もうすぐ世界が終わる日に

鶴屋麻葉

第1話 日常と非日常

人ひとりの人生なんて大したもんじゃない。例えばほら、日曜朝のヒーローみたいな、土曜夕方5時の戦いみたいなだったら違うかもしれないけれど。日々ごみのような鬱屈した思いを抱えて死ねずにいる学生とか、気づいたら年を取ってた会社員とか、何か事件でも起きない限り何にもならない。だからといって別に人が憧れるような、世界を丸ごと救うような、そんな主人公に憧れたわけじゃなかった。だってそんな大層なこと、大変じゃん。命を賭して世界を守るとかそんな義理もないし。毎日の出勤は怠いし、いっそ世界滅びればなあって軽率に思うくらいなのに。

ぐるぐると饒舌に語る思考は現実逃避なんだろう。だって目の前には小さな小さな女の子。どれくらい小さいかっていうと手のひらサイズ。もちろんそんな人間はこの地球上にいないわけで。まず何よりもきっと自分はこれに巻き込まれるんだろうなって予想がついた。残業終わり、割引の餃子が右手で揺れる。

「お願い助けて!追われてるの!」

「…はあ。」

ほらやっぱり。駅前から家までの裏道、案外街灯も人通りもあるし、途中の家々がお洒落で好きだからよく歩いてるけど、今日ばかりは通るんじゃなかったな。ため息をついてとりあえずファンタジーみたいな現実を見つめる。サイズ以外は普通の人間に近い。決定的に違うのは髪だ。どんな美容師だってきっとこんなカラーはできない。プリズムを切り貼りしたような不思議な硬さと色合いが見て取れる。街頭に照らされた今は反射して正直ちょっと眩しい。反面、瞳は宇宙を閉じ込めた宝石みたいだ。綺麗だとは思うけどなんだかすこし怖い。

「ねえ、ねえってば!」

「…あ、はい。」

そうだった。何か追われてるって言ってたっけ。じゃあまずここを離れなければ。ちょうどいいからとその小さな子を促して茂みに入って進む。こっち方向なら家に近づくし人通りもない。ついでに街灯もないからいつもはあまり通らない。一応一人じゃないし、隠れるにはいいんじゃないかな。虫刺されは諦めよう。

「ここに隠れるのね?助かるわ!」

「はい。」

「あなたはどういう人間なの?」

「どういう…?ええと、社会人?」

「ああ、それね。わかったわ。」

隠れているのにそこそこ普通に話していて心配になる。わかった、ってどれだけわかっているんだろう。そもそもこの子は何なのだ。

「私はアズライト。こことは別の世界から、奴らに追われて逃げてきた。」

「奴ら?」

「そう。また別の世界から私の世界を壊しに来たの。」

「へえ。大変だね。」

いや世界どれだけあるのという言葉を飲み込んで同情を見せる。ファンタジーのどんな作品にでもよく出てくるような設定を目の前でペラペラと語られると、本当に自分の存在さえペラペラの紙の中のものみたいに思えてくる。

「そうだ、あなた、名前があるんじゃないの?」

「鈴藤です。」

「ええと、それはファミリーネーム?ファーストネーム?もうひとつあるんでしょ?」

「ひより。…ねえ、こんな喋ってて大丈夫なの?」

「ホント、舐められたもんだよなァ!」

背後で、声がした。身の毛がよだつという慣用句を初めて実感した。一生したくなかった、というのが正直な感想だ。吐きそう。アズライトとは対称的に、明らかに私達よりも大きな影。咄嗟にできたのはせいぜい振り返ることくらい。気づいたら一緒に茂みの奥に投げ出されていた。

「やっと見つけたぜ」

痛い。痛い。背中からいった。巨大な何かとアズライトの会話が遠い。いやほんとなんなの。死ぬのかなこれ。毎日死にてー仕事やだーとか言いつつ、こうなると恐怖がせり上がる。あの発送業務持ち越さないで今日やれば良かったかな、ここで抜けるのは悪いなぁなんて無責任。

「ひより!助けて!」

現実場馴れした現実に引き戻される。とはいえどうしろと?

「どうしようもないんだけど……。」

「あ?誰だお前。協力者ならお前も一緒に殺すぞ」

おっと本当に殺す気だ。知らない間に手が震えている。

「これを使って!」

「は?」

眼前に青。というか蒼。突然投げられたそれに対応できず、顔面で受け止める。生憎、万年文化部なのもので。

弾かれて地面に落ちたものは、それこそプリズムみたいな石だった。石?石よりももう少し造形した感じがある。人工物?アズライト達の作ったものを人工と呼んでいいのかは置いておく。手のひらに乗るくらいのサイズで、中央や上部にいくつかの窪みがある。中央部の窪みが一番大きい。ちょうど指がしっかり入るくらいで――

カチリ。音がした。

「え?」

「そう!そこで、ええと、そのまま!」

「え、何?何?」

何とはなしに指を置いていた中央部の窪み、その周りに円状の光が広がる。指先に違和感。咄嗟に手を離したけれど、それはもう動き始めていたようでそのまま宙に固定されている。

「何、ちょ――」

言葉を継ぐ前に風でかき消された。風なんてどこから?思わず目を閉じると、その分他の感覚が形を持つ。衣類の感じが違う気がする。遠くにアズライトとさっきの怪物の声が聞こえる。風の中で髪がほどけたような、だけど顔にはかからない。どうなってるの?

バッと目を開けると、風は収まっていた。周囲に変化は無い。ただ、ふたり?ひとりと1匹?1頭?がこちらをじっと見ている。

「お前やはり協力者だったか!」

「えっいや何が…?」

「戦って!ひより!」

「!?」

ぐん、と体が前に出る。地面で踏ん張った足がいつものパンプスじゃない。そういえばほどけたはずの髪は後ろにまとまっていて、大きな三つ編みが揺れている。私結べないはずなんだけど。何が起こったのかを把握する間もないまま、体は勝手に怪物に向かっていく。手の中にあった棒を握りなおし、振り上げる。そういえばさっきの石みたいなやつはどこ?そもそもカバンと餃子とビールは!?

「力を込めて!」

「あっはい!」

言われるままに力を入れたら、棒の先端が輝いた。ステッキって言うべきかな、なんて少しだけ思考に余裕が生まれる。

「うがああっ!!」

怪物がアズライトを離して退いた。眩しさに目がやられたらしい。え、そんなことで退く?

「今よ!もう1回!」

「え、えーい…!」

もう1度振り下ろすと、先ほどより強い光が空間に満ちた。不思議と私にとってはそんなに眩しくは感じない。アズライトも隣で普通に居るし、あの怪物にだけ効くんだろうか。

「くそっ、こんな協力者がいるとは…!覚えてろよ!」

「おととい来やがれなさい!…で合ってる?」

「口悪っ……」

周囲に暗闇が戻ってくる。時計を見ると8時。20分ちょっとくらいかかったかな。帰ろうとして、この格好どうしようと止まる。徒にステッキを振ってみるとぽんっと石に変わる。これやっぱりあの石だったんだ。同時にカバンもパンプスも戻ってくる。スーパーの袋に石を放り込んで、さて…

「帰っていい?」

「ちょっと待って!話したいことがあるの!」

「…今じゃなきゃ駄目?」

「行かなきゃいけないの?」

「家帰りたいんだけど……」

「あなたの棲み家でお話するのは?」

「まあ、いいけど」

「じゃあお願い!」


我ながら押しに弱い気はする。ついてきた彼女は部屋の中でも存在そのものが浮いている。生憎そんな綺麗な部屋でもないし、お洒落な雑貨を置いているわけでもないから、余計に。

冷凍の米を温めて食卓…というか、ごちゃついたテーブルへ。大丈夫まだ置ける。餃子あっためなくて良いかな…もうめんどくさい…。流石にビールはぬるくなりすぎたので冷蔵庫。代わりに冷えたチューハイを開ける。

「それで、話って何?」

物珍しそうに飛び回っていた彼女が止まる。飾ってある絵の前で止まるから、本当にまるで絵画の中から出てきたみたい。特に気を遣わなかったけど、食事とかはいいんだろうか。何食べるんだあの身体は。

「あのね、これからも私を守ってほしいの!」

「ええ……なんで……」

「奴らはね、私たちの世界を壊しに来たの。だからどうにかしようって私はここまで来て、貴女がいた」

勝手に期待されても困る。

「貴女たちの世界だって危ないかもしれない。世界を守って!ヒヨリ!」

世界。突然大きな話になったな。私は私の小さな世界を生きていくのに精一杯だってのに。

「……どちらにせよ、仕事があるから日中は協力できない。今のうちに隠れ家とかを探したほうが賢明だと思う」

「隠れ家……確かにそうね。見つかるまでなら、ダメ?」

「……今月中くらいなら……」

「ありがとう!ねえ、それならまずこの棲み家を見て回ってもいい?」

「どうぞ。でもその棲み家って言い方やめてほしいかな」

風呂場のほうへ飛んでいった彼女を見送り、ベッドに倒れ込む。一応スマホのアラームを確認しながら充電コードに繋ぎ、徒にSNSを眺める。けれど脳裏にはずっと今日のことが浮かんでいた。試しに、とそれらしき単語を打ち込んで検索してみる。あ、アズライトって石の名前なんだ。でもそれ以外のめぼしい記述は出ない。当たり前か。暗くした画面にいつもの私の顔が映る。

「……あは、私、魔法少女じゃん……」

口に出したらちょっと笑えた。あの石は鞄のなかのまま。

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