To Do 浮遊
3℃
第1話
中野からメッセージが来たのは帰宅直後だった。
携帯の通知音にはすぐに反応してしまう。悪い癖だ。間髪入れずに返信しなければ関係が悪くなるような間柄でも無いのに。
中野と初めて会ったのは中学校のころだった。クラスの大半が小学校からの持ち上がりで、入学初日から教室は賑やかだった。親の方針で少し離れた私立の小学校に通っていた俺はクラスの中で明らかに浮いており、すでに孤立感にを感じていた。
そんなときに話しかけてくれたのが中野だったのだ。
唐突に俺の席の真正面に立ち、よろしくな、と一言。とりあえずクラス全員としゃべる、と言う目標が彼にはあったらしい。なかなか豪胆なことをしていたが、浮いている自分に話しかけてくれたことは嬉しかった。
話しかけてくれたのはその日だけでなく、事あるごとに中野は俺の席にきて、さつま揚げってうまいよな、などと他愛ない雑談を持ちかけてくれた。
人見知りな俺と社交的な中野は相容れないように思えたが、関わってみると意外に気が合い、一学期のほとんどは彼と話してばかりいた。だが、中学校での交友関係というのは自然と広がっていくもので、二年になる頃には中野以外の友達もいくらか増えていた。
まあ、三年間同じクラスだったこともあり結局は中野と話してばかりだったが。
高校に上がると、またもやクラスの大半が知らない人同士となった。だが中野や顔見知りが何人かいたため、中学よりはずっとましだ。
六月に入り、中学と比べての自分の交友関係の広がりの早さに感慨深さを感じていた。
今日は朝から梅雨らしくない晴れた空だったが、下校途中にやはり雨が降り出し、傘を忘れた俺はずぶ濡れになってしまった。
着替えを優先すればいいものを、中野からのメッセージを確認する。
[シンバルどこで買った?]
間髪入れずに返信する。
[俺は昔駅ビルで買ったけど]
その駅ビルがあったところも、今となっては更地である。
[今はどこで買えばいいんだか]
[駅ビルに楽器屋なんかあったっけ]
[駅ビルがなくなる前につぶれたけどね]
小学校に電車で通学していた俺にとって、駅ビルは身近な存在だった。中野含めクラスの大半はつい最近電車通学し始めたため馴染みがないらしい。
最寄り駅の駅ビルは街の活気のなさとは相反するとても大きなものだった。扇子屋や傘屋、和菓子屋など土産物屋もあれば、スポーツ用品店やペットショップ、レゴランドなども入っており、駅ビルというより大型ショッピングモールのようだった。静かな街の中で一カ所賑わいがあり、異質感を醸し出していた駅ビルだったが、今となっては更地である。
[とりあえずどっかに買いに行くしかねえ]
[いまから?]
[いまから]
[雨なのにおつかれっす]
[しゃーない]
携帯を持ったまま風呂場に向かった。雨は帰ってきたときより強くなったように思える。
俺は雨でずぶ濡れになるのが嫌いではない。
じゃあ毎日ずぶ濡れで帰ってこいと言われたら困るが、雨に打たれるのが心地よいと感じることすらある。
シンバルを買ってもらったのは小学校入学のタイミングだっただろうか。
クラシックシンバルには、主に二枚を両手で打ち合わせるクラッシュシンバルと、一枚をマレットやスティックで打ち鳴らすサスペンデッドシンバルの二種類がある。
シンバルといえば両手でばしゃぁ~んとならすイメージだったが、俺が買ったのはなぜかサスペンデッドシンバルだった。
何故俺はサスペンデッドシンバルをえらんだのだろうか。
クラスのみんなはどうせクラッシュシンバルを買うだろうからその逆を行く、というくだらない反骨精神だったのかもしれない。
予想通り授業では俺以外の全員がクラッシュシンバルを鳴らしていたが、そうなると俺だけ一人浮いてしまう。クラス全員から白い目で見られているような、なんともいえない気持ちになった記憶がある。
そんなサスペンデッドシンバルも、高学年になるにつれだんだん使わなくなってしまい、今はどこにしまってあるのかも忘れてしまった。
風呂からあがり、何気なく母さんにシンバルを探しているという話をした。
俺の母さんは思い切りが良いタイプだ。部屋の整理をしているときに高級な振り袖などが出てきても、使わないと思えばすぐに捨ててしまうような大胆さがある。
俺が中学に上がるとき、同じ系列の私立中学に持ち上がるのではなく、近くの公立中学に進学したい、という希望が通ったのはその性格のおかげである。つまり中学で浮いてしまったのは自業自得なのだが、後悔はしていない。
しかしそんな大胆さが今回ばかりは悪い方向に働いた。
聞けば、昔買ったサスペンデッドシンバルは捨ててしまったという。
「高校で使うとは思わなかったからさぁ、無駄に場所取るだけで使わなかったじゃん」
その通りだが、シンバルほど処分しづらい物をよくもまあ。
「わざわざ新しいの買わせる小学校が悪いよ、響香のお下がりでよかったのに」
「響香のはあるの?」
「多分持ってると思うよ」
二つ上の姉である響香は物持ちがいい。本を買っても帯をなかなか外さないタイプだ。
響香の部屋に入ると、机の上にクラッシュシンバルが置いてあった。何も机の上に置かなくてもいいのに。
だが、俺はそれを見て少し嬉しくなった。
クラッシュシンバルを使うことができるのだ。
小学校の頃はサスペンデッドシンバルを使ったせいで一人浮いてしまったが、今回ばかりは浮かずに済むはずだ。それに、クラスメイトがクラッシュシンバルを両手でばしゃぁ~んと鳴らしているのが、少しうらやましかったのだ。
響香は今頃バイトで隣町の書店にいるだろう。
彼女は自分の部屋に入られることを何よりも嫌う、というような性格では無いため、無断でシンバルを借りるくらいは許してくれるはずだ。
クラッシュシンバルは下手な運び方をすると擦れてしまい、やけにうるさい。慎重に自室に運び込み、無理矢理カバンにいれた。
雨はやむ気配も無く降り続いていた。
アラームの音で眠りから目覚める。
携帯の画面をタップし、アラームを止める。
窓の外から雨音が聞こえる。どうやら今日も雨が降っているらしい。この時期は外の明るさで目覚めることが難しくなる。
携帯に通知が来ていた。中野からのメッセージだ。
昨夜きた通知だったようだが、気づかなかったのか。
[シンバル買えた~]
[結局電車で隣町の楽器屋まで行った]
そうだ。シンバルを持って行かなければならない。
傘をさし、シンバルのはみ出たカバンを背負って、更地となった駅ビルの跡を歩いて行く。
俺がシンバルを買ったあの楽器屋はどのあたりだっただろう。楽器屋が潰れた後はカフェが入っていたか、服屋だったか。
無くなった店は新しい店舗が入った途端に何の店だったかわからなくなり、別の店だった、という記憶だけが残る。俺は駅ビルでシンバルを買ったという思い出があるが、それもこの更地に新たなビルが建てば忘れてしまうのかもしれない。
中野は駅ビルに楽器屋があったことなど忘れていた。いや、最初から知りもしなかったのか。
記憶に残る部分、意識している部分というのは人によって驚くほど違うものだ。
俺も、シンバルを買ったのは覚えているが、その楽器屋の店名など全く記憶に無い。
駅のホームはシンバルを持った高校生でいっぱいだった。
この路線で通勤する人はほとんどおらず、朝は学生だらけだ。
電車が来ると同時に中野がホームに駆け込んできた。
中野は傘を差していなかったようで、所々濡れている。
彼の背負っているカバンからは、シンバルの一部がはみ出ていた。
シンバルの擦れる音が響き渡る。電車が揺れるたびにあちこちからシンバルの音が聞こえるのだ。
「隣町に楽器屋なんてあったんだね」
「俺も知らなかった」
俺は自分のクラッシュシンバルを網棚の上に置いた。車内のシンバルの音が、より一層大きくなったような気がした。
いよいよシンバルを使う授業だ。俺は朝からクラッシュシンバルを使いたくて浮き足立った気分だった。
周りを見渡すと、やはりみんなクラッシュシンバルを持っていた。小学生の時に感じた疎外感はもう感じない。俺は浮いていないのだ。
俺は中野がカバンからシンバルを取り出すところを見つめていた。
そのとき、俺は目を疑った。
中野が持っていたのは、クラッシュシンバルではない。
サスペンデッドシンバルだったのだ。
「中野、サスペンデッドシンバルの方買ったんだ?」
「これしか無かったんよね」
「みんな多分こっちだよ」
俺はクラッシュシンバルのはみ出た自分のカバンを指した。
「だろうな」
中野は自分のシンバルがクラッシュシンバルでは無いことをあまり気にしていない様子だった。俺は一人だけサスペンデッドシンバルを使っていた小学生時代を思い返した。
シンバルと言えばやはり両手でばしゃぁ~んと鳴らすイメージがある。それしか売っていなかったのは仕方ないとしても、中野はイメージ通りのシンバルを使いたいと思わないのだろうか。
俺は、自分の心に中野のことを擁護するような気持ちがあることに気づいた。
冷静に考えてみれば、中野はシンバルの種類が自分だけ違っていることを嫌がるようなタイプでは無いし、クラスメイトもシンバルの種類が違う中野のことを馬鹿にしたりはしないはずだ。
だが、俺はシンバルの種類が一人だけ違うことをを恐れているのだろう。その一人が大勢から白い目で見られることを俺は恐れているのだろう。
少なくともこのクラスでは、そんなこと起こるはずがない。
だが、俺はクラスメイトの白い目から中野をかばおうとしている。
気づけば中野は、クラスメイト達に囲まれていた。みんな自分のクラッシュシンバルを置いて、中野のサスペンデッドシンバルを興味深そうに眺めている。
「サスペンデッドシンバルの方か~」
「マレットで叩くんだね!」
「オーケストラっぽいなぁ」
俺は不思議な気持ちになった。
「おまえらが買い占めたから、これしか売ってなかったんだって」
そう言いつつも彼は自慢げに自分のサスペンデッドシンバルを見せびらかしている。
俺は、自分と中野の間に決定的な差があることを悟った。
一人だけシンバルの種類が違うから浮いてしまうのではなく、その「一人」が誰であるか、なのだ。
一人だけサスペンデッドシンバルを使っていたために浮いてしまった俺。
一人だけサスペンデッドシンバルを使っていたために注目を集めた中野。
俺は結局、ひとりぼっちでいれば浮いてしまう存在なのだ。
思えば中野は中学時代からクラスの中心となるような存在だった。
中学時代は俺も学年が上がるにつれクラスの中である程度の発言権があるようなポジションになっていったが、それは所詮、中野にくっついていたおかげなのだ。自然と広がっていくものだと思っていた交友関係も、中野の人間関係を間借りしていたようなものだったのだろう。
全ては中野がいたから成立したのである。
いつの間にか中野の周りには大きな人だかりができていた。
俺はあの輪に入れない。そう思った。
自分もサスペンデッドシンバルを使ったことがあるという自慢も、中野みたいな人が使うから注目されるんだよなという達観しているかのような感想も、自分の首を自分で絞めることにしかならないだろう。
釈然としない気持ちのまま過ごし、帰りのホームルームとなった。
念願のクラッシュシンバルを使えたとはいえ、気分はあまり晴れやかでは無い。そんな俺に喧嘩を売るかのように、空には晴れ間が広がっていた。
帰りの電車の中でもシンバルの音が響いていた。
普段から車内でしゃべりまくっているという訳ではないが、今日はほとんどと言って良いほど中野との会話が無かった。
帰ってすぐ、クラッシュシンバルを響香の机に戻した。
今日もまだ帰ってきていないようだ。彼女はバイトがある日は学校からそのままバイトに行っているが、俺は彼女のシフトを完全に把握しているわけではないので、いつ帰ってくるかわからない。足早に部屋を出る。
空は梅雨時とは思えないほど雲が無かった。
二十分ほどして、響香が帰ってきた。
彼女は自分の部屋のドアを開けるなり、リビングにいる俺に言った。
「私のシンバル、使ったの?」
気づかれた。
とはいえ勝手に使ったことを隠すつもりは無かった。
ごめん、勝手に使っちゃった。そう言おうとした。
しかし俺が発したのは全く別の、この場に似つかわしくない言葉だった。
「えぇ?何のことぉ?」
何故こんな「とぼけ」の代名詞のようなことを言ってしまったのだろう。
とぼけることに何のメリットも無いこの状況で、こんな言葉が口をついて出るなんて、自分でも訳がわからなかった。
「使ってないの?」
「使ってないよ」
「本当に使ってないの?」
「本当に使ってないよ」
響香は表情一つ変えず、淡々とした口調で問い詰めてきた。俺は言葉をオウム返しすることしかできなかった。
しかし一度とぼけてしまったため、後には引けない。
「嘘つき」
響香は吐き捨てるように言って部屋へ入っていった。
俺はもう何も言えなかった。
自分は何がしたかったのか、わからなくなっていた。
シンバルを持って行こうとしただけだ。
ただそれだけだ。
確かにクラッシュシンバルを持っていけて、少し浮かれてはいたかもしれない。
だが、勝手にシンバルを持ち出したくらいで響香が怒るとは思っていなかった。
中野がサスペンデッドシンバルを持ってきて、あれほど注目の的になるとは思ってもみなかった。
俺は浮くことを避けようとした。
しかし、今考えてみれば、俺は自分から浮こうとしていたのではないか?
サスペンデッドシンバルを買ったのも、きっとくだらない反骨精神からだった。
知り合いのいないであろう公立中学に進学したのも、毎日制服を着て電車で通学するということに飽き飽きしたというわがままからだった。
その中学で浮いてしまったのも、中野のように自分から話しかけにいく、ということをしなかったからだ。
全ては自分で巻いた種だったのだ。
何故この期に及んで浮くことを避けようとしたのだろう。
気づけば、俺は響香の部屋にいた。
誰もいない静かな部屋。帯を着けたままの本が並ぶ棚。たくさんの仕切りがある引き出し。
そして、机の上にはクラッシュシンバルが置いてある。
俺はクラッシュシンバルを力の限り打ち鳴らした。
目一杯、乱暴に打ち鳴らした。
ものすごい騒音が部屋に反響する。
中野に頼りきりだった中学時代の俺。
中野の借り物だった交友関係をまるで自分のものかのように考えていた俺。
自分一人では何もできない俺。
自分が嫌になる。
サスペンデッドシンバルを持ってきて、一人浮いていた俺。
中野が話しかけてくれるまで何もできず、一人浮いていた俺。
いつでも浮いている自分が脳裏に浮かび上がってくる。
俺はシンバルを手放した。
そしてゆっくりと目を瞑り、窓の外に身を投げた。
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