応援コメント

遊び」への応援コメント

  • 十三岡繁さま

    こんにちは。

    「遊び」は確かに小さくなっている気がします。無駄を省くために減らしていった側面もあれば、あいまいさに忍び込む問題を回避するうちになくなってしまったという側面もあるのではないかと思います。

    雑多なものをそのまま受け止めるための遊びですが、ごったに混じり合った概念は、いずれ精査され、新たに名付けられて遊びから分離させられます。ひとつひとつ概念が独立していくうちに、遊びの範囲も狭まり、いずれ消失する、そんなイメージがあります。

    建築の世界においても、もともとは空隙であった遊びが弾力性のあるシーリング材やコーキング材に置き換えられているように、遊びは変容し、縮小していくように思えますね。

    だから、あえて意識的に遊ぶのですけれど。

    作者からの返信

    おはようございます。コメントありがとうございます^^

    余白を指して遊びとはよくぞ言ったものだと思います。異種材料の組み合わせは建築では日常茶飯事ですが、鉄筋コンクリートが奇跡の組み合わせと言われているのは、コンクリートと鉄筋の熱膨張率が一緒だからです(前にも書きましたかね?)。だから遊びがいらないんです。より密着するような様々な基準を「定着」と呼びます。

    但し一体化しているから変化(変形)に弱いんです。地震時に鉄骨造は無傷でもコンクリートにクラックが入ってしまうのはその為です。建て替えるのに全部壊さないといけないのもそのせいです。法隆寺が鉄筋コンクリート造だったら鎌倉時代まで残らなかったでしょうね^^。