不一致

@fkt11

私  その1

 人を殺したい。

 でも殺したい人がいない。


 中二の秋に夢を見た。

 夢の中で私は、友人のK君と二人きりで中学校の裏山で遊んでいた。そこは見晴らしのよい高台のような場所で、頂上近くに一本の立派な松の木があった。その枝振りの感じから、かなり上の方まで登れそうな気がした。K君にそう言うと、「ほんとだ」と目を輝かせた。K君は当然のように私を押しのけ、松の木に駆け寄った。ごつごつとした幹は手や足をかける場所があちこちにあったが、K君は私に肩車を命じ、やすやすと一本目の枝に手をかけ、ぐいと体を引き上げた。私はK君が二本目の枝に手を伸ばしたのを確認してから後に続いた。


 二人は無言のまま上を目指した。K君の手が松のてっぺん近くの細い枝に届いたのが見えたとき、K君の靴底から剥がれた泥が上を向いていた私の口の中に落ちてきた。舌の上に広がるじゃりじゃりとした感触に、私の内部で何かが弾けた。

 うっとうしいんだよ!

 左手が上に伸び、K君の足首をつかむと、力任せに下へと引いた。

 パキリという乾いた音。

「あっ」という短い叫び声。

 目の前を通過する重量感のある物体。

 その後を追うように降り注ぐ大量の松葉。

 そして静寂。

 私は幹にまわした右腕に力を込めなおし、首から上だけをそっと動かして足元を見下ろした。K君は仰向けの姿勢で松の根元に横たわり、驚きの表情を顔に張り付かせたまま私を見上げていた。その視線は私を突き抜け遙か上空を目指しているようでもあり、すぐ目の前の虚空を見ているようでもあった。

 K君の頭を中心に、赤い染みがゆっくりと広がり始めた。その赤を見て、それまで私が見ていた景色がモノクロームであったことに気づいた。

 松葉をざわめかせ秋の風が吹き抜けていく。

 長い空白の時間が過ぎた。いつまで経ってもK君の顔から驚きの表情は消えず、その目が閉じられることもなかった。


 死んでいるんだ。

 ひやりとした戦慄が背骨を駆け上がり、全身の皮膚の下をむず痒いものが這い回った。そのあとから感情が追いついてきた。取り返しのつかないことをしてしまったという恐怖とともに、なぜか甘く切ない高ぶりが胸の奥で疼いていた。

 その一方で物足りなさもあった。

 私はK君の命を奪ったが、そこに明確な殺意はなかった。瞬間的に感情が爆発しただけで、気がつけばK君は死んでいた。

 もし初めから殺意を持ってK君の足を引いていたなら、木に登り始める時点で殺すつもりだったとしたら、もっと突き抜けた感覚が得られたかもしれない。それっていったいどんな感じなのだろう。

 ああ。

 もどかしさに思わず声が出て――目が覚めた。


 そこには代わり映えのしない日常があった。いや夢を見る前よりも一層色褪せてしまっていた。

 退屈な日々の中で私は熱望した。

 もう一度、人を殺す夢を見たい。今度は殺意を持って殺したい。

 毎晩、眠りにつく前に、布団の中でK君のことを思い浮かべた。K君は無神経で自分勝手なやつだった。いつも人のことを見下して、強引で、声が大きくて――

 でも、二度と夢に出てくることはなかった。

 高校受験、大学受験、そして就職活動。

 人生の節目といわれる経験に私はなんの感慨を覚えることもなく、起伏のない退屈な日々が延々と続いていた。それ故、もう一度人を殺す夢を見たいという思いは、渇望という極限の欲求にまで成長を遂げた。にもかかわらず、望む夢を見ることはできないままだった。


 なぜ人を殺す夢を見ることができないのか。

 考え続けて、私なりの結論が出た。私には人を殺したいという願望はあるが、その対象となる人、つまり殺したいと思う人がいないのだ。K君のことは大嫌いだったが、殺したいと思うまでには至らなかった。夢にまで見るという言葉があるように、「大嫌い」程度では足りないのだろう。もっと切羽詰まった、全身が震えるような強い思いがなければだめなのだ。幸いなのか生憎なのか、これまでの私の人生には、夢に見るほどに殺してやりたいと思う対象が存在しなかったのである。


 夢が駄目なら現実の世界で人を殺せばよい。

 この発想の転換に十年と三ヶ月を必要としたが、思いついてみれば、簡単なことだった。

 リアルな夢も現実の世界も、私という主観からすれば等価である。夢とは受動的でコントロールが困難な世界だが、現実の世界では自分の意志で能動的に行動できる。「殺そう」と思えば明日にでも、いや今すぐにでも人を殺せるのだ。そしてその対象は殺したいと思うほどに悪いやつである必要はない。物理的に殺せるかどうかが問題なのである。殺意とは「憎しみ」や「怒り」といった感情ではなく、「殺そう」という意志のことなのだ。

 夢で人を殺すことを諦めた私は、現実の世界で対象を探すことにした。

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