第26話

 ちょうど夕食時になり、いつもなら美優みゆが呼びに来るのだが、颯太そうたが部屋まで来て声をかけた。

白蓮はくれん殿、食事の用意が出来ています。宜しかったらおいで下さい」

「颯太、俺も腹が減ったぞ」

 涼悠りょうゆうの元気な声を聞くと、

「失礼する」

 と白蓮に声をかけて、御簾を上げた。

「涼、具合はどうだ?」

「もう元気だ」

「食事をここへ運ぼうか?」

 颯太が気遣ってこんなこと言うなんてと、涼悠は驚いて目がまん丸になった。

「お前、何て顔をしているんだ。俺だって、気遣いの一つくらいできる」

「気を遣わなくていい。俺は大丈夫だ。白蓮、行こう」

 涼悠はそう言って、立ち上がろうとした時、足元がふらつき倒れそうになると、すぐさま白蓮が支える。

「無理をするな」

 白蓮が静かに言った。

「お前はここにいろ。食事は俺が運ぶ」

 と颯太が言って戻ろうとした時、

「颯太殿、私が運びます」

 と白蓮が言った。

「白蓮殿、すみませんが涼のそばにいてあげて下さい」

 颯太は白蓮の申し出を断り、軽く頭を下げて戻って行った。それからしばらくして、膳を持った颯太と、従弟の海斗かいとがもう一つの膳を持ち、悠斗ゆうとはその後ろをついて来た。

「失礼します」

 と声をかけて御簾を上げると、颯太たちが膳を持って入って来た。

「白蓮殿、食事をお持ちしました」

 颯太は白蓮の前に膳を置き、海斗はそのとなりにもう一つの膳を置いた。悠斗は何をしに来たのか分からないが、双子はいつも一緒にいるので、何もせずにただついて来ただけだったのだろう。今日の双子はとても大人しくしていたが、本当は涼悠と話がしたかったのだ。そんな双子の気持ちを察した涼悠は、

「海斗、悠斗。お前ら、そろそろ修行に行くんだよな?」

 と声をかけた。双子はぱっと目を輝かせたが、颯太を振り向いて、伺いを立てている。颯太が無言で頷くと、双子は喜んで涼悠に話した。

「そうだよ。もうすぐだ」

「やっと行けるよ」

 と嬉しそうにしている。しかし、金剛山での修行は楽しいものではない。こんな子供にあの修行が耐えられるのかと心配になった。考えてみれば、自分もかつてはこんな子供だったに違いない。

「さあ、お前たち、食事の邪魔だから行くぞ」

 颯太が言うと、双子は名残惜しそうに涼悠を見てから部屋を出ていった。

「さあ、食べよう」

 涼悠が言って、食べ始めるのを確認して、白蓮も食事に手を付けた。静かに食事を終えると、白蓮が膳を二つ持って片付けに行った。


 一人になって考えてみると、双子の修行には秋麗しゅうれいがいなくては始まらない。しかし、今は恵禅尼えぜんにの事がある。予定通りに修行を始められるかは分からなかった。それでも、双子にはそのことは話さずにおこうと涼悠は思った。

「そういえば、師匠、大丈夫かな?」

 涼悠は誰もいないのに声に出していた。

「大丈夫だ」

 小さな声で返事が聞こえた。

「誰だ?」

 気配を感じなかったのに、声がして驚いてそちらを見ると、白い人型の紙が縁側をよじ登って、涼悠の部屋まで歩いて来た。

たま、お前いつからいたんだ?」

「今やっとここまで来たんだ。風が吹くと煽られて大変だった」

「それで、何しに来たんだ?」

「お前が死んだから、様子を見に来たんだ。私は秋麗様のそばを離れられないからな」

「これはお前が法力で操っているのか?」

「そうだ」

「金剛山からここまで?」

「そうだ」

「そりゃ、すごいな」

 涼悠は感心した。霊力の強い涼悠でもこの距離は到底無理だった。それだけ珠の霊力は強いのだろう。その珠よりも強い秋麗が動けないほどの重傷を負ったのだから、恵禅尼は相当手ごわい。どうやってあれを鎮めたらよいのだろうか。

「私を褒めてどうする。それより本題だ。今、秋麗様が恵禅尼を鎮めているが、もうそれほど時間を稼げない。お前の身体が動くなら今すぐにでも来てほしい。もちろん白蓮も一緒にな。颯太の力があればなおいいが、美優のそばを離れると危険だ。とにかく、お前と白蓮は今すぐに金剛山へ向かえ」

 白い人型の紙はそう言うと、力尽きて燃えて消えた。そこへ白蓮が戻って来た。

「状況は分かった。今すぐに向かおう。颯太殿も把握している」

 そう言って白蓮は涼悠を腕に抱きかかえて飛翔し、そのまま瞬時に移動した。

 金剛山までは瞬き一つしただけで着いてしまった。涼悠はこの移動の術はまだ会得できてはいなかったから、初めての体験だった。


「白蓮凄いな」

 などと、驚いている暇はなかった。恵禅尼のいる霊山まで飛んで移動すると、そこでは一進一退の攻防が繰り広げられていた。恵禅尼のために建てられた立派な祠が壊れていて、稲妻のような光を放ち立っている恵禅尼は、まるで怒りを象徴する神の如く荒々しい。

 そんな恵禅尼を秋麗が法力で抑え続けているが、それが限界を迎えたようだ。稲妻が落ちたかのような閃光と地響きが起こり、秋麗の身体は弾かれたように飛ばされた。それを男鬼が抱きとめ、女鬼が恵禅尼の前に立ちはだかったが、光りの鞭が飛び出してきて、女鬼はそれに打たれて飛ばされた。珠が法力で恵禅尼を縛ると、動きは止まった。

「忌々しい者どもだ!」

 珠の法力は強く、恵禅尼は口で罵る以外は何も出来ずになおも口汚く言い放つ。

「鬼の分際で、私の邪魔立てをするとは身の程を知れ! そこの者どもは、秋麗の弟子か。お前たちの師匠を見てみろ。こんなにも無様だ。弱いのぅ、弱すぎる。どうせお前たちも弱いのであろう。こんな師の元で修行をしたところで何になるのだ? お前たちでは私を倒せぬだろう?」

 その言葉に、涼悠が反応して動こうとすると、白蓮が涼悠の腕を掴み静止した。白蓮を振り返ると、彼は珠を見ていた。涼悠が珠を見ると、珠の手から伸びている呪縛の光る鎖に文字が浮かび上がり、恵禅尼の方へと文字が鎖を伝っていく。すると、恵禅尼の様子が変わり、言葉を話せなくなって苦しそうに唸る。文字の浮かぶ鎖はジリジリと恵禅尼を縛り上げていく。

「珠、なかなかやるじゃないか」

 涼悠が言うと、

「何をのん気なことを言っている。私が縛っている間にこいつを殺せ」

 と珠が言った。

「それもそうだな」

 涼悠はそう言って、袂から呪符を取り出そうとしたが、先日すべて使いきっていて、一枚も残っていなかった。準備しておくべきだったと、今更ながら後悔したが、ないものは仕方がない。自分の霊力が無くなり、今は白蓮から貰った気を使うしかない。

「白蓮、やれるか?」

 涼悠が聞くと、

「ああ」

 と白蓮が答える。二人は恵禅尼の方へ向き、目を合わせてから掌を恵禅尼へ向けて霊気を放った。二人の身体から出た淡く光る霊気が合わさって、それは徐々に強い光を放ち丸い玉となり、それを恵禅尼に向けて飛ばした。恵禅尼はそこから動くことができず、その玉を避けることは出来ないが、強い眼光を飛ばすと光の玉はいとも簡単に弾け飛んだ。これだけ強く縛られているというのに、恵禅尼の邪に染まったその力は底がなく、周りの邪気まで引き寄せて己の力としているようだ。しかし、雷のような光は怒りであり、恨みや憎しみの黒い邪気ではない。今まで都を襲った邪悪な気に満ちた悪霊も、都を覆いつくした邪気も黒く、人に害をなそうとする悪意があったが、この恵禅尼の邪力にはそれがなく、ただただ強い怒りしかなかった。一体、何が彼女をここまでの邪神にしたのだろう。その力はすでに怨霊と呼ぶにはその領域を外れていて、まさに神の等級に値するほどだ。

「これじゃ、俺たちの手には余る」

 涼悠が白蓮に言った時、彼らの背後に何かが近づいて来るのを感じて振り返ると、そこには驚くべきことに玄道げんどう御門みかどが立っていた。

「玄道、なぜここにいる? 御門まで御一緒とは……」

 意外な展開に、涼悠は言葉も出ない。恵禅尼が玄道の師であることは知っているが、先日の涼悠に気を付けろと忠告してくれていた。だから彼は味方なのだろうと思っていたが、ここへ来たのは師を討つためか、それとも師の加勢にきたのか、警戒して彼らに半身を向けると、

「案ずるな。私はお前の加勢に来たのだ」

 と玄道が言った。それは師を討つということだ。たとえどんな理由があろうとも、それは決してあってはならないこと。それなのに、こうして決心を固めて加勢に来たということは、師との縁を断ち切る覚悟があるということだ。一体どんな心境なのだろうか? 母として慕っていた恵禅尼を切り捨てるほど、彼には守らなければならないものがあるという事だろう。それは言わずとも誰もが分かっていた。玄道の後ろには御門がいる。それが答えだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る