:21 橋の死闘③
狂気への渇望を一身に受けた彼女たちが、鬼神になる、というのはもちろん比喩のつもりだったのだが、あながち間違いでもなかった。
そこからは、もう、ほんとうに鬼が赤子の手をひねるようだった。
俺はその一部始終を、四つん這いになりながらもしかと見届ける。
まず黒い下着姿の鬼神と化した委員長が、背後にいた小太り貴公子の腕をガシッと掴んで、ハンマー投げの要領でブォンと放り投げた。
「ひょ」
そんな音を残して吹っ飛ばされた小太りの男は、隣、白い下着姿のキサラギさんを拘束していたジョニーにぶつかって合体、そのままひと
「ふぐぅ」
ピヨピヨピヨ……と目を白黒させている二人の胸ぐらをそれぞれ片手でむんずと掴んだ鬼神化キサラギさんは、そのまま高い高いをしてあげる。
直後、大人たちによる本域の悲鳴が夜の橋にこだました。
二人は鬼の手から逃れようと懸命に足をばたつかせるが、
と、一番高いところまで持ち上げたと思いきや、そのまま全体重をかけ、二人の後頭部を石の床に叩きつけるべく、一気に振り下ろす。
刹那、ものすごい音が鳴った。思わず顔をしかめてしまうほどの、それは轟音だった。
「くそがっ!」
しかし、さすがは上級プレイヤー貴公子。やり返そうと上体を起こしたところへ、委員長のサッカーボールキックが顔面に直撃。
ドゴンッ、というえげつない音をたてて、貴公子は再び床に叩きつけられる。女のヤクザがいたらこんな感じなんだろう。黒の下着姿の彼女は執拗に、何度も何度も、貴公子の顔面につま先を叩きこむ。
何度も、何度も、何度も――
そのたびに、ズドン、ズドン、という地鳴りにも似た音が俺の胸に響いてくる。
キサラギさんもすぐにそれに参加する。彼女はジョニーに馬乗りになると、まるでブチギレたマウンテンゴリラのごとく両手で彼の顔をドラミングしはじめる。
ドチャ、ドチャという
ようやくこの
「おい! やめろ! 動くな! こっ、こいつがどうなってもいいのか⁉」
ヒタッ、と四つん這いになっていた俺の首筋に刃物が突きつけられる。すまない。足手まといは俺のほうだった。
そんなドグラマグラの声に肩をピクリとさせた二人は、殴る蹴るをやめ、ゆっくりとこちらを振り返った。
彼女らの足元、地面に転がる男性陣はすでにボロ雑巾みたいになっていた。ナムサン。
「そうだ。そのまま、ゆっくりと床に這いつくばれ」
だから無駄だって。
ドグラマグラの命令などなんのその。真っ白な目でこちらを睨みつけてくる鬼神たち。あ、ダメだ。怖い。怖すぎる。
ゆぅらゆぅらと揺れながら、鬼神二人がこちらににじり寄ってくる。
おおっと、これまたすごい迫力だ。鳥肌が立ちっぱなしだ。
「おい、止まれ! くそっ! おい、キミ、なんとか言って止めろ!」
「こうなってしまってはもう、誰も止めることはできない」
と俺はどこかの谷の大ババさまみたいなことを言う。
そのときだった。
ドグラマグラに尻を蹴られ、彼女たちの前にまろび出てしまった。
あ、終わった。
おそるおそる見上げると、鬼神の白き双眸が、無様に這いつくばる俺をじっと捉える。
近くで見る彼女たちは、ほんとうに鬼みたいだった。真っ白な犬歯をむき出しに、形のいい鼻をひくひくさせ、嗅覚を頼りに次の獲物を探していた。
そして、すぐにそれを見つけたようだ。くん、と委員長の鼻が動く。
俺は死を覚悟した。
次の瞬間。
二人は悠然と、俺のすぐそばを通り過ぎていった。
俺は四つん這いのまま慌てて振り返る。
と、二人の鬼神はゆうらりゆうらりドグラマグラへと迫っていく。
「見逃された……のか?」
でも、二人に考える意志はもうないはず……なのに、どうして……。
鬼に迫られたドグラマグラは両手を前に出して説得を試みる。
「ちょっ、待ってって! 話し合おう。ね? あっ、あれだよ、さっきまで僕たちが喋ってたのは、あれ全部ブラフだから。焦ったでしょ? ね?」
そんなペラい言葉が、思考を放棄した鬼神に届くわけもなく。
委員長はドグラマグラの顔面に、そしてキサラギさんは彼のどてっ腹に、それぞれ渾身の拳を叩きこむ。
痛快な音を鳴らして、ドグラマグラは螺旋を描いて飛んだ。
筋力を上げに上げまくった女子による、狂気の一撃。
ずしょ、と地面に半身をめり込ませたドグラマグラは一発KOの証である白目になり、泡を吹いていた。
「助かった……のか……」
いや、まだだ。
二人の鬼神はドグラマグラの気絶を確かめると、緩慢な動きで俺を振り返った。
肩で息をする二人は、もう鬼を通り越して、バケモノだった。
そして
その証拠に、ぺた、ぺた、とこちらに向かって歩を進めてくる。まったく、どこのホラー映画だ。今や恐怖で手汗が凄いことになっていた。
どうする、考えろ。
一か八か、正面からぶつかってみるか。
いや、無理だ。百パー殺される。それも秒で。
くそっ。せめて俺と同じくらいのレベルならワンチャンあっただろうに、今の彼女たちはどこぞのゴリラ――改め、オグリアスの助言で筋力がメスゴリラと化している。
そんなのに掴まれたら一巻の終わりだ。
ん、待てよ。
「オグリアス……?」
そうか、その手があった。
俺はステータスを開くと、古戦場の森で入手していた変身ダケをタップ。
と、紫色をした卑猥な形のキノコが出現する。
「くそ。まさか日に二度もこいつ食うハメになるとは……死にたい……」
いや、死なないためにこいつを食べるのだ。うぅ……それでもつらいものはつらい……。
ナムサン、と口に頬張ると、150日ほど風呂に入っていないお兄さんの足の裏のような芳醇な香りが鼻から抜けた。
「ホヴォオオオ!」
胃の反発を無理やり押し込むようにして
止めどなくあふれる涙を頬に感じながらも、思い浮かべる――スラリとした、モデル体型の、メスゴリラを!
すると、視界が歪み、俺の両手が男のそれから女のそれへと変わっていく。それも、まるで手タレでもできそうなほどすらりと長いキレイな手に。
ってか、胸、重っ! 荒いモザイクのせいで、何がどうなっているのか詳細は不明だが、その重さに思わずバランスを崩してしまう。
と、こちらににじり寄っていた二人の足が嘘みたいにピタリと止まった。
おっ、効いたか⁉
委員長もキサラギさんもあきらかに混乱しているようだ。鼻を虚空へ向け、くんくんと匂いを集めている。無理もない。目の前にいたはずの陰キャが、いきなり大好きなオグリアスに変わったのだ。
「大好きな人は、さすがに殴れないよな?」
ありがたいことに発する声も、オグリアスのハスキーなそれに変わっていた。なので、二人は余計に混乱しているようだ。
慌ただしく鼻をヒクつかせ、さっきまでいたはずの弱っちい陰キャを探していた。
よし、これならいける。
まずは二人の注意をそらすため、大声を出す。
「おい! あいつまだ生きてるみたいだぞ!」
俺の指さしたほうを二人が振り返った。
今だ。
無防備に背中を見せつけるキサラギさんに音もなく近寄ると、素早く首を絞める。
やがて、ぷふっ、と小さく泡を吹いたので、そっと地面に寝かせる。
よし、まずは一人。
立ち上がると、鬼神化した委員長と対峙する。
さて、ここからどうするか。一発でも食らえば、即アウト。
ものすごい緊張感だ。喉が渇きすぎて、唾も出ない。
そうだな……とりあえず、彼女の深層意識に語りかけてみるか。
「さあ、じっとして。またフードを頭にかぶせてやろう」
と、まさかのこれがクリティカル。
あろうことか白目の委員長が、こくり、と殊勝にうなずいたのだ。信じられない。やってみるものだ。
俺はできるだけ彼女を刺激しないよう、ゆっくりと近づく。
よし、いける。
そう思った、次の瞬間。
くん、と委員長の鼻が獲物を捉える。
まずい、匂いでバレたか⁉
俺が憧れの人じゃないと見破ったのか、委員長は予備動作なくクルンと振り返った。その拍子に宙に舞う黒髪。その髪の先端が俺の鼻をふわりかすめていく。あ、いい香り……。
刹那。恐ろしく速い後ろ回し蹴りが俺の顎めがけて飛んでくる。
あぶっ!
俺はそれをのけ反ることで何とか回避。
避けたときの反動と自身の胸の重さを利用して、ローリングで彼女の背後に回り込む。
そして、すかさず委員長を絞め落としにかかる。
ふう、なんとかうまくいったようだ。このまま静かになってくれれ――
ドムッ!
委員長の最後っ屁。渾身のエルボーが俺の脇腹に突き刺さる。
「ごはっ!」
口から鮮血が飛び散った。
尋常じゃないほど痛い!
が、今は我慢だ。いま手を離せば、これ以上の痛みが死ぬまで続くと思え。
耐えろ! ハヤイヲ! ここが最大の試練だ!
しばらく首を絞めていると、委員長が、こぷっ、と可愛らしく泡を吹いたので、そのままゆっくり地面に寝かせてやる。
ふう~~~。
と、俺はとびきりでかいため息をつく。
ともかく、なんとかかんとかピンチは脱せたようだ。
この美少女たちとの一戦、どんなボスより緊張したのは言うまでもない。
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「ここはっ……⁉」
黒装束に身を包んだ委員長が、がばっと上体を起こすと開口一番そう言い放った。キョロキョロと辺りを見回すと、真っ黒な装備と同じ色をしたロングヘア―も左右に揺れる。
「ふぇ……えっ、ここ、どこ?」
その奥で寝ていたキサラギさんもどうやら覚醒したようで、上体を起こし、キョロキョロしはじめる。もちろん、彼女も聖銀の鎧を装備済みだ。彼女たちをここまで運ぶとき、誠に勝手ながら装備させてもらった。でないと、とてもじゃないけど触れることすらできなかったからな。
ともかく、ここがどこだかよくわかっていない彼女たちに現在地を教えてやる。
「橋のたもとにある検問所の中だよ」
「ハヤタ……くん……?」
「あっ、ハヤタだ」
二人が声のしたほう、俺へと焦点を合わせる。
そんな寝ぼけ
が、ここをよく知るプレイヤーたちは皆、検問所と呼んでいた。入り口が二つある上に橋の最終地点にあるから、というのがその理由だ。
まだポヤポヤしている二人のJKに向かって、俺は現状報告をするべく言った。
「委員長とキサラギさん、二人が狂気への渇望を使ってメスゴ――鬼神化して、シャラ―の仲間のドグラマグラたちをフルボッコにしたんだよ。それは覚えてる?」
「そ、そうだったわね。ええ、思い出してきたわ……」
委員長は自身の手の平から俺へと視線を移す。
「それで……彼らは?」
「元気だよ。縄で縛ってあそこに集めてある」
俺の指す親指の先、部屋の隅っこには、縄でぐるぐる巻きにされた男たちが燃えないゴミのようにコンパクトにまとめられていた。
鬼神化JKにしばかれたシメンソカーズの面々は、皆もれなく、顔がパンパンに腫れあがり、今もなお鮮血をボタボタと石の床に落としていた。身体もそうだが、心のほうもバッキバキに折れているらしく、皆どんよりと浮かない顔をしている。おいたわしや。
あの死闘のあと、俺は彼らを縛ると、ここへ運び込んでいた。というのも、橋のたもとに気絶した彼らをほったらかしにしてしまうと、嗅ぎつけた骸骨御庭番衆に八つ裂きにされてしまう恐れがあったからだ。
ゲームとはいえ、
「ということは、うまく窮地を脱せたということね」
「おかげさまで」
ふう、と委員長が安堵の息をついたのも束の間、彼女は俺の頭上のタイマーに目を奪われる。
次いで、慌てて俺へと視線を落とす。その茶色の瞳は焦点が合っていないように見えた。俺という存在ではなく、どこか遠くを見ている、そんな感じだ。
そんな委員長の頭上にあるタイマーは、17分47秒を描画していた。そのタイムがゼロになる前に、城の
そのあまりにも短い残り時間に血の気が引いたのだろう、彼女は二の句が継げないでいた。
まだまだ、ぜんぜん、焦るような時間じゃないのに。
「大丈夫」
力強く言うと、委員長のさまよっていた焦点がピタッと俺を見つける。
「対人戦はダメダメだけど、タイムアタックには自身があるんだ」
そう言って俺は、床にへたり込む委員長に手を差し伸べる。
「10分」
「えっ……?」
「10分もらえれば、委員長とキサラギさんをクリアさせてみせる」
委員長はしばらく黙っていた。黙って、俺の目をじっと見つめてくる。その茶色の瞳には、もう恐れはないように思えた。まっすぐにこちらを射抜くように見返してくる。
しばらく見つめ合ったのち、こくり、とうなずいて、俺の手をガシッと掴む委員長。
うむ、いい握力だ。
温かいその手を引っ張って、起こしてやる。
同じように、キサラギさんにも手を差し伸べる。
「でも、ちょっと時間に余裕があるから、おみやげでももらおうか。彼らから」
「おみやげって?」
ギャルJKを起こしてやると、シメンソカーズの面々を振り返った。
俺が近寄ると、後ろ手にぐるぐる巻きにされた三人がそれぞれ別のほうへと顔を向け、ガン無視の姿勢に入る。
徹底抗戦ね。まあ、そうなるわな。
ともかく、何か訊きだしてみるか。
「いったい、どうやってこのゲームをジャックしたん?」
ペッ、と小太りの貴公子が血の混じった唾を床に吐きつける。
おお、なかなかにふてぶてしい態度だ。
まあ、そっちがその気なら、いくらでもやりようはある。
俺はすぐ後ろ、傍観するJKたちを振り返ってこう提案した。
「どうだろう、彼らを試しに一回殺してみるっていうのは」
そんな物騒な言葉とは裏腹に、俺は慣れないウインクを一つ。
と、委員長がすぐに察してくれる。
「そうね。こっちで死ねば向こうでも死ぬなんていまだに信じられないわ」
「そだね」とキサラギさんも乗ってくる。「試してみるのも悪くないかも」
すると、背後、三人の唾を飲み込むペースが明らかに上がった。チラリと見ると、顎の先端に光る粒もある。脂汗だ。
くくく、かなり怯えているな。あと一押しといったところか。
「最初、誰にする?」
「私が。ドグラマグラさんを
芝居とはいえ、これは意外だった。まさか委員長が率先してそんな物騒なことを口にするとは。
そんな俺の思いを視線から読み取ったのだろう、彼女は真剣な眼差しでつけ加える。
「彼は、私の大切な友達を傷つけたから。許せない」
「お、おおん」
なんか、嬉しいような、末恐ろしいような、不思議な気持ちだ。
ともかく、委員長の意外な一面を見た気がした。
と、委員長はドグラマグラの前にしゃがみ込むと、こめかみに脂汗を流すイケメンに向かって、申し訳なさそうに手を合わせた。
「かなり痛いとは思うから、先に謝っておくわね。ごめんなさい」
ガチガチと歯を鳴らすドグラマグラに向かって、委員長は、ギリギリと握った拳をまっすぐ突きだす――
「海外の!」
ドグラマグラの腹からの声に、委員長の拳は彼の鼻先一ミリのところでピタッと止まる。
「海外の……なに?」
小首をかしげた委員長は、再び腰のあたりで拳を固める。
その拳に目を奪われていたドグラマグラが、彼女のほうへと視線を上げて言った。
「海外のクラッカー集団【ネクスト&エンド】に依頼したんだ。もちろん大金を支払うのが条件で。だから、この作戦がもし失敗に終わったら、僕たちは天文学的な借金を負うことになる」
天文学的な借金。その言葉で俺はピンとくる。
「なるほど、それで日本屈指の財閥令嬢がいるときを狙ったってわけか」
「首謀者は、やっぱりシャラ―?」と委員長。「リアルの彼は今どこにいるの? 彼も海外?」
その質問にだけは答えたくないらしく、ドグラマグラを含む三人ともが再度黙りこくってしまった。
その様子に業を煮やしたのか今度はキサラギさんが、頬のこけたジョニーの前にストンとしゃがみ込む。
「あたしの今のパンチって、どれくらいダメージ出んだろ?」
腕をぐるぐる回し終えた彼女は、無邪気に人をぶん殴るポーズをつくる。
「死んじゃったら、ごめんネ」
「ふっ……府内だ」
拳を突き出すキサラギさんに、たまらずジョニーが吐いた。
「府内のカプセルホテルで、海外を二、三経由してゲームに繋がってる」
思ってもみなかった情報に、俺たちは顔を見合わせる。二人ともいい顔をしていた。
「とびきりのおみやげが出たな」
「そうね。SSR級だわ」
「今の情報をあたしたちが外に持っていくことができたら――」
「この茶番も、そこでタイムアップだ」
意見の一致をみた俺たちは、さっそく王の根城へと向かうべく扉へと向かう。
そのちょうど反対側、もう一つの扉が、ドンドンドンッ、と骸骨たちによって叩かれ、いまにも破られそうな雰囲気を醸し出す。
「あの、ちょっと」
とドグラマグラに呼びかけられ、俺はドア前でいったん振り返る。
縛られて小さくなった彼が、縋るような目つきでそこにいた。
「せめて反対側にあるドアを防御系の業かなにかで固めていって欲しいんだけど……」
「委員長【
ふるふると首を振る委員長。黒のロングも軽快に揺れた。
「だそうだ。ごめん」
「えっ、ごめんって、そんな……じゃあ、せめてこの縄をほどいていってくれ。頼むよ」
「ごめん。急いでるんで」
扉を開けて外に出ると、橋の終わりが月夜に照らされていた。
すると背後、骸骨御庭番衆のドアを叩く音が一段と大きくなる。
それに呼応するかのようにシメンソカーズの叫び声もまた、一段と大きくなった。
うむ、いい気味である。
「あれって、大丈夫なの?」と委員長。
「ゲームとはいえ、さすがに人殺しにはなりたくないかも」
「大丈夫。10分くらいはもつよ。そのあいだに俺たちがクリアすれば平気さ」
あらためて前を見る。
夜の橋が終わるところ。
そこから、巨大な階段が延々と城に向かって伸びていた。
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緩やかに左右にカーブするその階段の先。
白亜の城が月の光でぼんやりと照らされていた。
「あれが、サンゲリアソウルズのラストダンジョン……」
長い黒髪を夜風に遊ばせる委員長が感慨深げにそうつぶやく。
「いよいよだね」
「よし、じゃあサクッと階段をのぼって、ラスダンに行きますか」
「うっしゃー!」
と張り切る銀髪JKのキサラギさん。まるで陸上部の朝練のごとくタタタッと軽快に階段をのぼりはじめる。
負けじと俺も続く。
と、そのときだった。
「待って、ハヤタくん」
上半身装備である布きれの端をくいっと引っ張られ、足が止まる。
「ん?」
見ると、委員長が俺の服の端をぎゅっと掴んでいた。
「口に血がついているわ」
言うと委員長は、俺の服とはまた別の布きれを取り出し、そいつでやさしく口を拭いてくれる。
なんだろう、妙に優しいな。レアモーションか?
というか、キレイな顔が近い。宝石のような茶色の瞳に凝視され、心臓がドキドキと鳴りはじめる。
まあ、ともかく委員長よ……拭いてくれるのはありがたいけど、その血はキミのエルボーが原因なんだ……。まあ、この情報は墓までもっていけばいいか。
「よし。これでいいわ」
「あ、ありがとう委員長」
「シボ」
「へ?」
素っ頓狂な音を出す俺に、委員長は俺の胸元辺りに視線をさまよわせながら言った。
「毎回委員長じゃ長いから……次からはシボでいいわ」
「あっ……はい」
「ためしに呼んでみて」
「え……あの……委員――」
「シボ。たったの二文字よ。簡単だわ」
「……シボさん」
「二文字多い」
「…………シボ」
「なに?」
まるで子犬が小首をかしげるように上目遣いで問いかけてくる委員長――もといシボ。
いや、呼べって言ったのはあなたですが⁉
そしてこの間は何⁉ 耐えられそうにないんですけど⁉
「ちょいちょいちょい!」
大慌てで戻ってきたキサラギさんが地団太を踏む。
「なに急激に仲良くなってんの⁉」
「べつに……仲良くはないわよ。ねえ?」
「えっ、あ、うん」
いまのやり取りで仲良くはないのか。なんだろう、感情の揺れ幅が凄くて死にそうです。
突如、俺はほっぺたをむぎゅってされる。
これまた整った顔が近い。そして目が青い! まつ毛長い!
「フーアムアイ?」
それって……あたしは誰ってことだよな……。
「キシャラギしゃん」
ほっぺたをむぎゅっとされているので、うまく言葉にならない。
俺をむぎゅっとしているJKが首を振ると、つやつやの銀髪も左右に舞う。
「ノー! シタノナマエデ!」
なんでカタコト?
「……シュ、シュテアしゃん」
「サンハイラナイナー。サンハ」
「……シュテア」
「グッジョーブ」
キサラギさん改めステアは、やに下がった顔で顎の下をさすさすしてくる。
犬か、俺は。
否、犬でも可!
「ダメよステア、そんな無理やりは」
「なにさー、シボだってけっこう無理やりに見えたけどぉ?」
「そんなことはないわよ。ねえ?」
「お、おおん」
あれ、なんだろう、いまちょっと幸せである。
いまちょっと幸せである!
そんな幸せの大階段を、俺はふわふわした気持ちでのぼりきる。
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