ギリシャ物語 Ⅱ【前編】

本城 冴月(ほんじょう さつき)

第一章 王族逃亡

王族逃亡 1 *

 【※この物語は、恋愛・歴史フィクションです】


 紀元前371年。テバイポリス、レウクトラの地。


 ぶどう畑の、近くの斜面。


 ティリオンは、襲ってきたひと群れのテバイ兵を剣で全員、殺した。


 ハァー、ハァー、と全身で荒い息をつく。


 左肩に担いでいるアフロディア姫の体をゆすり上げ、戦闘中にずれてしまったバランスを再調整する。


 アフロディア姫は気を失っている。


 ティリオンは、血のりでなまくらになった自分の剣を捨て、目の前のテバイ兵の死体の剣と交換した。


 返り血にまみれた顔に、ゆがんだ笑みが浮かぶ。


 (アテナイ医学アカデミーで患者の命を助けていた私が、ここでは逆に大量に人の命を奪う。

 

 こんな皮肉なことが、あるだろうか)


 最後のテバイ兵は、剣がなまくらになっていたせいで、一撃で殺せなかった。


 負傷して「待ってくれ、悪かった。もう追わないから殺さないでくれーっ!」と叫ぶテバイ兵の命を、悲痛な思いで、絶った。


 スパルタポリスは、『レウクトラの戦い』で敗戦。


 スパルタ王女アフロディアを連れて逃げている以上、目撃者を残すわけにはいかないからだ。


 生来せいらいの優しい心が、キリキリと痛む。


 それでも、愛するアフロディア姫を守るためなら、出くわしてしまった敵兵はすべて殺す、と決心してもいる。


 とはいえ、もし、彼の祖国だったアテナイの兵と遭遇してしまったら、ためらうことなく殺せるかどうか自信がなかった。


 だからティリオンは、スパルタの敵軍である、テバイ・アテナイ・コリントス、の三国の同盟軍のうち、アテナイ軍がいると思われる方向を避けて逃げていた。


 コリントス軍の兵は、カーギルの治療をした時、遠くにちらと見かけたきり出会っていない。


 自分の銀髪から、返り血がしたたってきた。


 目を細め、軽く頭を振って払う。


 かつての師フレイウスの教えどおり、最初は極力、返り血は浴びないようにしていた。


 スピード重視、俊敏さを一番の武器とする、ティリオンの剣法。


 血が目に入って視界がさまたげられたり、血で手や足が滑ったりするのは、最も避けねばならないことだ。


 しかし、気を失っているアフロディア姫を左肩に担いだままの連戦れんせんとなると、途中からは返り血のことなど、かまっている余裕はなくなった。


 今や彼の全身は、担いでいる姫もろとも返り血で真っ赤だった。


 最後に彼と対峙たいじした、瀕死のクレオンブロトス王のように……


 エメラルド色の目を鋭くして、あたりを見回すティリオン。


 血塗られた美貌の顔を、戦鬼せんきの形相にしたティリオンが、死中にかつを求めて、また戦場を駆ける。



――――――――――――――――――*



人物紹介


● ティリオン(19歳)……かつて、自分の父親の将軍長アテナイ・ストラデゴスを斬る、という大事件を起こし、アテナイ軍を振り切るためスパルタに逃げ込んだ、美貌の青年。


 命をとりとめた父親とアテナイ側の意思で、事件はもみ消されているが、本人は知らない。


 スパルタ王女アフロディア姫と恋に落ち、『レウクトラの戦い』で、スパルタが敗戦したため、姫を連れて戦場を逃げている。


【※アテナイ・ストラデゴスとは、アテナイの将軍長、という意味の、役職名です】

 

● アフロディア姫(15歳)……ふたつの王家のある、スパルタ王国の、アギス王家の王女。ティリオンの恋人。

 『レウクトラの戦い』でスパルタは敗戦。逃亡中。


 本来は、元気なじゃじゃ馬姫なのだが、兄王クレオンブロトスや、幼なじみクラディウスや、多くのスパルタ兵の戦死によって大きなショックを受けている。


【※タイトルの横に*のあるのは、人物紹介、年表、歴史その他、諸解説が文末にあるしるしです。作者のメンテナンス用ですので、あまりお気になさらないでください。m(__)m】

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