戦慄と呼ばれた鉛筆

白井

戦慄と呼ばれた鉛筆

 夜、僕の家のインターフォンが鳴った。

 家族は海外旅行に行っていて家にいなかった。僕は服を着替えて二階から一階に降りる。着替える時間が長かったので、もうひとはいなくなっているだろうと思っていた。

 扉を開ける前に、一階の窓から外を見た。誰だろう。だが、すぐに安堵する。知り合いだった。だが、疑問が湧いた。どうしてこんな時間に来たんだ?

 ドアを開けると、彼は微笑んで会釈をした。僕もつられて頭を下げる。そうすると、彼が一歩ドアに近づく。

「暇だったかな。忙しいなら帰るけど」

「いや、暇ですよ。今日は家に誰もいないし」

「え? 誰もいない?」彼の笑みが嬉しそうに、広がったように思えた。「じゃあ、冬くん。一緒に散歩しないかい。話したいことがあるんだ」

「ええと、散歩ですか?」

「そうだよ、夜歩く、とでも言おうか」

 夜歩く、というのはどこかで聞いたことのある言葉だった。だが、思い出せない。

「それに、僕だけじゃないんだ。この子もいる。冬くん、知っているだろう。この子は……」彼の陰から一人の女の子がぴょこんと顔を出した。

「あたしの名前は覚えてくれたぁ?」

「うん。覚えてるよ。藍子ちゃんだね。よろしく」

 彼女は大きな目を瞬かせて、彼の手を引っ張った。彼らは仲がいい。今時、小学生と高校生が手を繋いで歩くなんてことは珍しい。往時はどうだっただろうか。知らないけれど。

 僕は家の鍵を持ってきて外に出ると鍵を閉めた。そして、僕たちは歩きだした。

「話ってなんですか?」

「ちょっと失くし物をしてね」

 その時、藍子が体を震わせた。「うう、寒い」

「上着貸そうか」

「ありがとう」

 彼が藍子に上着を脱いで渡したのを見て、つくづくこいつらは仲がいいなと思ったものだった。

「それでね、失くし物、というのは、僕の鉛筆なんだ」

「なんだ、鉛筆ですか。買い直せばいいじゃないですか」

 僕は呆れた声を出そうとしたが、無理だった。少し酷な口調になってしまった。すぐ後悔する。

「それがね、ただの鉛筆じゃないんだよ」

「そうよ、すごい鉛筆なの」藍子が下を向いて言った。

「へえ、どんなのですか?」

「その鉛筆はね、『戦慄』と言われている。とあるホラー作家が幼少期に使っていた鉛筆なんだ」

「へええ、ふえええ」

「僕を馬鹿にしているのかい」

「いえ、驚嘆していました。そんなすごい一品を持っているなんて」

「僕はね、別にコレクターじゃないんだ。だから失くしたと言っても、そこまで動揺はしていない」

「え、そうなの?」藍子の顔は見えないが、不思議そうにしているような口調だった。「だって、あれ、かなりのレアものだったんじゃないかしら」

「ああ、そうなんだけどね、でも、売っても大した金にはならない。背景を知っているから重宝される類でね。それに、ほぼただでもらったようなものだし」

「なんだ、じゃあいらない」藍子の足元で石か何かが蹴られるような小さな音がした。

「僕も要りませんよ。そんなもの。なくなっても後悔していないんでしょう、ならいいじゃないですか」

「それがね、鉛筆を舐めるような人の手に渡ると大変なんだ」

「ええ! どうして?」藍子が声をあげた。

「言ってなかったか、藍子には。そうなんだよ、あの鉛筆、芯がとある毒物でできているんだ。藍子みたいな子に渡ったら大変だ」

「まさに戦慄じゃないですか。そんな危険なものなんですか?」

「そうなんだよ、と言ってもホラー作家の本人の弁でね、本当にそうなのかは確かではないし、舐めたこともないから知らない。ただ、その可能性があるというだけでね」

「ちょっとお腹が痛いわ」彼女がコロコロと笑う。

「どうしたんだい」

「ははは、はは……」

 数秒の沈黙。僕の心に動揺が走る。

……そうよ、すごい鉛筆なの。

……え、そうなの? だって、あれ、かなりのレアものだったんじゃないかしら。

……なんだ、

……いらない。

……ええ! どうして?

 もしかして。

 僕は立ち止まってこう言った。

「さっきの場所に戻りましょう。携帯はありますか?」

「スマホのことかい? それならあるけど」

 僕たちはお腹を抱える彼女を連れて、さっき彼女の足元で音がした方へ向かった。

「あかりをつけてください」

「雪洞に?」

「おふざけはやめてください」

「オーケー。なんとなくわかったよ。そういうことか」

 彼は足元をあかりで照らした。そこに鉛筆が落ちていた。

「どうしてこんなところに?」

「説明するわ」藍子が苦しそうな顔でそう言った。


 結局、こういうことだった。藍子が鉛筆を盗んだらしい。高い値段で売れると思ったのだそう。だが、それが只同然の代物だと気づき、道の途中でわざと落として蹴り飛ばしたのだそうだ。毒入りだと知り、動揺し、そして、鉛筆を僕たちが見つけたので、白状したのだ。

 真相はそんなものだった。

 あっけなく終わった、事件のような、日常の謎のようなものだった。

 そして、件のホラー作家は、あれは冗談だ。毒なんてない。と後に笑いながら言ったそうだ。

 ろくな作家じゃあないに違いない。

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戦慄と呼ばれた鉛筆 白井 @takuworld10

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