彼女の笑顔は
八日郎
第1話 はじめてのきもち①
山内は生徒と特別な関係を持っている。あたしだけが、山内とその子の関係を知っている。でも、あたしは知らないふりを貫き通すことを決めた。
いつかちゃんと話せるときがくるまで、あたしは山内へ抱いていた気持ちを忘れない。
春休み明け最初の登校日は、クラス替えの結果が発表される。
長期休みが明けてはしゃぐ生徒たちで、学校中がお祭りみたいに大騒ぎになってる中、始業式って気分じゃなかったのは、きっとあたしだけじゃなかった。
体育館にいる全員が、長ったらしい校長先生の話なんかはなから聞いてなくて、これからの新学期のことを考えていた。
司会進行をしている生徒会の子の、「新しく赴任してきた先生たちの紹介です。校長先生おねがいします。」という声を聞いて、さっきまで上の空だった生徒たちの意識が、やっと壇上に集中し始める。
去年いなくなった数学の鬼教師の代わりに、今度はどんな怖い先生が来るのかと、みんな興味があったのだろう。
そこで紹介されたのが、山内だった。
おっさんばかりしかいない教師たちの中で、比較的若いというだけで、女子の注目は一気に山内に集まった。
同級生に、地味なやつと、勘違いしたチャラ男しかいない私たち女子の目に、はきはきした年上の男の人がかっこよく映るのなんて、当たり前だった。
イケメンというほどでもないけど、知的な雰囲気を纏って、すっと壇上に立つ山内を見て、周りの女子たちがひそひそと「ねえ、あの人かっこよくない?」「かっこいいよね」と囁き始めた。
当時イケメン大学生と付き合っていたあたしには、いくら目立つとはいえ、所詮山内は壇上に並ぶおじさんの中の一人だったし、そのときはさほど興味もわかなかった。
それから、女子トイレが山内の噂でもちきりになるのに、そう時間はかからなかった。
○
休み時間のトイレは、やたら混む。
男子がどうかは知らないけど、女子トイレはそう。
別に用を足したいわけでもないくせに、ただ教室から出て友達とおしゃべりする場所に、女子はトイレを選ぶ。
なんとなくってこともあるだろうけど、大半は男子に聞かれたら困る話をするからだ。
正直あたしは、狭いトイレの鏡の前で長話するのは、そんなに好きじゃない。
個室から出てきた側からしたら、蛇口の前でたむろされるのって結構邪魔だし。
「昨日、三組の中野、山内に告ったって」
用をすませて個室を出ようとしたとき、外からそんな声が聞こえた。
声からして、話してるのは二組の本間たちだろう。
突然聞こえた自分のクラスの子の噂話に、あたしはなんとなく興味がわいて、掴んでいたドアノブからそっと手を離した。
中野は、あたしの斜め前の席の子で、それなりによく会話する子だった。
目立つわけではないけど、人懐こくてよく笑う子っていうのが中野の印象。
なんとなく、教師に恋して告白するって感じではないような気もするし、意外だった。
中野、山内みたいなのがタイプなんだ。
「え? 中野? ありえないでしょ」
「生徒をそういう風には見られない、って振られたってさ」
「いや、中野が山内と付き合うことになったりしたら、フツーに爆笑なんだけど」
「確かにー」
キャハハハと、トイレに高い笑い声が響く。
中野のことをこき下ろして笑っているけれど、あたしは本間たちの甲高い笑い声より、中野の子供みたいな笑い声の方がかわいいと思う。
本間たちの口からは、次から次へと中野を標的にした悪意のある言葉が溢れ続けている。
本間たちは、二組で一番目立つ子たちの集まりで、グループは本間を中心に四人。
その全員が山内を慕っていて、校内に結構な人数がいる山内ファンの中で、絶対的な強さを持っている。
数学の問題について職員室まで質問に行った子が、先に職員室にいた本間たちに睨みつけられて逃げ帰る、なんてことはしょっちゅうだし、ちょっとでも山内に気のある素振りをする女子が現れたりなんかしたら、本間たちは絶対に黙っていない。
中野の話もどこから聞いてきたのかは知らないけど、山内に関する噂は必ずと言っていいほど聞きつけてくるのだから感心する。
「あれ、亜紀。いたんだ」
トイレから出ると、本間が親しげに話しかけてきた。その声につられて、本間の周りを囲う子たちの視線が、一気にあたしに集まる。
その視線には、さっきまで中野に向けられていたような無邪気な悪意は感じない。
みんなそんなものないように振舞ってはいるけど、女子たちの中には、上下関係のようなものが存在している。
派手でかわいい子たちが上位、地味でおとなしい子たちが下位っていう、暗黙のカースト制度。
自分が誰より上で、誰より下っていうのを、口には出さなくても女子はみんなわかっている。
中学のときから感じていたけど、高校ではより一層それを意識するようになった。
女の敵は女だなんて言うけど、まさにその通り。
自分で言うのも変な話だとは思うけど、あたしはそれなりに目立つ方、つまりカーストの上の方にいる。
大人数の派手なグループにいるってわけじゃないけど、親友の木口優美とあたしは、派手な子たちからも一目置かれているような気がする。
あたしたちが、女子同士のいざこざが面倒くさいからといって、一歩引いたところにいるからかもしれない。
周りには、波風立てず、どこのグループにも所属しないで中立を守っているように見えているのだろう。
もちろん、見た目にもそこそこ気を使ってるから、派手とまではいかないけど目立つ方だとは思う。
学生生活において、この立場っていうのは結構大切で、これが守れるかどうかによって、学生生活を楽しめるかどうかが変わってくるってあたしは思ってる。
だからこそ、ちょっとのいざこざでその立場が上下に変動しやすい女子の集団行動っていうのが、あたしには合わないのかもしれない。
「声でかいって。たぶんトイレの外まで笑い声聞こえてるよ」
「うっそ、まじ? やっば」
本間がいたずらっ子みたいな顔でにひひと笑う。
いつもこういう風に笑ってたらかわいいのに、集団で行動しているときの本間は、ちょっと近づきにくい。
本間とつるんでいる他の子たちもそうだ。
女子が、大人数になった途端ほかの人を威嚇するような雰囲気になるのは、いつも不思議でたまらない。
本人たちにそんなつもりがないこともわかってるから、余計不思議だ。
「あんまりいじんないでやってね。中野、結構いい子だよ」
「あはは、おっけー」
本間たちに意見するときは、あくまでふざけた調子で。
本間は単純だから思ったまま行動してるだけで、話は分かる。
空気を壊さないように話せば、多少きつい内容のことを言ったとしても嫌な顔はしない。
「亜紀、今の話、これだかんね」
本間が、自分の唇の前に人差し指を立てて、「シー」のポーズをとる。
あたしは「はいはい」と適当に返事をしながら手を洗って、トイレを後にした。
あたしの背後で、本間たちはまた楽しげに会話を再開する。
高い笑い声は、案の定トイレの外まで聞こえた。
教室に戻ると、中野の席の周りに人が集まっていた。
中野は机に突っ伏していて、周りに集まった友達が、静かに中野を励ましたり、背中をさすってあげたりしていた。
席が教室の真ん中にあるせいで、中野が泣いているのに教室にいる全員が気付いてて、教室の中に居心地の悪い空気が充満している。
みんなは、中野たちの方をあまり見ないように気を使いつつ、でも気にはなるようで、意識だけは中野のすすり泣きに集中していた。
本人たちは自分たちの世界に入っちゃってるみたいで、教室のこの変な雰囲気に全く気が付いていないけど。
斜め前にできた異様な空間を見ながら自分の席に着きつつ、後ろの席でブランケットを枕に突っ伏して寝ている優美の頭をつつく。
「ぶえ」と間抜けな声を出して頭を持ち上げた優美の顔には、ブランケットのしわの跡がくっきり残っていた。
「え、ちょっとなにこれ、どうしたの」
顔に残った跡をこすりながら、優美が中野たちの方を見て怪訝な顔をした。
「いや、あたしもさっき帰ってきたばっかで、わかんないんだけどさ」
山内絡みなのは確かだと思うけど、教室で人目も気にせずに泣くほど、中野は山内に振られたのがショックだったのだろうか。
あたしは人前で泣くのが嫌いだし、教室中の注目を集めて泣くのなんか、もっと考えられない。
そもそも、振られて泣くっていう感覚も、あまりよく分からない。
ドラマや映画のヒロインが失恋して泣いているのを見て、優美はつられて泣いているけど、あたしは「可哀想だな」と思う程度だし。
今の彼氏に振られたとしても、多少落ち込んでも泣きはしないと思う。
「なんか、山内センセに告って振られたっぽいよ」
優美は眉をハの字にしてあたしに小声で言ったあと、隣の席で集まってしゃべってた子たちに「ありがとねー」と手をひらひらさせながら言った。
どうやらその子たちに、中野が泣いているわけを教えてもらったらしい。
あたしもその子たちを向いて、「さんきゅ」と片手を上げたあと、優美の耳元に口を寄せる。
「それは知ってる。さっきトイレで本間たちが話してた」
「ボロクソに言ってたんでしょ。中野、たまたまそれ聞いちゃったんだって」
たしかにあれだけ大きい声で話していたら、笑い声だけでなく話の内容までトイレの外に聞こえていてもおかしくない。
自分が噂されているのを偶然聞いてしまうなんて、なんて運が悪いんだろう。
ただでさえ山内ファンに怖がられてる本間たちの、自分を名指しした陰口なんか聞いてしまったのだから、中野の感じた恐怖は相当なものだったはずだ。
中野はそのまま、授業が始まるまで机に突っ伏して、本間たちへの恐怖からくるのか、失恋のショックからくるのかわからない涙を流していた。
肩を震わして、声を殺して泣いている中野はまさに悲劇のヒロインって感じで、そんな中野を見ていると、あたしには一生、あんな感情の起伏が訪れることはないんだろうなと、ぼんやり思った。
もちろん、羨ましいとは微塵も思わなかった。
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