第5話 序章・奈々とあずき 5

 食事を終えた奈々は腕時計を見た。

 朝の九時だ。締め切りは十八時。ということは、あと九時間以内に東京タウンに着かなければならないということだ。


 軽トラックはダメになったものの、距離は充分稼げたから、ここからなら何とか間に合うだろう。

 邪魔者さえいなければ、だが。

 奈々は飛竜ワイバーンの目をどうやって誤魔化すか、真剣に考えた。


 ◇◆◇◆◇


「それ!」

 

 リリィの操る荷馬車が滝から飛び出た。

 走る。走る。

 遥か上空で飛竜が何匹も飛んでいるのが見える。

 洞窟から出る前に、荷車に認識阻害魔法を掛けたからか、まだ奈々たちは気付かれていないようだ。

 あとは、見つかるまでどれだけ距離を稼げるか。


 走ってしばらくすると、前方に沼地が見えてきた。

 沼の上に、長さ三百メートルはあろうかという長さの木製の橋が架かっている。


 ガタガタガタガタ!!


 荷馬車が橋に入った途端に、思っていた以上に大きい音が響いた。

 自分たちに一斉に向けられる気配を感じた奈々は、素早く杖を右手に構えた。 


 と、突如、沼地から飛び出すように無数の人影が襲い掛かって来た。

 泥まみれでぬらぬらした皮膚。

 鋭いカギ爪がついた水かき。

 完全に魚の顔で、濁った目が奈々たちを見る。


 沼地に棲む半人半漁の怪物、泥妖サムヒギンの群れだ。

 いやらしいことに、泥妖は雑食性で、好んで人間を食べる。


 ――認識阻害魔法が掛かってたはずだけど、これだけ荷馬車の走る音が大きいとやっぱり気付かれるかぁ。ゆっくり走って貰えば良かったかな。


「アグニ(火よ)!」

 

 右手に持った奈々の杖から、火球が飛び出した。

 何体かには当たって叩き落したが、二体ほど、荷台に乗ってくる。


「トゥルボ(竜巻)!」

 

 奈々の眼前に強烈な上昇気流が発生し、襲い掛かってきた泥妖たちを勢いよく吹き飛ばした。

 ところが。


 沼からいきなり巨大で長い蛇の首が現れ、落ちる泥妖の一体をパクっと咥えた。

 首の直径は、なんと一メートルはある。

 水蛇ストーシーだ。


 水蛇に咥えられた泥妖がキィキィ甲高い鳴き声をあげるも、次の瞬間丸のみにされた。

 奈々の目に、水蛇の長い首の中を胃に向かって落ちていく泥妖の姿がくっきり見えた。


「ぐっろ……」


 水蛇のお陰で残っていた泥妖は散り散りに逃げ去ったが、安心は出来ない。

 むしろ、水蛇の目がこちらをじっと見ているのが恐怖だ。


 ――さっき食べた泥妖だけでお腹いっぱいになったかしら。丸飲みは嫌だなぁ。


 危機を感じたリリィが荷馬車のスピードを上げた。

 猛然と土煙をあげて、ラクのひく荷馬車が橋の上を走る。


 だが、水蛇の視線はこちらに向いたままだ。

 当然のことながら既にこちらの動きを捕捉されているので、今から認識阻害魔法を使ったところでバレバレだ。 


 水蛇がゆっくり動き出した。

 こちらに並走するように、悠々と沼の中を泳いでいる。

 長大な体の大部分は沼の中だが、頭はしっかり外に出ている。

 ロックオンが外れない。


 奈々は水蛇を刺激せぬよう荷台の上でゆっくり後退あとずさりし、リリィのそばまで行くと、小声で何事かささやいた。

 ラクをぎょしながら、リリィがうなずく。

 奈々は杖をゆっくり顔の前に持ってくると、静かな声で詠唱を始めた。


「お嬢ちゃん、ちょっと揺れるから、しっかり掴まってるんだよ!」

 

 リリィの言葉を受けて、あずきが荷車にしがみついた。

 リリィも手綱を取りながら、静かに詠唱を始めた。


 並走しながら沼から頭だけ出していた水蛇の首が、徐々に現れ始める。

 上空から一気に襲い掛かるつもりか、首はどんどん空まで伸びていく。

 橋を渡り切るまであと少しとなったとき、水蛇の顔が口を大きく開けて、一気に降下してきた。


「ルクス(光よ)!」

 

 奈々はブーストカードを使った。

 強力な光の奔流が辺り一面を真っ白に染め上げる。

 目を眩まされた水蛇が目標を見失って、その場で立ち往生する気配がする。


「フォルティス ベントゥス(強風)!」

 

 リリィの呪文を受けて荷馬車に追い風が加わった。

 二頭のラクが全力で走り出す。

 

 だが、水蛇は置き去りに出来たものの、この強烈な光が飛竜を呼び寄せてしまったようで、上空に続々と飛竜が集まり始める。


 奈々は杖を右手に、ブーストカードを左手に持った。

 ブーストカードが発光する。


 飛竜が何匹か降りてくる。

 奈々は荷台に置いてあった毛布であずきをくるんで待ち構えた。


「イルージオ(幻影)!」

 

 次の瞬間、荷馬車を中心に箒に乗った奈々とあずきが何十組と現れ、それぞれが高度を取り、散り散りに散っていく。

 釣られた飛竜がそれを追っていく。


 奈々はブーストカードを離さず念を込め続けた。

 幻影は複雑な動きをして、飛竜を翻弄し続ける。

 何組か飛竜に噛みつかれるが、その瞬間、幻影は大量の煙を出して爆散した。


 空は大混乱だ。

 その分、荷車に気を向ける飛竜は一匹もいない。


 奈々は力尽きて荷台に座り込んだ。

 ブーストカードに描かれた文様がゆっくり光を失っていく。

 ブーストカードを連続で使った代償だ。体力の消耗が激しい。


「よくやった、奈々。そこでゆっくり休んでな」

 

 リリィが御者台から声を掛ける。

 奈々は疲れ果ててズルズルと荷台に尻もちをつくと、そのまま目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る