観葉植物

鎹 秋

エピローグ

 風が心地よい。

 風と共に桜が吹雪くビル街、何気なく通っている道、桜が浮かぶ河川。今日は人生で最も良い日だ。

 人生の門出という人もたくさんいたであろう。これから頑張ろうって人にこんな見苦しいものを見せてしまって申し訳ないな。

 でも、僕はこれで救われたんだ。誰になんと言われようと、やり方が間違っていると言われようと。

 世界が逆さまに見えたのは初めてだったな。

 落ちてる瞬間はとても心地よくて・・・ほら、ジェットコースターの落ちる瞬間が常に続くような感じだった。

 いつも高いと感じていた桜の木が僕より低かったんだ。初めて世界が美しいと感じれたね。

 地面に頭から落ちてさ。割れたところからじんわりと暖かくなってきてね。痛みは脳内麻薬で無くなっていたよ。別に脳内麻薬それがなくても痛くなかっただろうね。それくらい自分が麻痺していたんだ。この世が楽しくなかったからね。

 いつもの僕に向けられた視線は今日に限っては歓声のように感じたんだ。ようやくゴールにたどり着いたんだって、長いマラソンだったよ。ゴール地点には赤く血で染まった桜とそれを見た者の嘔吐で悲惨だったけど。

 こんな状況でも救急車が一向に来ないものだね。

 そうそう、傍観者効果っていうのかな?

 みんなシャッターを切ることばかりを優先してさ。スマホ依存って怖いね。

 救急車で運ばれたのは21時30分あたりだったっけな?腕につけていたロレックスはバキバキでさ、どこで買ったとか全く覚えていないロレックスだ。ネットで調べたらものすごく高かったんだ。でも、もうこの際どうでもいいかなって思えたよ。

 救急隊の人が必死に話しかけてきてさ。僕の名誉ある行為を邪魔しようとしてきてたんだ、だからシカトしてやったよ。

 そこから記憶が無いな。

 そこでようやくわかったんだ。『神様はまだ僕を許してくれやしないんだって・・・』



 目が開いちゃったんだ。開いた瞬間一面真っ暗でね、一瞬あの世かと思ってしまった。でも、だんだん意識がハッキリとしてきて、声も出せるようになり、呼吸もはっきりして、涙も出た。

 生をはっきりと感じた...いや。感じてしまったんだ。

 人工呼吸器が取りたくて取りたくて仕方がなかったんだ。どうして殺してくれなかったんだ。どうして治療してしまったんだって。どうして誰か通報したんだって。憎くて...憎くて。外そうにも体が全く動かない。胴体は全く見えないようになっていてね、顔も天井を向いたまま固定されていたよ。

 声は出るんだけど大声は出せなくてね。一晩中「外してくれ」って連呼してたな。それでも誰も来やしなかった。

 結局朝になってようやく看護師が来てね。

 僕の名前を何回も何回も耳元で叫び続けやがった。それに加えて「良かった」だなんてほざきやがる。面倒くさかったのと憎悪を込めて「あ?」とだけ返してやった。

 看護師が隣で大喜びしやがってその後に来た医師まで一緒に喜んでさ。人の不幸は蜜の味ってやつかな、こちら側としてはそんな皮肉が入り交じっているように感じたね。

 世界の美しさに気がついてから一年と三ヶ月が過ぎたらしい。医師から教えてもらったよ。その間僕は植物人間だったらしくてさ。意識が戻る可能性はもう天文学的確率だったらしくてさ。やっぱり確率というか運というかそういうものはいつか収束するっていうのはあながち間違いではなかったようだ。

 僕はそんなことより、一年と三ヶ月の間ずっと治療を受けられるだけのお金を持っていたことに驚いたよ。一日を終えることで精一杯だったから。お金をどれだけ持っていたかなんて気にしていなかった。

 そのふんだんにあるお金を使ってほぼ一生の入院生活を強いられた。一生とはいっても残り短いらしいんだけどね。

 早速診断が始まった。その間も僕は何も話さず、不貞腐れながら天井を見上げていた。

 終わった頃には時計の針が二週目を終わろうとしていた。

 そんな生活がずっと続くのかと思うと気が滅入りそうだった。僕の人生で唯一の娯楽であった本すら自由に読めない、買えない。もちろん病院に僕の私物はほとんどなかったよ。落ちた日に持っていた通勤用のカバンとその中身だけだった。ただ、その横でロレックスが綺麗な形で飾られていた。バキバキだった部分も治っていて時計の針も動いていた。「誰が治してくれたんだろう。」

 そんなことを考えているうちに眠ってしまっていた。

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