堅物監察官は、転生聖女に振り回される。

たまこ

第1話




 監察庁ーーーここでは、王宮であろうが、神殿であろうが、国中のあらゆる不正を暴く、公正な場所。所謂エリートしか勤めることは出来ない。庁内はいつも殺伐としており、物々しい雰囲気が漂っている。



 しかし、その空気を瞬時に変える者が一人。



「こんにちは~!ねこのパン屋です!」


 そう、ねこのパン屋で働くアンだ・・・少し風変わりな店の名前だが。アンは、ふわふわと焼きたてパンの良い香りと共に、お昼時にやって来る。にこにこ笑顔が印象的な、元気な看板娘だ。ねこのパン屋では、他のパン屋では見ないようなちょっと変わった、だけどとても美味しいと評判なパンがたくさんある。



「アンちゃん!今日は何がオススメ?」


「今日の新作は、フレンチトーストですよ~中はふんわり、外はカリッとしていて、甘くて美味しいです!」


「初めて聞くパンだけど美味しそう~!アンちゃんの説明って、つい食べたくなる説明なのよね。流石看板娘だわ。」


 いいえ、これは、前世でグルメ番組をしょっちゅう観ていたから、その影響です・・・なんて言うと色々と面倒なので、曖昧に笑って返す。




「ふう・・・そろそろ。」


 たくさんの客を捌いて、徐々に客足が途絶えた頃、一番大事なお客様の部屋へと向かう。ねこのパン屋は、町の一角で開いている家族経営の小さなパン屋だ。このように、出張販売はしていない。だが、この人の計らいがあり、一ヶ月ほど前から監察庁で出張販売が出来ている。



(結構・・・いやかなり売上に貢献してくれているのよね。)



 コンコン、とノックをし、ドアを開ける。


「ああ。アン、来たか。」


 鬼の能面を着けたかのような男、スペンサー侯爵家の次男で、主任監察官のギルバート=スペンサーが書類を見ていた視線をちらり、とこちらへ向けた。




「ギルバートさん!お疲れ様です!」


「アン、今日は、困ったことは?」


 氷のような冷たい目で睨みながら聞かれるのにも、アンはすっかり慣れ、首を振りながら答える。


「いいえ。問題ありません。」


「そうか。」


 ギルバートは、こちらも向かず、興味がなさそうに返事をする。



「ちょっと、先輩!そんな取り調べみたいなトーン、止めてください!アンちゃんが可哀想でしょ!」


 ギルバートは平常運転ではあるが、一人の女の子に向ける態度としてはあまりに恐ろしいもので、それを見かねたギルバートの補佐官ジェフリーがフォローを入れた。


「俺はそんなつもりはない。」


「先輩がそんなつもりが無くても!そうとしか見えません!」


 こんなやり取りもいつものことで、アンは思わず「ふふふ」と笑い声を上げた。それを見て、照れ笑いを浮かべるジェフリーと、表情を全く変えないギルバート。恐ろしいと噂の男だが、アンはそう思ったことは一度もなかった。




◇◇◇◇




「ギルバートさん。今日のパンです。」


「ああ。」


「今日こそ、お代は貰いません!」


「いや。絶対に払う。」


「ギルバートさん…………お願いだから払わないでください。私が父に叱られるんです。ギルバートさんは恩人なので、私たちの厚意でお渡ししたいんです。」


 店員がお金を払わないでください、なんて言うのが可笑しくて、ジェフリーは思わず吹き出したが、アンもギルバートも真剣そのものだ。



「駄目だ。商品を受け取る際は適切な金額を支払うことが社会のルールだ。」


「うう・・・。」


 こうしてアンが言い負かされるのも、いつものことだ。ジェフリーは話を変えようと、ギルバートが受け取ったパンについて聞く。




「今日も美味しそうなサンドウィッチだねぇ。でも、先輩にはいつもサンドウィッチだよね。他のパンもいっぱいあるんでしょう?」


 ジェフリーはいつも愛妻弁当なので、ねこのパン屋のパンは買わないが、庁内の職員から種類も多く、味は最高に美味しいとよく聞いていた。


「ギルバートさんは、甘いパンや固めのパンはあまり好まないでしょう。」


 ジェフリーはギョッとした。ジェフリーは大雑把な性格なので、補佐官ではあるがギルバートの味の好みなんて気にしたこともなかった。いや、流石にギルバートがそれを残したり、一言文句でも言えば、覚えているはずだ。ジェフリーが思い返す限り、ギルバートは何を食べても、いつもと同じ鬼の能面顔だ。好き嫌いがあるとは思えなかった。


「揚げパンは重たくて、午後の仕事に影響があると良くないかと思って。それにギルバートさんは、毎日お忙しいでしょう。少しでも栄養を取ってほしくて。うちのサンドウィッチは野菜もお肉もたっぷりなんです!」


 明るい笑顔を浮かべるアンを、ジェフリーは信じられない思いで見ていた。ギルバートは、その鬼の能面顔と、冷酷すぎる性格が原因で、庁内の職員すら距離を取るほどだ。普通なら、侯爵家の次男で、監察庁に勤めるエリートなんて、縁談話がありすぎて困るくらいだろうが、ギルバートは二十八歳という年齢にも関わらず縁談話はこれまで一つもない。家族が必死で縁談話を探してきても、相手の女性がギルバートの姿絵を見ただけで卒倒してしまうからだ。



 それが、このアンはギルバートと普通に会話しているだけに留まらず、ギルバートの好みを掌握し、健康まで考慮してくれている。これはすごく貴重なことではないか。





◇◇◇◇




「ギルバートさんからの注文が無いので、私が勝手にサンドウィッチにしているけれど、食べたいものがあれば言ってくださいね。出張販売にない物でも持ってきますから。」


「お前は客全員にそのサービスをしているのか?客全員に出来ないことはしてはいけない。」


 アンの提案をギルバートはバサリと跳ね除けた。ギルバートの面倒な性格はいつものことなのだが、アンの気遣いが分かるだけにジェフリーは腹が立った。


「ちょっ・・・。」


「ギルバートさん、私たちは、お客様のオファーがあれば、出来る限り次の配達日に持ってくるようにしています。オファーがあれば教えてほしいと、定期的に皆さんへ声かけもしています。なので、ギルバートさんだけ特別扱いではないですよ。」


「ならいい。」


 にっこり笑うアンと、視線も合わないギルバート。アンが帰る時間になっても、ギルバートはちらりともアンを見ないで、そっけなく別れの言葉を掛けるだけ。ジェフリーがドアの前で見送ると、アンがこっそり囁く。


「ジェフリーさん、さっきは庇おうとしてくれてありがとうございます。」


「いや。いつもごめんね。ギルバートさんも意地悪をしているのではなくて、アンちゃんの負担がないようにああ言ったのだと思うんだけど。」


「ふふふ、分かっています。公正な所がギルバートさんの良い所ですからね。」


 にこにこと笑うアンを見送る。ギルバートへのフォローは慣れたものだけど、あんな嫌な態度を取るギルバートが、天使のように優しく可愛いアンに許されているのは、何となく納得がいかない。でも、せめてアンの役に立つように情報収集をしようと、ジェフリーはギルバートに尋ねる。



「先輩、本当は食べたいパンあったんじゃないですか?」


「いや?」


「何か一つくらいはありませんか?」


 珍しくジェフリーが食い下がっても、ちっとも表情を変えないのが憎たらしい。



「いや、アンに任せておけば旨いからな。」



・・・。



・・・・・・。



・・・・・・・・・。




(そ・れ・を!本人に言えよ!)



 ゴロゴロと転がりながら大声で叫びたい気持ちを必死に抑えて、ジェフリーまで能面顔となった。

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