十三岡繁さま
こんにちは。
神籠石も知らなかったのでネットでさくっと調べてみると、ほぼ福岡に集中しているんですね。明らかに朝鮮の技術がのこされた朝鮮式山城とは異なる、山城としての特徴に乏しい遺構だとか。見事に福岡の県境をまたぎ、大分に入るとみられなくなるようですが、これは大分県側が調査に力を入れていないせいなのか、地形のせいで実際に築かれなかったのかも気になります。
明確な意図のわからない構造物には不思議な魅力がありますね。そこまで古いものでなくとも、山のちょっと分け入ったところに立つ小屋(おそらく農機具置き場か水源管理の設備?)や祠など、見つけるたびにわくわくしてしまいます。
作者からの返信
おはようございます。コメントありがとうございます^^
低山に登っていると、そりゃもう人為的な石積みなんてあちらこちらにあります。史跡に指定されていないだけで、その中の多くは見る人が見たら凄い物なんだろうなとは思いますが、あまりにも頻繁に見かけるので、もう普通にそうだよなという感じです。
大分の山はくじゅう以外だと由布岳ぐらいしか登ったことが無いですが、今の所石積みは見たことが無いですね。でも神籠石の分布では瀬戸内海…四国にも広がっているみたいなので、普通に考えて大分の低山にも存在していると思います。
というか山の中は手付かずだったから今でも見られるというだけで、きっと元来はそこら中に何かしらがあったように思います。アフリカは人類誕生の地ですが、九州は日本人誕生の地…なんて事を書くと又ロマンチストだと言われてしまいそうですが、何かしらの根源的なものを感じます。
カムイ……分かります。
高校生ぐらいの頃に、父が道央のサービスエリア車を止めて下車。
そこから見た山の情景……
崖で揺れている木々を見た時、確かに『意志』を感じました。
神との対話とは、ああした瞬間を指すのかも知れません。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
アイヌではヒグマはキムンカムイ(山の神)と呼ばれていて、肉とか毛皮をお土産にして地上に遊びに来た神様と捉えているんだそうですね。
山を登っているとそこら中に神?を感じます。縄文の時代にはそりゃ八百万の神がいて、人間を神格化して拝むなんて事はありえないんだろうなと普通に納得できます。