第50話 頼れる従兄弟
side吉良聖夜
初めて認めてもらえた。
先生からされたことは、今まで誰にも言えなかったから。いじめられたことは家族に言えたし、同性にしか惹かれないことは月ちゃんと星ちゃんに話せた。
だけどこれだけは、どうしても話せなかった。恥ずかしくて、悔しくて、可哀想だと思われたくなくて、そんな言葉じゃ表せないもやもやした感情があって。粋先輩と武蔵くんには話すと決めてからも、話して嫌われたらと思うと怖かった。
殴られたときのこともあの時のことも、思い出すことも辛くて見えないように蓋をしていた。自分の中に厳重に鍵を掛けた状態で溜め込んだ。だけどどんなに押し込んでも、デジャブを感じると蓋は開いてしまう。
思い出してはどうしようもない気持ち悪さに襲われたけれど、それを必死に隠してきた。家族はきっと気が付いていたけれど、何も言わずにボクが笑顔になることができる場所を作ってくれた。
ずっとそれで良いと思っていた。外では自分らしくいられなくても、家ではありのままでいられたから。家で幻覚を見ることはなかったから。安全な場所があると思えば何とかやってこられたし、これからもやっていけると思っていた。
でも、それは間違いだった。粋先輩と武蔵くんと付き合うようになってから、相手は2人だと分かっているのに身体が強張って震えてしまった。2人もそれに気が付いたようで、次第になるべく急には近づかないように気を付けてくれるようになった。
自分のせいだけど寂しくて、自分から触れようと頑張った。頑張れば2人は嬉しそうにしてくれたから、初めて向き合って変わらないといけないんだって思えた。
「ありがとう」
逃げることも正解だと認めてくれてありがとう。こんなボクを大切だと思ってくれてありがとう。ボクがボクであることを許してくれてありがとう。
「ボクも大好き」
自分を繋ぎとめるように強く抱きしめてくれている腕に手を添える。2人とだったらいつか克服していけるはず。頑張って、2人とずっと笑っていられるようになりたい。
「ふふっ」
漏れ出たような笑い声が聞こえてハッとする。頬杖を突きながら微笑みを浮かべてこっちを見ている丸山先生と目が合って、一気に居たたまれない気持ちになる。
「ふ、2人とも……」
「気にすんな」
「こらこら」
離れようとしない武蔵くんを粋先輩が引き剥がす。親族にこんな場面を見られるわけだから、武蔵くんが1番恥ずかしさを感じると思うんだけど。
「べつに良いだろ」
「いやいや」
また抱き着いてこようとした武蔵くんに、粋先輩が耳元で何かを囁いた。口元も手で隠されてしまったから何を言ったのかはこの距離でも全く分からない。
「それは、まあ」
「でしょ?」
「分かった」
納得したらしい武蔵くんは椅子に座り直すと丸山先生に向き直った。
「これからも、もし聖夜に何かあったら頼らせて欲しい」
「もちろんよ。吉良くんはあたしにとっても可愛い従兄弟になるんでしょ? 当然味方になってあげるわ。吉良くん、遠慮せずにここに相談に来なさいね?」
「あ、ありがとうございます」
教師に相談なんてあれ以来考えていなかったけれど、丸山先生なら助けてくれると信じることができた。武蔵くんの家族だからかもしれないけど。それにしても、従兄弟になると言われると照れ臭くて顔が熱くなってしまう。
「北条くんもよ? あなただってあたしの従兄弟になるんだから、遠慮せずに頼ってくれて良いのよ?」
「分かりました、ありがとうございます、美和子さん」
「あら、やっぱり距離の詰め方がチャラ男ね」
「えぇ?」
ニヤッと笑った丸山先生に揶揄われて、粋先輩はとぼけたように肩を竦めて笑った。そしてチラッと時計を見ると椅子から立ち上がった。
「武蔵くん、聖夜くんのことをお願いします」
「会長、どっか行くの?」
「はい。彼らのことを蛍たちに任せてしまっていますから職員室の方へ。彼らは僕の知り合いですからきちんと話をしておきたくて」
当事者だし一緒に行かなければと思うけれど、足が竦んで動くことができない。口も糸で縫われてしまったみたいに思うように動かせなくて、ただわなわなと震えるだけになってしまう。
「聖夜くんはここにいてください。大丈夫です。話をするだけですから」
自分が納得できなくて、足も口も動かないくせに手だけが引き留めるようにズボンを摘まんだ。
「聖夜くん……」
粋先輩が心配そうにボクの顔を覗き込みながら頭を撫でてくれる。その温かさにホッとして、ようやく口が動いた。
「ボクも、行かないと」
「大丈夫、大丈夫ですから」
紡いだ声は情けなく震えるし、粋先輩を引き留めた手も次第に震えてくる。どうしようもなくなってしまったボクの手に、武蔵くんの大きくてゴツゴツした手が重なった。
「ここは会長に任せよう。無理に会うこともない。会えないなら会えないで良い」
ちょっとぶっきらぼうだけど真っ直ぐな言葉に素直に頷く。
「今日は、粋先輩に頼らせてください」
「これからいつだって頼ってください」
ふわりと微笑んだ粋先輩は、1度ボクを優しく抱きしめてから保健室を出て行った。その表情は生徒会長としてみんなの前に立つ、あのキリッとしたものだった。
「ほら、聖夜は保冷剤交換するぞ。もう少しちゃんと冷やしておこう」
「そうね。武蔵、取って来て」
「へいへい」
武蔵くんが冷凍庫の方に行くと、丸山先生がボクの手を取ってすっかり溶けてしまった保冷剤を外した。
「吉良くん、トラウマの克服は焦るほどに上手くいかなくなるものよ。武蔵と北条くんのために頑張りたいって気持ちが先走ってしまったり、迷惑を掛けているって思ったりしたらあたしのところに来なさい。力になるわ」
「ありがとうございます」
「大丈夫よ、あなたは自分が思っている以上に周りから愛されているわ」
俯きがちに話す丸山先生の言葉は柔らかくて、頑張ろうと肩肘張ってしまいそうになっていた心をスッと包み込んでくれる。
ボクの味方は粋先輩と武蔵くんだけじゃない。お父さんとお母さん、朝日姉ちゃんと達哉兄ちゃんと真昼姉ちゃん、夕凪姉ちゃんもいる。月ちゃんと星ちゃんもいるし、丸山先生も味方になってくれた。
数え切れないほどいるわけではないけれど、これだけ頼れる人がいると思うと心が温かくなる。
「蛍先輩とか昴先輩とかさ、天文部の人たちも聖夜の味方になってくれると思うぞ」
「そうかな?」
武蔵くんは取ってきたキンキンに冷えた保冷剤を丸山先生に渡すと、またボクの隣に腰かけた。
「そうだろ。じゃなきゃ蛍先輩もあんなに必死に走って俺たちのこと呼びに来てくれねぇだろ。蛍先輩もあいつらが逃げないように見張ったり、連れて行ってくれた。聖夜のことすげぇ心配して、聖夜のために動いてくれたんだ」
「最初に駆けつけてくれたの、多分蛍先輩と昴先輩だったんだ。聞いたことある声だって思って安心した」
「そっか。あとでお礼言おうな」
あのときは意識がはっきりしていなかったからよく分からなかったけれど、今思えばあの声は確かに蛍先輩と昴先輩の声だった。
新しい保冷剤の冷たさに身震いしたけれど心は温かい。武蔵くんと粋先輩と出会わなければ生まれなかった縁から繋がった人たち。卒業まで名前も知らなかったかもしれない人たちに自分がここまでの安心感を抱いていることに驚くけれど、きっと友達と恋人ができて、家族以外から愛されることを知ったからだと思う。
「あ、手首がこれじゃあ、庶務係の仕事どうしよう」
「あー、まあ、何とかなるだろ」
一気に武蔵くんの歯切れが悪くなる。今でさえ人手が足りないと言われているのに、これ以上危機的状況に追い込むわけにはいかない。頭ではそう思うけれど、現実は無常だ。
精神的な問題は軽くなって、感動的なシーンが終わる。その先には現実が続いているのが世の常ということか。
「お昼休みにレオ先輩に連絡してみる」
「そうだな」
朝からこんなことになって、もうそろそろ1時間目も終わってしまう。武蔵くんと揃ってため息を吐いて、それがなんだか可笑しくて顔を見合わせて笑い合った。
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