侯爵令嬢は婚約者が刺される未来を回避したい

猫月九日

第1話

 私の目の前であの人が倒れている。

 彼のお腹には銀色に光るナイフ。そこからはおびただしい量の血が流れ出ている。

 とてもではないけれど、生きている様子には見えない。


「「きゃーっ!!!」」


 私の口から叫び声が漏れ出た。

 眼の前が真っ暗になった。



「う……ん……?」


 いつも通り、朝の日差しで目を覚ました。

 なにか変な夢を見ていたような?


「そういえば、今日は……」


 壁に掛けてあるカレンダーを覗き見る。今日の日付に丸がしてあった。

 そうか、今日は私とあの人が婚約をして3年目の記念日だ。

 それなのにあんな夢を見るなんて最悪。


 夢……そう、夢のはず。あの人が倒れている。そんなことは夢のはず。

 でも、あの血の匂いや感覚はとても夢だったように思えない。

 思い出すだけで血の気が引いていく感じがして気持ち悪い。


 トントン


 ノックが聞こえてきた。

 ビクッとして構えたけど、


「起きていますの?」


 聞こえてきたのは隣人の声だ。

 私と同じ侯爵家の出であり、隣の部屋の彼女とは友人として仲良くさせてもらっている。


「入ってください」


 招くと彼女は部屋の中に入ってきた。


「おはよう。今日はずいぶんと遅いですわね。私は学生会の仕事があるから先に行きますわよ?」


 時計を見ると、いつも起きる時間からはかなり遅い。


「……あら?なんだか体調悪そうですわよ?顔色も悪いですし」


 大丈夫?と心配する彼女。

 見ただけでわかるほど、私は体調悪そうなのか。


「いえ、ちょっと夢見が悪かっただけですので……」


 そう答えて、ベッドから立ち上がる。

 そして、彼女の前に立った時、私の頭に再びあの夢の映像がフラッシュバックした。


「……ぅ」


「大丈夫ですの!」


 倒れそうになった私を慌てて支えてくれる隣人。


「今日はお休みになられたら?授業の方も、もう大したこともやらないでしょうし」


 卒業まであとわずかに迫った今の時期、授業を休んでも大したことはない。


「……ええ、そうさせてもらいます」


 無理に学校に行くこともないだろう。そう考えた私は、彼女にそう答えた。


「わかりましたわ。先生にはきちんと言っておくわ」


 お大事にと言って去っていく彼女を見送る。

 ドアが閉まった後、私は独りごちる。


「あれは……ただの夢なんかじゃない」


 理由はわからない。しかし、なぜか確信をしていた。

 彼が刺されて倒れる、あれは本当に起こることなのだと。


「今日の夜……」


 そして、それは今日の夜だということを。



 あんな光景は二度と見たくない。どうにかして回避しないと。

 でも、あの現場は覚えていてもどうしてそうなったのかの記憶が全くない。

 それでもなんとか覚えている事を書き出してみた。


 ・彼のお腹にはナイフが刺さっていたつまりナイフが凶器

 ・内装からして現場はこの学生寮の私の部屋だったと思う

 ・外が暗かったから夜遅く


 わかったのはこの3つだけだ。これでどうやって予測しろと言うのか。

 推理してみるけど、情報がまったく足りない。


「そうだ……、あの人にも聞いてみないと」


 実際に刺されていたあの人にも話を聞いてみよう。

 そう考えると、私はすぐに支度をして部屋を出た。


「この時間ならあの人は学生会室にいるはずだわ」


 学生会長でもあるあの人はこの時期は卒業式の準備で忙しくしているはず。

 急いで学生会室へ向かった。



 部屋の前にたどり着き、トントンとノックをすると。


「どうぞ。開いてます」


 彼の声が聞こえた。ドキりと私の鼓動が跳ねた。

 それを抑え込んで部屋の中に入る。


「失礼します」


「……あれ?どうかしたの?」


 部屋の中に入った私を不思議そうに見るあの人。

 生きているあの人だ。つい、嬉しくなって抱きついてしまった。


「おっとっ!」


 彼は私を抱きとめてくれた。


「どうかしたのかい?」


 そう聞かれるけど、夢のことなんて話せない。

 ただただ、抱きつくだけになってしまった。

 彼はそんな私をただただ撫でてくれた。


「あのー?いちゃつくなら後にしてもらっていいですの?」


 そんな私達の逢瀬を不機嫌そうな声が遮った。

 隣人の彼女だ。

 そういえば、学生会の仕事があるなんて言ってたっけ。彼女は学生会の副会長だ。ここにいるのは当然だ。


「それに、あなた。今日はおやすみじゃなかったかしら?先生にはもう話してしまいましたわよ?」


 ジト目で私の事を見る。

 彼に抱きつくのをやめて、彼女の方を見ると、やっぱり不機嫌そうな顔をしていた。

 どうしよう、なんて答えよう。


「え、えっと、少し体調が良くなって。そしたら今日の夜のことが気になって……」


「今日の夜?」


 今日の夜、彼が刺されるかもしれないなんて言えない。

 困っていると。


「ああ、今日は記念日だもんね。大丈夫、ちゃんと仕事を終わらせた後にそっちに行くから」


 彼が助け舟を出してくれた。


「そ、そうです!良かった!覚えていてくださったんですね!」


「もちろんさ!大事な婚約者のことだからね!」


 嬉しい!

 思わず、喜びに笑みが溢れてしまう。


「なるべく早く行くようにするから部屋で待っていてね」


 体調悪いんだろ?と促されたので私は学生会室を出た。


 あの人が私との記念日を覚えていてくれたなんて嬉しい。

 そんな事を考えながら私は自分の部屋に戻った。



「何も情報得てない!」


 自分の部屋に着いた私は思わず叫んだ。これではただ、単にあの人に会いに言っただけだ。

 いや、でも、あの人が今日私のところに来てくれることはわかった。

 それが確認できたことはきっと大きいはず。

 ポジティブに考えよう。


 あの人は私との記念日を覚えていてくれた。

 きっとあの夢でも来てくれたに違いない。

 学生会の仕事を終えた彼は私の部屋に来て、それから刺されたってことなんだと思う。


 そうだ!きっと悪い人が私の部屋に来て、それを庇って彼は刺されたんだ!

 きっとそう!私とあの人との関係を妬む誰かが邪魔しに来たんだ!


 私はそんな推理をした。これしか考えられない。

 だったら悪い人を迎え撃つ準備をしないと!

 急いで私は準備を始めた。


 とは言ったものの、私にできることなんて、たかが知れている。

 何が起きても大丈夫なように、いろんなところに相手を撃退できそうな、ちょっとした武器を仕込むことだけだ。

 あ、そうそう。万が一の時のために懐にも武器を忍ばせておこう。

 もしも、武器を取れない状況になったら大変だからね。


 武器を買いに街に出たり、それを部屋のあちこちに仕込んでいるうちに辺りは夕暮れになっていた。

 もうすぐ日が落ちる。そうなればいつ悪い人がきてもおかしくない。

 そしてあの人だってやってくるだろう。

 ドキドキしながらその時を待った。



 しかし、いくら時間が経とうとも、悪い人もあの人もやってこない。

 どうしたんだろう?あたりはもう真っ暗になっている。

 ひょっとして、もうあの状況になってしまっているとか!?

 私が色々と準備をしたから襲う場所を変えたとか!

 私の行動が裏目に出るなんてこと、あるかもしれない!


 怖くなった私は、耐えきれなくなってそのまま部屋を飛び出した。

 学生会室に行かないと!

 急ぎ足で歩き出した私が隣の部屋の前を通り過ぎた時。

 ギシッっという音が聞こえてきた。

 あれ?ひょっとして彼女は帰ってきているのかな?

 彼女の学生会員だし、彼の事を聞いてみようかな。


 そう考えて、ノックをしようとした時に気がついた。

 あれ?ドアがちょっとだけ開いている?

 中からは変わらず、ギシッっという音が聞こえてくる。中に誰かいるのは間違いなさそうだ。

 耳を済ませてみると、中から人の声が聞こえた。


「大丈夫なんですの?あの子は待っているんじゃ?」

「大丈夫だよ。実は卒業式が終わったら婚約破棄する手筈になっているから」

「まぁ、そんなこと」

「悪いとは思っているよ。でも、キミと一緒になるためだから。……愛しているよ」

「私もですわ」


 そんなやり取り。当然彼女の一人芝居なんかじゃない。

 片方は男の人の声だ。しかも、とても聞いたことがある。

 無意識のうちに私はドアを開けていた。

 そして、私の目に飛び込んできたものは、


 乱れ合い、重なり合う男と女の姿。

 あの人と隣人の姿だった。


 その姿を見て、私は考えていた。

 ああ、そうか。隣の部屋も私と同じ内装だったなぁ。

 そんな事を考えながら、私は懐に忍ばせたナイフに手を伸ばしていた。

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