第3話 めぐり逢い


 カヌスの父は、灰色の羽根を持つ有翼人だった。


 だが力なく弱い男だったと、幼い頃にカヌスは母から聞いた。


 それでも、カヌスの記憶に残る父は、いつも明るく笑っていた。


『何てことはないよカヌス。万事、なるようにしかならないからね。』


 小さなカヌスの見上げる先で、灰色の瞳を細めては、大袈裟に笑う父の口癖。


 父は淀みなく純粋なだけだったのだと、炉端の石を父の墓標にしながら呟く母の背中が、カヌスには何故か凛として見えた。


     *  *  *


 有翼人とのハーフであるカヌスの背中には大きな傷跡がある。


 それは幼い頃に、背中の異物を取り除いたためにできたものであり、その傷を作ったのは、他ならぬカヌスの母だった。


 幼いカヌスは、母に、背に生えかけていた小さな灰色の羽根を切り落とされた。


『あんたのため、とは言わないよ。これはアタシのエゴのためだから』


 そう言った母は、下唇が白く変色するほどきつく噛みしめていた。


     …


 有翼人とのハーフの子は、身体能力の高さと希少性から、生まれたその瞬間から軍属することを義務付けられた。


 しかし灰色の有翼人とのハーフであるカヌスには、特別な能力が何一つ備わってはいなかったのだ。


 そもそも灰色の有翼人は、有翼人の中でも特段能力の低い下位の個体であると判断されていた。


 彼は、人間殲滅の命を受けて地上に舞い降りた瞬間に、あっさりと人間に捕縛され、闇市で売られて奴隷となり、虐待を受けた。


 有翼人は不死であるために、高い治癒力がある。


 そのため、どれほど折檻したところで翌朝にはケロリとしている灰色の有翼人に対して、雇い主である辺境伯ヘルバは徐々に加虐心を募らせていった。

 そしてついに、以前より関心のあった有翼人の「ニンゲン堕ち」を実行に移したのである。

 

 ある日の新月の夜。


 数名の仲間を屋敷に招き、ヘルバはただの酔狂で催淫剤を用いて、灰色の有翼人と奴隷の女を強制的に結びつけた。


『なんとなんと、皆のもの見てみろ! これが天の使者の顛末とは! 翼のなんと儚いことか!』


 朗々と声を上げながら、ヘルバたちは酒を酌み交わし、灰色の有翼人がニンゲンに堕ちていく様を大いに楽しんだ。


 そんな人間たちの笑い声の中で、行為の最中から抜け落ちていく灰色の羽根は、一枚一枚染み入るように豪奢な絨毯に朽ちていく。


 ドンっ


 しかし突然、なんの前触れもなく屋敷の敷地内に大きな爆音が轟いた。

 ヘルバたちは一様に驚いた様子で一斉に立ち上がった。


『ヘルバ様! 大変です!』

『な、何事だ!』

『軍です! コロル軍が屋敷に!』

『な! なんだと!』


 コロル国において、有翼人は駆逐すべき害獣である。

 しかし同時に、彼らは調査の対象でもあった。ゆえにすべての個体を軍が管理することは法で定められていたのだ。


 それは奴隷といえども例外ではない。


『辺境伯ヘルバ卿はご在宅か。ただいまより、有翼人隠匿の容疑で家宅捜索を開始する』

 

 令状を片手に発された号令のもと、軍服姿の兵士たちが次々と屋敷に踏み入ってきた。

 そして瞬く間に包囲され、ヘルバやヘルバの仲間の大部分は捕縛された。


 兵士に連行されていくヘルバを見送った後、屋敷に残されたのは、裸で踞り、こちらを睨み付ける奴隷の女と、抜け落ちた灰色の羽根の真ん中で横たわる裸のニンゲン。


 彼の目は虚ろで光もなく、一見すると何も写してはいないようだった。


 それを見下ろす二人の軍人。

 一人は体躯のいい、えんじ色の髪と同じ色の立派な髭をたくわえた将校。肩の勲章から大佐とわかる。もう一人は赤い髪をした背の高い若い将校、階級は大尉であった。


『あぁあ、間に合いませんでしたねぇ、ルボル大佐』

 

 赤髪の若い将校にそう声をかけられたルボルは、髭を何度も整えながら、クックッと肩を揺らして低く笑った。


『相変わらずのタヌキだな、サンディークスよ。お前、これを見越して報告を遅らせたんだろう?』

『まさか。何をおっしゃいますやら』

『ふん。まあよい。…ニンゲンになった有翼人に用はない。女と共に屋敷の外にでも捨てておけ』

『御意』


 赤髪の若い将校は少々芝居じみた所作でルボルに敬礼をした。すぐ後、踵を返し、ツカツカとブーツを鳴らしながら、灰色の有翼人であったニンゲンと、奴隷の女の傍らまでやってきた。

 そしてしゃがみこむと、徐に二人の腕をむんずと掴んだ。


『あんたたちの間にもしさ、子どもが生まれたら、…その子、オレたちにくださいね。』


 ニカっと笑った赤髪の将校の、口から覗く白い八重歯は、獣のそれによく似ていた。

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