新聞
白井
新聞
駅のホームで、新聞を読んでいた。と言っても、それはどこかで買った新聞ではなく、ホームの椅子の上に置いてあったものだ。僕はそもそも、日頃、自分で新聞を買ったことはない。それなのに、どうしたことだろう。なぜ読み続けているのだろう、と我ながら疑問を抱いた。そもそも何が気になって手に取ってしまったのかすらわからない。
視線を上げると、電車が目の前を通り過ぎていった。もしや僕が乗るはずだった電車だろうか。だとしたら、困る。というか電車がきたことに気づかないほどに集中していたのか?
その時、僕に話しかけてくる人がいた。僕は顔をそちらに向ける。中学生くらいの男の子だった。制服を着ていて、メガネをかけている。いかにも真面目そうで、知的な視線が刺さる。僕はよく聞き取れなくて、聞き返した。
「はい? なんだって?」
「その新聞、僕のものなんです」彼は無表情でそう言った。「ここに置き忘れてしまって。それ、返してください」
僕はなんとなく、彼をからかってみようと思った。不思議な心の変化である。
「これ、僕が買った新聞なんだけど」
彼は驚いた表情をする。と言っても眉がピクリと上がっただけで、これといった変化は見られなかったが、僕にはわかった。
「嘘はやめてください。それ、僕の知り合いが無料で配っているものなんです」
してやられた。と思いながら僕の顔は熱くなった。「そうか、嘘をついてごめんね。じゃあ返すよ」
「あげます」今度はこちらが驚く。彼はにこやかに微笑んでいるではないか。「僕、ずっと見ていたんです。あなたが二十分もずっとその新聞を読んでいたのを」
「え、二十分?」
そんなに時間が経過していただろうか。頭がぼんやりとして、視界もだんだんぼやけていった。
「面白いですよね、それ」
「あ、ああ。まあね」僕はしかし、この新聞の内容を一ミリも覚えていなかった。なぜだろう、なぜこんなにも惹きつけられていたのか。
「じゃあ、僕、これで失礼します。その新聞、ぜひいろんな人に見せてください。きっと友人が喜びます」
彼はそう言って、去っていった。また新聞を眺めながら僕は立ち上がった。そして歩き出していた。新聞を読みながら、だ。
僕は僕の気持ちに抗えなかった。僕の体は機械人形のように動いていた。どこへ向かっているのだろうかと僕はうっすらと思っていた。
新聞を読みながら道を歩く。道行く人をすらりすらりと躱しながら、僕は前に向かって歩き続けている。
僕を止めるものは誰もいなかったし、僕を助けてくれる者も誰一人としていなかった。
ここはどこだろう。
僕は誰だろう?
僕?
もう何もわからなかった。
新聞 白井 @takuworld10
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます