12:00 愚かなる問い

:23 愚かなる問い

 目を開けると、真っ白な天井があった。大理石とはまた違ったおもむきがある。なんか、こう、背徳的というか……。

 ってか、どこかで見たな……この天井……。


 あっ、そうか、俺、いまラブホでゲームしてるんだった。

 フッカフカのベッドの上、ダイヴナイーブを外すと、俺はゆっくりと上体を起こす。


 と、有無を言わさず、それは飛び込んできた。

 顔面に向かって。


「ハヤタ!」


 瞬間、ぷんにょりとした感触が両方のほっぺたを圧迫する。

 柔らかく、そして温かい。人のぬくもりが生きていることを実感させてくれた。イイ香りも鼻腔にダイレクトに届く。脳髄に刻み込むため、深く息を吸う。


 幸せだ。もうこのまま、いっそのこと――


 おっと、あぶないあぶない。あやうく人生のタイムアタックの時計を止めそうになっていた。

 事実、大きな胸に圧迫されて呼吸がしづらく、ほぼイキかけていた。


「くっ……くるじい……」

「あっ、ごめんごめん」


 巨大な胸から俺を開放したブレザー姿の如月きさらぎステアは、目尻の涙を黒ネイルの指で拭いながら言った。


「でも、よかった。ハヤタも帰ってこれて。このままずっとハヤタが動かなかったらって考えたら……あたし……あたし……」


 と、ステアは喉を詰まらせる。どうやら、心配してくれていたらしい。それは、素直にうれしい。


「二人が裏ボスを迅速に倒してくれたおかげだ。でないと、今ごろ死んでたよ」


 これは決して冗談ではなかった。


「ああ、それね」


 そう言ってステアは、委員長かんぬきシボとのゲームクリア後について、かいつまんで教えてくれる。


「ほら、シボん家って財閥の、それもおさの家じゃん? だから、起きたとき、家にお巡りさんがたくさんいたんだって。で、その中に、シボパパ繋がりでかなり上の人もいて――」

「ほう」

「で、リアルに戻ったシボが、その偉いさんにゲームの中でのことを洗いざらい喋ったら、警察もすぐにガチモードになってくれたらしくて、速攻でシャラ―のいるホテルを特定して。で、突入、逮捕って感じ」

「なるほど。無駄のないイイ動きだ」

「思った。なんかハヤタみたいだなって。ちょっと見直したもん」


 だが、それはたぶんシボが上級国民だったから、というのが大きいと思う。

 が、今の俺にはデリカシーが生きてるからな。思っても口にしない。それに、ちゃっかり俺もその恩恵にあずかっている。文句どころか、お礼が言いたいぐらいだ。


 そんなことを考えていると、ベッドの上にへたり込むステアが背筋をピンと伸ばして言った。


「でも、それもこれもぜんぶ、ハヤタのおかげだよ。ほんとに、ありがと。親友を助けてくれて」

「いや、まあ、時間内にクリアできて良かったよ。うん」


 青い目にじっと見つめられ、俺はそわそわしだす。痒くもない後頭部をぽりぽりもする。

 そのとき、ピロリン♪ とステアのスマホが鳴った。


「おっ、噂をすれば親友からだ」

「委員ちょ――シボはなんて?」


 ステアはスマホに目を落とし、親友からのメッセージを読みあげる。


「んーとね、警察の事情聴取は後日、デジタルで提出オッケーにしてもらったから、今こっちに向かってるって」


 そんなこともできるのか、上級国民は。


「すごいな」


 そんな俺の感嘆の声を最後に、しんと静まり返る部屋。


 あれ、なんか、気まずいな。そうだ、今のうちにスケスケ風呂の横にあるトイレにでも行っておくか。

 そう思って立ち上がりかけた、そのときだった。


「シボが来るまで、ナンかする?」

「えっ……………………待つだけでは?」

「ええ~~それ、めっちゃつまんない」とステアはほっぺたを膨らませてから、何かを閃いたのかハッとして。「あっ、そだ」


 言うとステアは四足動物のごとく這い寄ってきた。

 うわっ、こわっ!


 そしてそのまま押し倒され、馬乗りになられる。ステアの端正な顔が近い。そしてそこから落ちて来る銀髪ショートもまた、近い。


「着いて来てくれたら何でもしてあげるって言ったよね?」

「……いっ、言ってましたね」

「それ、やろっか」


 マジですか。

 マジですか⁉


「じゃあ、ゴホンッ」


 とステアはわざとらしく咳払いをしてから、声音を太く変えて言った。


「そなたの願い一つだけ叶えてしんぜよう。さあ、願いを言いたまえ」


 上にいるステアの青い瞳が、じっと俺を捉えて離さない。


 ……なんというか、万能感がすごい。何でもいいんだ。たとえば、ステアが欲しい、とか。それも叶うのか。でも、思い切ってそれを言ったところで、きっしょ、という死に至る一言で断罪されはしまいか。そうなると、もう明日から生きていけないぞ? どうする。


 いや、でも、言ってみるべきだ。その権利が俺にはあるはず。

 よし。言おう。


「ステアがほ――」


 がちゃ。


「あ」


 開いたドアのそばに立っていたのは、ブレザー姿の委員長閂シボだった。深窓の令嬢といったいつもの姿に、ちょっぴり感動――

 している場合ではない。


「ちょっ、あなたたち何してるの?」

「まだナニもしてないよ。ね? ハヤタ」


 俺はステアの馬乗りからスルッと抜けだすと、ベッドの上で正座した。


「いまゲームから戻ってきたところです。はい」


 俺は事実だけを淡々と述べるマシーンと化す。ステアを通すと事態がややこしくなるのは必定だからな。

 それを聞いたシボは腕を組み、眉尻をくいっと上げる。


「あやしいわね」

「ほんとになんもしてないってば。それに、ハヤタがそんなことできるタマだと思う?」


 タマて。あれだよ、ステアさん。俺を舐めちゃあいけないよ。俺だってやるときはやるんだ。


「あ、でも、おっぱいに息は吹きかけられたか。ムフーッて」


 俺は頸椎がねじ切れる速さで振り返る。

 ベッドの上のステアは得意満面の笑みを浮かべていた。このギャル、またややこしくなりそうなことを……。


 おそるおそるシボのほうへ視線を戻すと、案の定、驚きすぎてペリカンばりに大口を開けていた。こうなったら仕方ない。


 俺はダイヴナイーヴを再び装着すると、スマホをつないで横になった。


「こらこら、いやな現実からゲームに逃避するんじゃない」


 すぐにステアに現実に連れ戻される。もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ!


 気がつくと、シボもベッドの上にいた。女の子座りとでもいうのか、スカートからすらりと伸びた脚が妙に色っぽい。

 すると彼女はポケットから一枚の紙を取り出し、あらたまった顔つきで言った。


「ハヤタくん」

「はい」

「今回の件、ほんとうにありがとうございました」


 シボが深々と頭を下げると、黒のロングがベッドの上にひび割れのように横たわる。もうほとんど土下座に近い。


「いや、そんな……大げさな。頭を上げて」


 言うと、シボはようやく頭を上げた。頭に血が上ったのか、すこし頬に赤みがさしている。


「ハヤタくん覚えてる? 私がゲームの中で言ったこと。ここから出られたらいくらでも払うって」

「えっ、ああ、あれね。うん」

「それを父に伝えたら、そしたら当然のように父も言い値を払うって」

「えっ……」


 驚いた。うすうす気づいてはいたが、シボパパはそんなにも豪胆なお方だったか。


「だからここに欲しい金額を書いてくれれば、それがそのままハヤタくんの口座に入るわ」


 そう言って手渡されたのは、何も書かれていないまっさらなメモ用紙だった。


「よかったねハヤタ。でも手加減しなよ~。あんま調子こいてたら社会的に抹殺されるかもよ」


 恐ろしや財閥の力。でも、あながち間違ってもないような……。

 と、冗談はさておき、俺は白紙に目を落として考える。金の問題はこれでクリアだ。5億と書いてもたぶん通るだろう。


 でも、それでいいのか。たとえば。たとえば、だ。この白紙を白紙のままシボに返したりすると「やっぱりハヤタくんってかっこいいわ、好き」となってステアも「さっすがハヤタ。キスしよ」となって富、名声、女のうち、名声と女の二つが手に入りはしまいか。


 いや、する! 手に入る! 女と名声が! ほぼ同時に!


 うちは両親が共働きで中流よりはちょい下な家庭環境なので、正直、金は喫緊の課題なのだが、まあそれはおいおい集めていけばいい。

 というかぶっちゃけ、この機を逃せばもう俺に彼女はできない。それだけは断言できる。

 よし、その手でいこう。


 そう脳内で結論づけた俺は白紙のままシボに返す。


「えっ……まだ何も書いてないように見えるけど」

「ああ、それでいい」

「大金を手に入れるチャンスなんだよ?」


 と、ステアも念を押してくるが、俺はそれに鼻を鳴らして答える。


「フッ。金より大事なものが手に入ったからな。金はもういい」


 かっけ。俺。かっけ。

 ああ、後々振り返れば、ここが俺の人生の分岐点になるんだな。


 と、そんなことを考えていた俺に、バケツで水をぶっかけるかのような一言が、ステアの口から出る。


「やったじゃんシボ。儲けたね」

「ええ。会社うちとしても余計な出費がなくなって大助かりだわ」

「えっ、ちょっ、えっ?」


 想定していたリアクションがなくて俺は混乱する。


「もっと、こう、ないの? その……かっこいいわね的な。やっぱりハヤタはそうでなくちゃね的な」

「ハヤタならそうするかもとは言ってたよ。リャインで。ね、シボ」

「ええ。ハヤタくんならものすごい大金を書くか、何も書かないかの二択だと」

「やっぱり何も書かないほうだったね」


 ベッドの上、くすくすと肩を寄せ合って笑う二人。

 

 そんな……。でも、しまったな。すこし長く居すぎたか、行動を読まれていた。

 がっくりと肩を落とす俺にステアがトドメの一言を告げる。


「これであたしとの約束もクーリングオフになったし。じゃあハヤタ、あした学校で」

「えっ! このまま現地解散⁉」

「だって。ねえ?」と、ステアが意味深にシボに問いかける。

「三人で一斉にホテルを出たとして、そんなところをクラスの誰かに見られでもしたらと思うと……ぞっとしないわ」

「てことでハヤタ、バーイ」


 二人はそそくさと、逃げるように部屋を出ていってしまった。

 誰もいなくなったホテルの一室。

 

 ダイヴナイーヴに繋がれたスマホを引き抜くと、真っ暗な画面に、暗すぎる男の顔面が映り込んでいた。

 まごうことなき、俺だ。

 ハア、とため息を一つ。


「こんなことになるなら、せめて連絡先の交換でもお願いしとくんだった……」


 思わず本音が漏れる。ダメだ。泣いてしまいそうだ。俺に残ったのは何だ? しいて言うなら、学校においてヒエラルキーの最上位であるシボとステアとゲームをして楽しくお喋りしたことがある、という経験くらいか。


 まあ、でも、過ぎたことは仕方がない。切り替えよう。

 両の頬を一発、パンと叩く。


 よし切り替わった。これを教訓として人間プレイに励むのみだ。明日からまた、終わりの見えないタイムアタックがはじまるのだ。


 心機一転、部屋のドアを開けると、廊下に二人のJKが立っていた。


 「え……なんで……?」


 二人ともくすくす笑っている。ステアに至っては目じりに涙まで溜めて。

 いったいぜんたいこれは……どゆこと?


「ごめんごめん」とステアがネタをバラす。「わざとそっけない態度をとってハヤタがどんなリアクションするかここでのぞき見てたんだけど……ハヤタ半泣きになって――」

「ちょっと、やめなさいステア」


 シボもあからさまに笑いをこらえている。


「いまさら連絡先交換って……」


 我慢できずに二人は噴いた。それはもう豪快な爆笑だった。


 自分でもわかる。耳がゆでだこのごとく赤くなっていることが。恥ずい! 穴があったらそこにルパンダイブしたい! 今すぐに!


「ヒーッ、お腹痛い」と悶絶するステア。「連絡先って……たしかにハヤタの連絡先知らんけど……知らんけどぉ……」

「すごくいまさらよね」

「う……」

「連絡先どころか、なんならいまからウチくる?」


 目じりに一杯の涙を溜めたステアが言った。


「えっ、ウチって⁉ 家ってことですか⁉」

「うん、家。くる? 狭いけど」

「打ち上げということなら、私の家のほうがいいかも」

「でかいもんねー、シボん家。いいよ、それでも」


 二人の口から次々と飛び出てくる提案に、俺はもうどうしていいかわからない。女子の家に行くのか。俺が? そこで何をするんだ? シボは打ち上げって言ったな。打ち上げって何だ。何を打ち上げるんだ? 固体燃料式のロケットか何かか。

 わからない。わからないが、さっきのこともある、ここは断らずについて行ったほうがいいな。


「あっ……でも」


 と、思ってもいない言葉が口から出る。どうした俺⁉


「今日はもう眠いから、帰って寝るよ」


 そう言って、一人、ホテルの廊下を行く俺。

 そうだ……。

 中学、高校とひたすらに陰キャを貫いてきた俺を舐めてはいけない。もうなんか、わけのわからないプライドか何かが邪魔をして、俺の足を勝手に動かす。

 ほんとうは死ぬほど行きたいのに。


 背後から「ね? 男を見る目、ないことないでしょ?」とか「そうね。前言は撤回させてもらうわ」といった嬉しくなるような会話が聴こえてくるけど、そんなことじゃあ俺の足は止まらない。止まってくれない。


 止まって、お願い。

 俺も打ち上げたい。固体燃料式のロケットを。

 

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 何もなかった日の朝チュンで起きるほど、つまらない朝はない。


 あれから俺は風呂にも入らず泥のように眠りこけていた。

 いつものRTAとは違う緊張感があったせいか、秒で朝になった。

 とにかく眠い。死ぬほど眠い。


 だけども習慣というのはすごいもので、いつの間にか制服に着替え、気づくと教室の扉の前に立っていた。こわっ。


「おはよう」


 と教室のドアを開けても、いつのもように俺は無視され――


「おはよーハヤタ」


 ――なかった。

 あいかわらず銀髪ショートがよく似合うステアが、教卓付近から元気に挨拶を返してくれる。


 もちろん、ステアをとりまくクラスメートの女子たちが驚きに目を点にしていた。

 いや、驚いているのは彼女たちだけじゃない、クラス全体がびっくりしていた。


「ああ、ハヤタくん。おはよう。昨日はよく眠れた?」


 窓際にもたれかかる委員長――もといシボも美しい黒髪を風で遊ばせながら挨拶を返してくれる。


「おっ……おはよう、いいん――」


 ギロリ、と睨まれて俺は言いかけた言葉を飲み込む。マジか。ここで下の名前を呼べと?

 でも、呼ばないと鬼神の一撃が飛んできそうだったので、俺は意を決してそれを口にした。


「シボ」


 直後、教室全体が爆発した。


「えええええええええええっ⁉」


 体育祭でも見たことのない、それは一致団結だった。


 ごめんて。俺みたいなゴミ陰キャがヒエラルキー最上位に気軽に絡んでしまって。

 これ以上の注目はごめんだったので、そそくさと自分の席につく。

 

 スマホを取り出すと、ニュースをささっとザッピングする。サンソウのゲームジャック事件、その後の顛末を知りたかったというのももちろんあるが、本音を言うと、もう一度サンソウで遊べるのかどうかが一番知りたいポイントだった。


『首謀者逮捕! 犯人は元有名配信者⁉』


 その文字に目が留まる。

 ほんとうに逮捕されたんだな。

 まあいい、次だ。


『全世界でプレイヤーが一斉に帰還。ゲームジャック無事解決。日本の警察、お手柄か⁉』


 その文字に口角が上がる。さすがは上級国民パワーだ。 

 が、スクロールをすれどもすれども、サンソウの再開情報は出てこなかった。


 まあ、当たり前っちゃ当たり前か。これだけの大事件だ。それに人死にも出た。すぐに再開するというのはさすがに無理があるか。


 つまり、俺の生きがいがなくなったということだ。


 そして、それは、人生のタイムアタックの目標であるところの富、名声、女がまた一段と遠のくことを意味していた。


 終わったな。いろいろと。

 と、担任の男性教諭が元気に教室に入ってくる。


「おっ、委員長、今日はいるなー」

「はい、昨日は無断で休んでしまってすみませんでした」

「ああ、いや。事情は聞いてるよ、大丈夫。あっ、でも、ホームルームが終わったら職員室に来てくれな。カウンセリングの先生と一緒に、少し話そう」


 はい、と返事をしてシボは最前列の席につく。 

 彼女の黒くて長い髪を見つめながら、俺は目の前が真っ暗になるのを感じる。


 気づくと、朝のホームルームは終わっていた。

 体感、10秒。

 どうやら、これが上の空ってやつらしい。

 空気の漏れた風船みたいだな。このままどこまでもしぼんでいくんだ。ぷしゅーって。

 と、そのときだった。


 バン! と前から椅子の背もたれが飛んできて俺は現実世界に引き戻される。


「ハヤタ! ちょっ! これ見て! これ!」


 ステアのスマホの画面には、こんな文字が踊っていた。


『トゥソフト、次回作に向けテスター募集』


「マジか!!!!!!」


 思わず飛び上がった。

 カウンセリングを受けて職員室から戻ってきたシボも、すぐに俺のところに駆け寄ってくる。その顔は、おもちゃを前にした幼女のように明るい。


「観た?」

「うん。観た。いま」

「今の今までカウンセリングの先生と会っていた私が訊くのもなんだけど……ハヤタくん、応募する?」


 正直、応募要項はまだ見ていない。なので、どんな条件なのかもわからない。

 さらに、どんなゲームなのかもわからない。

 わからないことだらけだ。

 でも……。


 きらきらと羨望のまなざしを向けるJK二人に対する返答は、すでに決まっていた。


「愚問」



     ★ ...ending


ここまでお読みいただきありがとうございました。

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