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 ◇


 美梨や昂幸、優と離れていた七年間。

 修は自分の不甲斐なさを悔いていた。二人の子の父親でありながら、三田正史のあまりにも大きな存在に到底勝ち目はないと思っていた。


 退院した日、どうしても埋められない昂幸との心の距離。昂幸と離れていた年月の重みを、嫌と言う程痛感していた。


 それでも修はずっと昂幸のことを信じていた。


 (昂幸は俺なんかより、ずっとしっかりしている。三田正史が一番多感な時期を慈しみ育ててくれた。それは感謝でしかない。いずれ大人になったら、俺と美梨がどんなに昂幸の事を愛しているか、きっと理解してくれるはずだ。だから、焦ってはいけない……。)


 その昂幸が『秋山昂幸』と言ってくれた時、胸が熱くなりたまらず涙が溢れた。


 ――『今だに三十点』


 (マジか……。)


 ――『父さん、俺は三十点のままの父さんが好きだよ。百点満点の父さんより落第点の父さんのままがいい』


 昂幸の言葉に、修は美梨と始めて出逢った日のことを思い出していた。


 (――美梨と俺の不器用な恋のはじまり……。俺達は沢山遠回りをして、やっと家族になれた気がした。俺に抱き着いている優。クシャクシャの顔で泣いている美梨。そして少し大人びた表情の昂幸。俺はまだまだ三十点だよ。これから先も落第点かもな。

 だけどお前達を愛する気持ちは、いつも百点満点だから。愛してる……。俺の大切な……家族。)


 ◇


 昂幸が戻った日の夜、修に木谷より電話があった。


『秋山さん、よかった。秋山さんも無事だったんですね。実は私が昏睡状態で眠り続けている間に、妻は経営難で林檎農園を手放さなければいけなくなり、私の入院していた病院にも近いということで都内で働くことになりまして、ちょうどその頃、妻の元夫が親権を持っていた娘が都内の高校に進学したのを機に娘を引き取り、あるお宅で炊事係として住み込みの仕事をしながら、娘と二人で暮らしていたそうですが、私が目覚めたためその仕事を退職し今は都内の公営住宅で妻と義理の娘と三人で暮らしています。義理の娘は戸籍は妻の元夫の姓のままですが。目覚めたら、娘ができていたなんて驚きですよ。あはははっ、まるで異世界みたいですよね。しかもルリアンそっくりなんですよ。可愛くて可愛くて』


「そうですか。私も長男が戻ってきてくれたんです。木谷さんはお仕事は?」


『心臓の具合もいいので、個人タクシーを始めました。私にはそれしか能がないので。秋山さんは?』


「私はまたking不動産で働けることになりました。また一から出直しです。都内にいらっしゃるなら、今度ご家族で遊びに来て下さい。実は妻が実家の仕事を継ぎまして、タワーマンションに住んでいるんです」


『タワーマンションですか。これは凄いですね。奥さんはお嬢様ですもんね。再会を楽しみにしてます』


「私も楽しみにしています」


『そうそうひとつだけ気になることが。異世界でメイサ妃が持っていた赤い薔薇が描かれた美しい万年筆が、私の母が生前愛用していた万年筆によく似ていて驚きました。特注品でこの世界に二本しかない万年筆なので、偶然とは思えなかったのです。一本は棺に入れましたが、一本は紛失したままになっています。どうしてメイサ妃が赤い薔薇が描かれた万年筆を持っていたのでしょう』


「それは不思議ですね。メイサ妃は母方の祖母の遺品だと言ってました。とても大切にしていました。この世界に二本しかないなんて、偶然とは思えませんね。私と木谷さんが何度も異世界に転移したのはその万年筆の不思議な力に引き寄せられているからでしょうか?」


『それは私にもわかりません。私の母は無念にも交通事故で亡くなりました。職業は作家でした。母が死亡後にあの異世界に転生したということはないですよね? はははっ、私も不思議な体験をし過ぎたせいか、どちらが現実世界なのか混乱してます』


「わかります。私も同じですから。是非、義理の娘さんと一緒に来週の日曜日にでも遊びに来て下さい。妻も木谷さんに逢いたがっていますから」


『ありがとうございます。是非一度伺わせていただきますね。では失礼します』


 修は木谷の電話を受け、異世界で起こったことを脳内で整理する。不思議と異世界の出来事を全部覚えていたからだ。


 メイサ妃の母方の祖母はダイヤモンド公爵夫人。メイサ妃と同じ黒髪で確か記憶をなくしていたと聞いた。メトロ公爵夫人が木谷の実母で美波の書いた原作の乙女ゲームの世界に転生していたとしたら……。


 メトロ公爵夫人が現世に二本しかない赤い薔薇が描かれた美しい万年筆を大切に持っていたことも、納得がいく。


 (俺と木谷をあの異世界に何度も呼び寄せたのは、メトロ公爵夫人の強い想いが起こした奇跡なのか? 俺とメイサ妃が出逢ったのは、赤い薔薇が描かれた万年筆が異世界にも存在したから? だとしたら紛失したもう一本の所有者は誰なんだ?)


 修は混乱していた。木谷のただの妄想。

 でも赤い薔薇が描かれた美しい万年筆を描くには、その本体を持っている人物しか描けないはずだからだ。

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