランスを通りポストの確認をしようと二葉は立ち止まったが、ユウはさくさくと進んでく。


「ポスト、見なくてもいいんですか?」


 いつもならそのまま見送るのに思わず尋ねてしまったのは、右手にとじ針のケースを握りしめていたせいかもしれなかった。


「ええねん。家族が確認してくれとると思うし。ほな、また明日」

「はあ、さようなら……」


 絶対見てくれるとは限らないし、一応見といた方がいいんじゃないかな、とくるくるとダイヤルを回しつつ考えた。


(でも家族の中でルールが作られていて、効率的な配分をしているのかもしれないし……。あれ、そういえば)


 ユウと一緒にアパートに帰宅しても、彼はすぐ近くで寄るところがあるからと消えたり、二葉がポストを確認している姿には目も暮れず、今日のようにさくさくと帰って行ったり。ユウと二人で階段を上った記憶は一切ない。


 ――怖いやん。僕がっていうより、そっちがやで? 仲良くもない同僚に家なんて知られたないやろ。


「もしかして、私の部屋番号、見ないようにしてる……?」


 考え過ぎかもしれないが、二葉が怖がるかと思って気遣っているというのは、十分ありえるような気もした。

 思わず勝手に笑ってしまった口元は、実はちょっと呆れているかもしれない。びっくりするほど、人に気遣いばかりの、お人好しの彼に。


 借りたとじ針をコートのポケットに入れて、階段を上った。玄関ドアの鍵を開けて、電気をつける。なんだかおかしいような、むずむずするような、へんてこりんな気分で靴を脱いで、また笑いそうになった口元を押さえて身体を折り曲げた。


(今すぐ、続きを作りたいな……)


 あんなに出来上がることが怖いと言っていたのに、嘘みたいだ。現金だな、と自分自身に呆れてしまう。でも同時に趣味は生活を切り取ってするものじゃない、という言葉も思い出して、その通りだ、とも思う。


(土曜日……ううん、明日。仕事が早く終わったら続きを作ってみよう! がんばろう!)


 したことを我慢している時間も、わくわくして楽しいのだと初めて知った。いつもは夜になるともう仕事だ、と憂鬱になってしまうのに、今は早く明日がきてほしいと願ってしまう。


 今日はもう【自由時間】でご飯を食べたからお腹も膨れているが、明日はこうはならないので、今のうちに明日のご飯も用意して、家に帰ったらさっさと食べることができるようにしよう、と化粧を落として部屋着に着替えた。


「ようし、明日簡単に食べることができるように、ちゃっちゃと支度しとくぞ!」


 これもまた、一人の時間を楽しんでいることになるっていうのかな、とフルワパーで回転していると、壁一つ向こうのお隣でも、同じように小さな物音が聞こえた。


(お隣さんも、明日に向けて充電してるのかな……?)


 もちろん、これはただの妄想だとわかっているけれど。やっぱり、くすりと笑ってしまった。

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