3. 引きこもりの司書と、暖かに照らす聖母

 職員室で幸先生と話したあの日から少し経って、私はカフェテリアで幸先生とお昼ごはんを食べるようになった。

 元々、カフェテリアは私の主な居室である図書室と同じ棟なので、私はカフェテリアで一人でお昼ごはんを食べたらさっさと図書室に戻って一人で読書をしていた。

 誰とも話をしない……いや、話しかけてくる生徒がゼロというわけではないのだが、数はかなり少ない……。

 しかし私はそれが気楽だった。誰にも気を使わなくていいし、自由だから。

 一人が苦にならない、いやむしろ一人が一番落ち着く性格なので、星花に着任してから4年ほどずっとこうしていた。

 きっかけはやはり幸先生だった。


ー少し前ー

 カフェテリアの入り口には、本日の日替わりメニューを宣伝するポスターが出ている。

『本日の日替わりメニュー 新じゃがと新玉ねぎのクリームシチュー』

 へえ、おいしそうね。これにしようかな。

 日替わりメニューの列に並ぶと、後ろにもう一人並んできたようで、声をかけられた。

 この綺麗で優しい声、私の好きな声は。

「幸先生! 幸先生もクリームシチューになさいましたか。」

「はい! クリームシチューは大好きですので!」

「そうでしたか。美味しそうですよね。」

 ちょっとした話をしているうちに私の順番が回ってくる。

 美味しそうなクリームシチューを受け取って、小盛のご飯を取り、開いている席を探して座る。

 と、席に座った私に、幸先生はまた声をかけてきた。

「あの……よろしければ、ご一緒してもいいですか。」

「え……あ、はい。どうぞ。」

「ありがとうございます。」

 幸先生が、クリームシチューと並盛のご飯を載せたトレーをテーブルに置いて隣の席に座る。

 誰かの隣で食べるのって、すごく久しぶり。

「いただきます。」「いただきます。」

 自分以外の『いただきます』が聞こえるのなんて、いつ以来だろう。

 クリームシチューを食べながら幸先生と話し始める。

「幸先生は、こんな私にも優しいのですね。」

「こんなって、どうしてそんなに卑下するんですか。あんなに素晴らしいしょうせ……こほん。宇津森先生は気配りも出来ますし、そうですよ、もっと自信もっていいと思いますよ。」

 今、小説って言いかけたみたいだけど飲み込んで下さった。ほっ。

「私は、図書館だけが居場所です。図書館で、図書館の仕事だけしてればいい……。私、4年前から星花にお勤めしてるんですけれど、その前は公立の学校でお仕事してたんです。その頃は、私なりに他の先生とお話したり、司書教諭としてお役に立ちたいなと思ってたりもしました。でも……。」

「でも……?」

 幸先生の顔が曇っていく。そう、今話しているのは私の嫌な過去。お昼時に暗い話なんて幸先生に申し訳ない。

「その頃いた学校で、この前みたいに新年度用の貸し出し用バーコードやガイダンスの資料を職員室に配りに行って。その時に、エクセルで困っている先生がいたからその先生を手伝ってあげたの。そしたら、その隣の別の先生が、俺ならもっと早くできるのにとか言っていきなり口を出してきたの。いい所を見せたかったにしても、それならなぜもっと早く助けてあげないのと思ったわ。それだけならまだ良かったのだけれど。」

「え、まだ続きがあるんですか?」

「その文句言ってきた先生、私がその困ってる先生に喜ばれたのか、それともそもそも私が彼女を助けたこと自体が気に入らなかったのか、とにかく私は……ひどいことを言われたわ。」

「宇津森先生、お辛いなら、無理に思い出して話さなくていいんですよ……?」

「幸先生、お気遣いありがとうございます。本当に、貴女は優しいですね。……いえ、むしろ。今は、貴女に聞いてもらえたら、楽になれるかもしれません。」

「私でよければ、お聞きします。どうぞ、お話を聞かせてください。」

「はい……、それでは。私は、こう言われました。『司書教諭は、図書室の仕事だけやってればいいんじゃないの。でしゃばりじゃないの。』と。」

 幸先生の顔が凍り付く。

「なんてひどい! 宇津森先生は、こんなに優しいのに!」

 幸先生が声を荒げる。こんなに穏やかな、聖母のような方が怒っているなんて。

 やはり、あの時の私は間違ってなどいなかったのね。

「幸先生、もう過ぎたことです。でも、ありがとうございます。幸先生にお話しできて、少し楽になれました。あの事があってから、私は他の先生たちと話すのが怖くなって、必要最低限しか図書室から出ないし他の先生たちとも話さなくなりました。」

「……だから、今までおひとりで図書室にいらっしゃったんですね……。」

「図書室は私の場所ですから。みんなに開かれた場所であり、私が私でいられる場所。」

 時は過ぎたし私はもうそこにいないけれど、幸先生が怒ってくれて、私は救われた気がした。

 星花に転勤しても私は誰かと交流するのが怖くて、図書室という本の森で一人でいることを選んでしまった。

 でも。

「幸先生、貴女になら私は怖がらずにお話できます。……ん?」

 ……ん? 長い間、抱くことのなかった欲求が私の中に芽生えている。

 幸先生ともっとお話したい。この先生ひとと居たい。

 ……したい? 私が?

「……宇津森先生?」

「あ、幸先生。すみません。考え事をしてしまいました。……あの。幸先生。」

「なんでしょう?」

「これからも、幸先生とお昼ご飯を、ご一緒してもいいですか?」

 私は話しながら、自分に驚いている。

 私が誰かと、一緒にいたいなんて。そんなことを、思うなんて。

 幸先生は少し驚いた顔をしたけれど。すぐに穏やかに微笑んでくれて。

「嬉しいです。宇津森先生、いっぱいお話しましょうね。」

「ありがとうございます。幸先生。図書館の外も、誰かとお話することも、良いものですね。」


 皆に開かれた本の森に閉じこもっていた司書は聖母のようなひとに惹かれ、心に新たな気持ちが芽吹いてゆく。

 司書の閉ざされた心は、聖母の照らす暖かな光に少しずつ、開かれていく。

 

 私は、お昼休みが来るのがまた一つ、待ち遠しくなった。

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