応援コメント

データ相続」への応援コメント

  • 十三岡繁さま

    こんにちは。

    本当に大事なものならあっという間に対策が取られていると思うので、逆に、対策とってないけど大丈夫かなと思うものは、重要ではないと思っています。

    データ類、写真に限って話をするなら、これこそ、なくても生きていけます。子供や家族の写真って大事だと思いますけれど、重要なもののの上から何番目かと考えると、けっこう下の方では? あれば嬉しいけれど、なくてもいいや、というのが今の個人的な気分です。

    写真(紙焼き)や画像データがなくなった、とショックを受けても、一か月後にはあっけらかんとしていそうです。ちなみに、実家の整理で、両親とその子供たち(自分含む)の大量の写真をどう処分するかが、このGWの喫緊の課題となっています(笑)

    「紙焼きの写真をデジタルデータにしていつまでも手元に」というのは、むしろ、なくなること前提の、過去の記憶をゆっくりと手放す断捨離の第一歩なんじゃないでしょうかね。

    作者からの返信

    おはようございます コメントありがとうございます^^

    確かに画像や映像を残せるようになったのも、人類の歴史から見ればごく最近の事なので、本質的には不要なものなのかもしれません。

    歴史を学ぶのは、過去の教訓から現在を知り未来を予測する為だと誰かが言ってました。エッセイでは例えとして家族写真を出しましたが、もっと大きな話でもデータが残っていた方が歴史を正確に辿れます。データが残っていたら邪馬台国の位置で論争する事も無かったでしょう。縄文時代の生活習慣も詳細に分かったんじゃないでしょうか?

    歴史の教科書も、ペリーや坂本龍馬の方が写真が残っているのでイメージしやすいです。信長とか秀吉は怪しいです。聖徳太子はきっと別人でしょう^^;。まー私なんて凡人の写真は奨励的注目されるとも思えませんが、NHKの映像の世紀なんてみていると、個人的なデータも結構歴史の証拠にはなるような気はします。

    実家の写真は全て処分されてしまうのですか?多少はやはり残しておくのではないでしょうか?自分でデジタル化するのが面倒な場合、デジタル化サービスというのがあります。まぁデジタル化して物理的に場所をとらなくなっても、その後どうするんだというのはありますが…。

    昔の写真は小説のネタにはなりそうです^^。