第2話 毒牙

 「諜報員の報告によれば、レヴォワールではヨラン公が急逝したのだとか」


 神聖ラバルム帝国の諜報組織が、レヴォワールにとっての大事を知るまでに時間はかからなかった。

 

 「そうか……これはドルレアンス殿に伝えねばなるまいて」


 帝国宰相リウトポルトはそう言うとニタリと笑った。


 「それでは戦争になるのでは!?」


 諜報機関を束ねる長であるキルケスは目を剥いた。

 というのもドルレアンス将軍とレヴォワール公国との間にはちょっとした遺恨があった。

 もう十五年も前の話になるのだが、当時は神聖ラバルムとガリアが戦争の真っ最中でありレヴォワールは西の隣国ガリアに軍事通行権を渡していた。

 レヴォワール=ラバルム国境のすぐ東、サンレモにおける会戦でガリア軍は敗北を喫し撤退したのだが、その追撃を任されたドルレアンス将軍の部隊の前にレヴォワール公国軍が立ちはだかったのだった。

 通行権を持たないラバルム帝国軍に対して撤退を促したレヴォワール軍に対して、ドルレアンスは両国間における不可侵条約を無視して越境し、武力衝突するに至った。

 結果としては帝国との戦争を想定し構築してあったレヴォワール軍の防御陣地を前にドルレアンスは完敗し完全に面目は丸潰れとなったのだった。

 そんな過去を回想しながらリウトポルトはキルケスを肥満な体型とは似ても似つかない鋭い視線でチラリと一瞥した。

 するとキルケスは、自分が誰に楯突いたのかを思い知り黙り込んでしまった。

 リウトポルトは帝国宰相であり爵位も公爵と貴族としてはほぼ最高位、対してキルケスは名家とはいえ帝国に数ある伯爵家の身分に過ぎないのだ。

 リウポルトの狙いが占領後のレヴォワールにおける権益の獲得という営利目的であることを見抜いたとしてもそれを指摘することは憚られた。


 「もうよい、ね」


 その様子に満足したのか或いは単に邪魔だったのか、リウトポルトがそう言うと渡りに船とばかりに居ずらくなってしまった空気感からキルケスは逃げ出した。

 閉まる扉の軋みを背にしてリウトポルトは


 「ふん、若造が。そんなことではこの世の中を渡り歩いては行けまいて。何しろこの世界は汚れきっている」


 別にそれを悪いことと思う風でもなく、リウトポルトはとうのとっくに汚れきった自身のてのひらを見つめた。

 

 ◆❖◇◇❖◆


 「流石としか言いようがないな……」


 レヴォワール=ラバルム国境、海と山とがぶつかるサン=ポールの山塊の上、レヴォワール軍は街道を見下ろすように布陣していた。


 「今頃になって臆したのかしら?」

 

 長いブロンドヘアを風に揺らしながらシャルレーヌは主君であるアンドレアに問いかけた。


 「悪いが最初からだ」


 自嘲じみた笑みを浮かべたアンドレアをシャルレーヌは深紅の瞳で射抜く。


 「もっと自信を持ちなさいよ」


 幼馴染であるシャルレーヌにそう諭されたアンドレアは


 「そうだな」


 そう言うと剣を抜いた。

 その挙動にアンドレアの次の行動を察したシャルレーヌは、よく通る声で言った。


 「公爵閣下からのお言葉です、慎んで拝聴するように!!」


 凛とした声が風にちぎれて響けば、自ずと視線が集まった。


 「唐突の帝国軍来襲を受けて取るものも取りあえず出撃した、そう思う者もいるだろう」


 語り出したアンドレアの青い瞳と眼差しはそれまでとは打って変わって自信に満ち溢れていた。

 もちろん、演技である。

 だが人を信じ込ませる何かがそこにはあった。


 「でも案ずることは無い。我らには地の利がある、正義がある、策がある。我らは千余の寡兵だ。敵は二倍を超える。だが諸君らの練度はそれを補って余りあるものだと確信している!!この戦の勝利は約束されたも同然だ!!故郷を侵さんと欲する敵共を駆逐してやれ!!」


 剣を握った手を振り上げて言ったアンドレアに兵達は割れんばかりの声を上げた。


 「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」」」


 兵達に背を見せお立ち台を下りたアンドレアはやれやれ、と不安そうな顔に戻った。


 「ひとまず人心掌握は終わったな。後はこの士気がどこまで続くかだなぁ……」


 そんなアンドレアの心中を察したシャルレーヌは意地悪な顔で言った。


 「アンドレアの策とやらがハマれば問題ないわ」

 「…………あるとでも?」

 「知ってた」


 新たに小国の指導者となったこの青年、人を欺―――――その場しのぎの口八丁は大の得意だった。

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