第29話 最上くんは空飛ぶ風船人形を目撃する

 豊田とよだコウセイがバンドをやるきっかけはこうだ──




 豊田は子供の頃から柔道をやっていたから高校でもとくに考えなく柔道部に入った。弱小柔道部だったが部員も顧問も熱心に取り組んでいる良い部だった。


 しかし高校に入学して最初のイベント──体育祭──ここで豊田は盛大に、柔道部を去ることになる。


 部対抗リレー。競技の合間の余興として行われ、野球部ならバット、テニス部ならラケット、書道部なら筆、吹奏楽部なら指揮棒、のように部活動に関係あるものをバトン代わりにして部員らがリレーする。柔道部は畳をバトンにする予定だった。


 しかしウケを狙った豊田は畳ではなく、ド◯キで購入した安物のビニール風船人形ダッチワイフに柔道着を着せ、それを抱いて走った。


 豊田の頭のなかでは会場が爆笑で揺れる場面をイメージしていた。しかし現実は信じられないくらいスベった。ドン引きした会場の静けさといったら遠くから子供たちが遊ぶ声が聞こえてくるほどだ。


「豊田ァー!」静寂を破り、怒号が木霊こだました。


 柔道部の顧問が真っ赤な顔をして豊田のほうへ突進してきた。豊田は捕まり校舎裏へとつれていかれた。


 その際、豊田のかかえていたビニール風船人形ダッチワイフが宙に飛んで、女子の席のど真ん中に落ちた。汚物を投げこまれたかのような悲鳴。静寂から一変、会場は阿鼻叫喚と化した。




 その後、豊田は柔道部を退部処分になり、陰で『フライング・ダッチ』とあだ名をつけられ、女子たちから軽蔑の眼差しを向けられるようになった。


 入学してからわずか二ヶ月、豊田の高校生活は終わった──




 やることも居場所もなくフラフラしていた豊田がたまたまみつけたのが軽音楽部だった。


 軽音楽部には名前だけの幽霊部員しかおらず、校舎の片隅にある部室には機材が埃まみれで放置されていた。


 豊田は中学のころに古いパンクロックを聴くようになり、それとともにドラムという楽器に興味を持つようになった。


 豊田は正式に軽音楽部に入部届を出し、放課後だれもいない軽音楽部の部室で一人、オンボロのドラマセットを叩く日々を過ごすようになる。それは夏休みのあいだもつづいた。


「放課後になると騒音のような下手糞なドラムが聞こえてくる」と一部の生徒のあいだで噂になったりもした。




 そんなこんなで二学期がはじまり、いつも通り豊田が部室で一人ドラムを叩いていると、ある生徒の来訪があった。豊田は「クレームか?」と身構えたが、結果的にはクレームではなかった。


「一緒にバンドをやらないか」


 来訪した生徒がそんなことを言い出したので豊田は目を丸くした。


「俺、初心者だし、ド下手なんだけど……」と豊田。


「たしかに上手くはないかもしれないけど、君が叩くようながいいんだ」とその生徒はいった。


 その生徒は、「最上もがみガモン」と名乗った。

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