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ギョベクリ・テペ」への応援コメント

  • 十三岡繁さま

    こんにちは。

    ギョベクリ・テペの発掘調査はどこまで進んだのでしょうね。考古学と共通点のある分野に片足突っ込んではいますが、調査研究から導き出された結果のどこまでが真実なのか、常に気になっています。恩師は古環境学は実証のしようがないと眉をひそめていましたが、私もその考えから離れられないです。

    農耕と宗教の相性が良いことはわかりますが、狩猟と宗教も悪くない気がします。狩猟も死と隣り合わせ、運任せですよね。自分の力以外の何かを信じてすがろうとする、あるいは恐れ奉る気持ちは自然と湧いていたのではないでしょうか?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^^

    ギョベクリ・テペの発掘調査はwikiによればまだ全体の5%らしいですね。それにも増して近辺に14000~15000年前の構造物があるというのも気になりました。

    農耕文化だと遺跡の多くは、季節と関係して天体の運行をモチーフにした構造が多いと思います。狩猟文化の場合、アイヌや縄文もそうだと思いますが、大きな宗教由来の構造物は完全にオリジナルデザインで作らないといけないので大変ですよね。

    ギョベクリ・テペは動物や人間の性器をモチーフにした形状が散見される様ですが、もっと大きな構成は誰が考えたんでしょうね?ある意味建築家みたいな存在がそこにあったのかもしれないなと妄想します。

    農耕社会でないと、まとまった大きな構造物は作りがたいんじゃないかというのが通説でしたが、最近では縄文時代の大きな構造物跡が日本でも出てきていますので、本当のところはどうだったんでしょうね?

     人手という点では、農業が無いと大勢の人間の食料を賄えないので、普段はバラバラに生活していて、ある時期に集まって何かを作り上げると言った慣習だったのかなと思います。