第2話 有翼人の遺児


 今回の作戦でも、有翼人の討伐は叶わなかった。


 しかし夥しい数の有翼人亜種を駆除したことを一定の成果として、軍は今回も高らかに戦線での勝利を宣言した。

 やがて軍の最高司令官であるコロル政府高官メトゥスを乗せた豪華な馬車は、護衛のコロル軍第一大隊近衛部隊を引きつれて戦地を後にした。


 残されたのは、返り血塗れの傭兵たちと、形をなしていない累々の骸のみ。

 生き残った傭兵たちも疲労困憊な様子でその場に座り込む者が多かった。


 しばらくして、事後処理班のコロル軍後方支援部隊が到着した。彼らの代名詞ともなっている灰色の馬車から、同じ色の禍々しい科学防護服を身にまとった兵士がわらわらと現れた。


 有翼人亜種の死骸は腐乱が早い。腐乱が始まると途端に猛烈なガスを発した。大地にそれが染み込むと土をも腐らせる。腐乱が始まる前に、有翼人亜種の死骸を処理しなくてはならなかった。


 フシューフシューと、マスクから漏れ聞こえる独特の呼吸音を響かせて、彼らは遺体も死骸も一緒くたに密閉度の高い袋にどんどん詰めていく。


 それをどこに持って行き、どう処理するのかは、誰も知らない。


      *  *  *


 コロル軍後方支援部隊、通称テネブラエの面々は、防護服を一般の人間たちの前で脱ぐことはない。

 それは、彼らのプライドだった。

 だが決して仕事に対するプライドではない。

 この仕事に従事することを知られたくないという羞恥心を隠すための自己防衛だった。


 自らを包む「全てのもの」から漂う腐乱臭が、身体に染み付いているのを自覚しているからこそ、彼らは自らの従事している仕事を隠したいのだ。


(仕事に誇りなど、ありはしない。)


 コロル軍第三廃棄処分場近くの小高い丘で一人、肩まで伸ばした灰色の髪を生ぬるい風にたなびかせながら、カヌスはそっと嘆息した。

 カヌスの、磁器のように白い頬には血の気がほとんどない。隠しきれない疲労感が目の下の隈にも現れていた。


「はぁ、」


 また小さく溜息を漏らし、雑草まみれの地面にそのまま腰を下ろした。


 防護服の入った大きな鞄を傍らに、カヌスは、ポケットから一つ飴玉を取り出して口に放り込む。口いっぱいに広がった偽りのベリーの味に、ほんの少し口角が上がった。頬にも気持ち紅色が浮かんだようにも見える。


「はぁ」


 思わず漏れた吐息さえ、ほんのり甘く、溜め息とは違う色を帯びていた。


 今年25歳になるカヌスは、未だに酒もタバコも受け付けない。

 彼女は、逃がしきれないストレスを、甘味で誤魔化すしか術を知らなかった。


(…かといって、辞めるわけにもいかないんだよな。食っていけないから。)


 甘さを否定するように、カヌスはガジャリと口の中の飴玉を噛み砕く。すると奥歯に飴の残骸が張り付いた。

 

 それを何度も咀嚼して、やがて口内から飴は消え失せる。

 結果、後味の悪さだけが舌に残った。


 飴を食べればいつもそうなる。

 わかっていても、止められない。

 

「…ふふ、」


 意図せず漏れた失笑。

 

 一時の甘味に踊らされたくて飴を食えば、後に長く続く不快感を感受するしかない。

 そう毎度思いながら、結局やはり飴を食らう。そして再びカヌスは飴を一つ口に放り込んだ。


 途端に脳裏に浮かんだのは、幼少期に見た父の笑顔だった。


『ああ! キャンディのなんと愚かで愛らしいことか!』


 幼い頃、母に怒られてしゅんと落ち込んだカヌスに、大袈裟に、飴を食べることを勧めてくれたのは父だった。


 なぜ愚かなのかと聞けば、必ず父は答えた。


『無くなるからこそ甘いのだ。まるでヒトの恋のようだろう?』


 わが娘に恋の味を教える父は、カヌスが幼い頃に死んだ。

 その死にざまは、まるで枯れ木のように朽ち果てていた。


『…有翼人がニンゲンに落ちると、長生きできないからね、』


 仕方がないことだと言った母の横顔を、カヌスは未だに思い出すことができないでいた。

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