未定2

@minatokafka

第1話

人生がぶっ壊れた。

沈まないと思っていた舟が気づけば沈没していた。

決して暴風雨の中、荒波を邁進しているような勇敢な航海はしておらず、

凪の中で、ほとんど浮かんでいるだけのような状態での

航海をしていたように記憶している。


見晴らしはよく、水平線で区切られた空と海は

めいめいがめいめいの青さを称えていた。

空の青さはリヒターの、海の青さはブルーピリオドのピカソの、

そんなふうに僕には見えていた。


違和に気づいたのは、水平線の先が灰色に曇りだした時だ。

凪のような状態に変わりはなく、

ゆったりとして気持ちのいい航海はこのまま続くかに思えた。

船にも異常はない。

デッキは綺麗に磨かれていて、帆も揚々とたなびいている。

最新製のモーターはたくましいエンジン音と共に

安定した走行を提供してくれる。


文句のつけようのない、快適な海の旅。

数年前、舟を持てず頼りない自分の身一つで

この海を泳ぎ、海水を大量に飲み込んでいた日々をふと思い出す。

海水の味は、もう鮮明に思い出すことができない。


「また来てくれたんだ」

小上がりから階段を上り、踊り場付近で彼女はそう声をかけた。

戦後最大級の遊郭として知られる飛田新地の一料亭にて

彼女は今日も艶やかな色気を振りまいていた。


仕事の都合で大阪に来てからというもの、

僕は飛田新地に日常的に通うようになっていた。


とにかく空白の時間が欲しかった。思考停止したかった。頭を何かで塗りつぶしたかった。

長閑な田舎町から居住を移し、騒がしい第一地方都市へ住処を移した僕は

質量の感じられるブヨブヨとした何かに首を絞められるような緊張感に苛まれており、その緊張感から日々無意識に逃れようとしていた。


「じゃあしよっか」

彼女はスルスルと服を脱ぎ始めた。十数秒の間に、著名なスポーツブランドのロゴが胸にデカデカとプリントされた濃紺のTシャツを脱ぎ、ダメージ入りでライトグレーのホットパンツを脱ぎ、そして実家にて特に下着を下着を気にする事がないときに着るような安っぽい白のブラジャーとパンツを脱いだ。


いつものことながらダッチワイフを抱いているような虚無感に襲われながら、僕は腰を振った。とても一人の人間とSexをしている感覚は持てなかった。明日花キララを基調とした女性観念図鑑の中から、好みの観念を選び、観念を抱いているようなものだ。


全てが作り物、高級オートクチュールに射精した。新たな生命を生み出す行為のはずなのに、僕の心は死んでいた。


「またきてね」

彼女は一瞬の間に服を着て、ちょんの間の外へと僕を誘った。階段を降り、おばちゃんに会釈し、手を振りながら別れた。外では別の観念が手を振り続けている。足早に通りを抜け、動物園前駅まで歩を進めた。





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