応援コメント

縄文と弥生」への応援コメント

  • 十三岡繁さま

    こんにちは。

    歴史が「動く」のは興味深いですよね。かつての直接的・間接的な記録の断片から後人が解釈するだけなので、手に入ったかけらいかんでいくらでも解釈ができてしまうからこそ、だと思います。「古環境は物語だから」と恩師が苦笑していたのを思い出します(そう言いつつ、古環境も研究していたんですけどね)。

    縄文時代と弥生時代が並行して、というのは、縄文文化を守る集団と弥生文化を守る集団とが同じ地域で別々に暮らしていたということでしょうか? それとも、両方の文化がどちらも廃れることなく、ひとつの集落の中に存在したということでしょうか?

    今の縄文・弥生共存説も、時代が下がればまた変わってくるかもしれませんね。

    作者からの返信

     おはようございます。 コメントありがとうございます^^
     
     最近伊都の国博物館という所に行って、更にその思いが強くなったんですが、弥生人と縄文人は民族として完全に別々だったんだなと…で、糸島で言えば平野部に弥生人がいて、脊振山系のあたりに縄文人が住んでいて、当初は完全に住み分けていたように思います。

     そうしてそのうちに交わって来て、板付遺跡みたいなことになったんじゃないでしょうか(板付遺跡は縄文後期です)?では弥生人はどこから来たかと言えば…これを書くと怒る人がいると思いますが大陸の方からでしょうね…。人類発祥の地はアフリカですから、縄文人も大陸側から来たといえばそうなんでしょうが、もっと南側ルートでタイムラグも1万5千年ぐらいあったんじゃないかと思ってます。