アテナイ本陣総司令官天幕 2

 ギルフィが驚いた声で言う。


「ええっ、あのてっぺんハゲでわし鼻の男、スパルタのエウリュポン王家の将軍なんですか?!


 では、そのエウリュポン王家のフォイビダス将軍ってのが、テバイとエウリュポン王家の内通の連絡者で、あの赤毛の娘の家で連絡を取り合っていたのでしょうか?」


 あおの視線をテーブルの一点に置いて、フレイウスが答える。


「いや、ただの連絡者にしては将軍の地位は重すぎる。


 会っていた相手も、このいくさで内通を仕切っていたエパミノンダス参謀長の部下ではないようだ。


 おまえの見たもうひとりの男……


 テバイ兵にひきずり出された、大きな熊のような片腕の男、というのは、テバイ軍ペロピダス総司令官三弟の、ダリウスだろう」


「「ええっ、そうなんですか!」 」


 と、双子。


 フレイウスは暗い表情になった。


「ダリウスの右腕を斬ったのはクレオンブロトス王だ、という噂だ。


 そしてダリウスも、戦場で少なくとも一度は、クレオンブロトス王を負傷させているらしい。


 ダリウスは一時いっとき、自分がクレオンブロトス王を殺した、とまで自慢していたらしいからな。


 だが遺体が見つからなかったので、兄のペロピダス総司令の怒りをかって、中隊長から小隊長に降格になったという話だが……」


 眉間に思考のしわを刻むフレイウス。


「これは、フォイビダス将軍とダリウス小隊長との間で、個人的に何らかの闇取引やみとりひきがあったと見るべきだろう。


 スパルタ・エウリュポン王家のアゲシラオス王と、テバイのエパミノンダス参謀長との内通とは違う、別の闇取引やみとりひきをしているようだ」


 はっとしてアルヴィが、テーブルに身を乗り出す。


「では、奴らがクレオンブロトス王とアフロディア姫を隠しているのでしょうか?」


 フレイウスは首を横に振った。


「いや、そうではないだろう。


 戦が終わってから5日間も、ふたりの身柄を隠し続ける理由が奴らにはない。


 ダリウスという奴なら、クレオンブロトス王の首など持っていれば、一番にそれを掲げて嬉しそうに大声で触れ回るだろう。


 どんな闇取引やみとりひきをしたのかは知らないが、ダリウスなんぞを相手にしているようでは、フォイビダス将軍とやらも程度が知れている、といったところか」


 腕組みを解いて両手をテーブルに乗せ、フレイウスは続けた。


「こうなると、ますますクレオンブロトス王の行方不明が大きな謎として残ってくる。


 王はどこにいるのか。アフロディア姫もだが。


 やっきになって捜しているテバイではない。コリントス陣にもそれらしい形跡がない。我々アテナイも知らない。


 行方不明の王と姫の生死によって、今後のギリシャ情勢も大きく変わるだろう。


 特に、スパルタの黄金獅子きんじしクレオンブロトス王がどこかで生きていれば、それは同盟軍にとって、つまりはアテナイにとっても大きな脅威きょういとなる。


 だが私は、個人的には、王が生きて……」


 アテナイの氷の剣士、フレイウスは口をつぐみ、それ以上は語らなかった。


 双子は顔を見合わせた。


 ギルフィが、ためらいがちに言う。


「……というわけで、そんなテバイ人とスパルタ人が密談の場所にしていたあの赤毛の娘の家には、ティリオンさまはいらっしゃらないと思います。


 あとはあの赤毛娘を、姉ちゃん、と呼ぶ弟らしいのが雑用をして、うろうろしてたくらいです」


 唐突にフレイウスは右手をのばし、天幕の明り取りから入ってきて、テーブルに飛んできたを払った。


 には直接触れなかったが、氷の剣士の手の鋭い一振りで、テーブルに描かれた美しい大輪の花にとまろうとしていたの軌道は、ふらふらと大きく外れ、床の敷物の隅まで舞っていって、ぽとりと下に落ちた。


 そして、問い。


「その弟は、どこかに怪我をして包帯を巻いていたか?」


「そういえば、右腕に包帯を巻いていました」


「そう、か……」


 ギルフィが苦笑して、つけ足した。


「スパルタ人とテバイ兵たちが去ったすぐあと、家の表で姉の腰に抱きついて、思いっきりわんわん大声で泣いてましたよ。


 よっぽど怖かったんでしょうねー」


 途端にフレイウスのあおの目が鋭く、るようにギルフィに向けられた。


「姉のに抱きついて、思いっきりわんわん大声で泣いていた、だと?


 ギル、その弟は何歳くらいだ? 姉より背は高いか? 体格は大きいか?」


 思いがけない質問に、ギルフィがちょっと戸惑とまどいながら答える。


「そうですねー……10歳くらいだと思います。


 あの姉より、背はかなり低いです。


 体格は細くて、小柄なほうかと。あまり栄養が足りてない感じです。


 そうだ、ちょうど、スパルタの奴隷村で初めて会ったときのカリアスと同じか、それよりも小さいくらいの年と背格好でしたよ」

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