第54話 不器用な優しさ


 手首を捻挫してすぐの週末。肩掛けの鞄を持って電車に乗った。目的地がこの間リニューアルオープンしたばかりのショッピングモールと言われたから、服は少しだけ動きやすさを引いても可愛いと思ってもらえそうな黒のワイドパンツを選んだ。


 上着は少しゆるっとしたポケット付きの白いロゴ入りのパーカー。靴は黒のローファーを合わせてちょっとだけ大人な雰囲気にまとめてもらった。自分で選んだら絶対にスニーカーを選んでいただろうけど、流石真昼姉ちゃんだ。


 伸びかけのマッシュルームヘアは夕凪姉ちゃんがハーフアップにまとめてくれた。黒くて細いリボンで縛ってくれたから、その端がヒラヒラと揺れて可愛い。と、自分では思うけど武蔵くんはどう思うんだろうか。


 今日は武蔵くんとのデートの日。だから気合いをいれたんだけど、気が付いてくれたら嬉しいな。


 1駅だけ電車に揺られて降り立ったホーム。高校の最寄り駅の1駅手前だからそこまで物珍しい景色でもないけれど、武蔵くんとデートだと思うと景色の全てがキラキラと輝いているように見えた。


 無人の改札を抜けて人もまばらな待合室に出ると、ガスストーブが焚かれているそのすぐ傍に会いたかった人がいた。ストーブに手を翳すその少し丸まった背中が可愛い。



「武蔵くん!」


「聖夜。おはよう」



 武蔵くんがこっちを向くと、その瞬間光が跳ねた気がした。


 黒いカーゴパンツにゆるっとした黒のパーカー、厚底の黒いスニーカー。全体的に真っ黒で締まって見えるけれど、動きやすそうなゆるっとしたシルエットが身長の高さと引き締まった身体によく似合う。



「聖夜? どうした?」


「ほぁっ!」



 見惚れてしまっていると、心配してくれた武蔵くんがグイッと顔を近づけてきてびっくりした。慌てて仰け反ると、武蔵くんがサッと手を伸ばして受け止めてくれた。その腕の逞しさに今日も安心して、激しく動いていた心臓が少し穏やかになった。



「ご、ごめん。その、格好良いなと、思って……」


「ん? そうか? ありがとう」



 正直に伝えると、武蔵くんは照れ臭そうに笑って頬を掻いた。やっぱり仕草が可愛く見えて、格好良いのに可愛さも持っているとか羨ましいと思う。けれど、こんなに素敵な恋人がいて自慢したい気持ちにもなる。



「それじゃあ、行こ」


「ああ」



 今日は布田尾ショッピングモールに併設されている映画館で今流行っているミステリ映画を観て、一緒にショッピングをする予定だ。


 実は元々遊園地に行って遊ぶ予定だった。だけどボクが怪我をしたからと予定を変更してくれた。ちょっぴり残念だけど、遊園地はまた今度行けば良い。今日は武蔵くんの優しさに甘えてゆっくりしたデートをしたい。


 ショッピングモールに着くと、武蔵くんは早速ボクを映画館の方に手招いた。館内は休日とあってすごい人混みと熱気がする。それに暖房も効いていて温かい。今日は手袋が付けられないから手先も冷えていたし、温かい場所にいられるのは嬉しい。本当に、冬に捻挫をすると厄介だ。



「じゃ、まずチケットを取ってくるから聖夜は待ってて」


「あ、それなら一緒に……」


「いや、あっち人多いし。時間とか席とか、勝手に決めちゃって大丈夫?」


「それは良いけど……」


「了解。あそこのチラシとかある方なら空いているから、そっちにいて」



 さっさと発券機の方に行ってしまった武蔵くんの背中を追いかけようとして、目の前を知らない背中に遮られた。ボクだってそれなりに身長が高いのに目の前を瀬切られるなんて、この人は武蔵くんよりも身長が高そうだ。


 前の人がいなくなってやっと前が見えたかと思ったらもう武蔵くんの方には行けそうになかった。もやっとした気持ちを抱えたまま、諦めて言われた通りにチラシが置かれた棚の前に移動してチラシを1作品ずつ眺めた。


 今日観る予定のミステリ映画は、武蔵くんとお互いにミステリが好きだから選んだもの。ボクは他にもロマンス映画が好きだ。1人では見に行きづらいときは夕凪姉ちゃんに付き合ってもらうこともある。ロマンス映画を男1人でというのは、まだまだ変な目で見られている気がするから。


 実は楽しみにしている映画のチラシをそっと1枚もらってカバンに仕舞う。これは今度夕凪姉ちゃんと観に来ようかな。主演は真昼姉ちゃんの好きな俳優さんだし、真昼姉ちゃんを誘っても良いかもしれない。


 他には何か興味を引くものがないかと思って眺めていると、突然後ろから肩をポンッと叩かれた。ビクッとして振り返ると、武蔵くんがいたずらっぽく笑っていた。



「びっくりしたじゃん」


「ははっ、悪い悪い。ほら、チケット。お昼過ぎの回でちょうど見やすいところが空いてたからそこにしてきた」


「ありがとう」



 チケットを受け取って鞄のポケットに仕舞う。そのまま用意しておいたちょうどの額を武蔵くんに渡そうとすると、武蔵くんは少し渋ったけれど受け取ってくれた。ボクとしてはこういうときには割り勘が良い。



「恰好はつかないけどな」


「んふふっ。奢るのは大人になってからね」


「そうだな。これから機会はいくらでもあるか」



 武蔵くんは幸せそうに微笑んだ。



「よし、じゃあ時間まで買い物でもして昼飯食べようぜ」


「うん!」


「じゃ、ここを出るまでは俺の服でも掴んではぐれないようにしておけよ? 転んで怪我を悪化させたくはないから」



 武蔵くんはそう言うとキョロキョロし始めた。言われた通りに武蔵くんの服の裾を掴みながら歩き始めてすぐ、人が少ない場所を選んでくれていることに気が付いた。ここまで上手く人を躱して歩けるなんてすごい。


 それに、武蔵くんの考えていることがやっと分かった。武蔵くんはボクの怪我が悪化しないように、なるべく危険を避けようとしてくれているんだ。武蔵くんは当然のように振る舞っているけれど、そんな優しさを向けられ慣れていないとはいえ、もっと早く気が付いてあげたかった。


 さっきだって、寂しくなって追いかけようとしてしまったし、内心拗ねてもいた。折角のデートなのにって。


 優しさが染みて、無性にその手に触れたくなった。服からそっと手を離して、武蔵くんの手の方に自分の手を伸ばした。けれどもう少しで触れられそうなところで手が止まる。


 こんな人混みで手に触れるなんて武蔵くんの迷惑になってしまう。グッと手を握り締めて我慢して、また武蔵くんの服の裾を握り直した。


 どこかもやもやした気持ちを抱えたまま映画館を出ると、ひゅーっと冷たい風が吹いて身震いした。暖房の温かさも人の熱気もなくなるとここまで寒いものか。武蔵くんから少し離れてからお腹のポケットに手を突っ込んで手を温める。


 寒いけど、淀みのないこのキンと張り詰めたような澄んだ空気は嫌いじゃない。ゆっくり呼吸をして空気を楽しんでいると、武蔵くんがボクを手招きした。



「早く入ろうぜ。さみぃ」



 武蔵くんもブルブルと震えていて、ボクよりずっと寒そうだ。そういえば前に言っていたっけ、筋トレのし過ぎで寒さに弱いって。



「そうだね。早く行こう」



 2人で足早にショッピングモールに駆け込むと、また中は暖房の温かさと人の熱気に満ちていた。



「あったけぇ」


「だねぇ」



 2人でぬくぬくと温まりながらゆっくり歩いていると、周りの人たちのセカセカしたスピードに巻き込まれて転びそうになる。それに気が付いたのか、武蔵くんはサッと端の方の人気のないところまで誘導してくれた。



「聖夜、どこか行きたいところある?」


「そうだなぁ。雑貨屋さんとか、服屋さんもちょっと覗いて良い?」


「ああ。了解」



 すぐ近くのゲームセンターから漏れてくる音に負けないように少し声を張って話す。音が大きいおかげでいつもより近い距離で話せることに少しドキドキする。



「とりあえず1階から回るか」


「う、うん!」



 余韻を楽しむ間もなく歩いて行ってしまう武蔵くんの背中を追いかける。粋先輩はボクを待ってくれるから、こうやってちょっぴり振り回されるのは少し珍しくて楽しい。



「ねえ、また人混みになるし、裾を掴んでいても良い?」



 追いついた背中に声をかけると、武蔵くんは振り向いて困ったように頭を掻いた。



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