電話ボックス

外都 セキ

カミサマ、助けてよ…。

町の外れにある小さな山。電気や電話線など通るはずのないこの土地にそれはある。ある界隈のネット掲示板で話題になったそれは、人々の知的好奇心をかき立てる反面、疑心暗鬼を生み出した。自然物に囲まれる中で、誰が見ても近代的な人工物のそれは、特定の人間の願いを一つ叶えるのだという。濁ったガラスに覆われ、多くの人に忘れられたそれは何年も、何十年も静かにその場に佇み、人を待つ。それを界隈では『願いの電話ボックス』と呼ぶ。


 

 僕は、走った。草木をかき分け、土にまみれ、虫が口に入っても走り続けた。偶然見たネットの情報を鵜呑みにするのはどうかとも思うが、これしかなかった。藁にもすがる思いで『それ』を探す。情報によれば、ご神木のような木の目の前にあるはずだが…。


 あった。一目でわかった。ネットに書いてあった通りだった。ぼんやりとした白色電灯が、あるはずのない薄汚れたガラスの箱を照らす。


 僕は早速その中に入った。その瞬間、じめっとした空気が全身を包み込む。あまり心地の良い物ではない。電話ボックスの中には汚れていつの時代かわからない電話帳と、縛られているが中身の入ったビニール袋のみがあった。


 受話器を取り出し、持ってきた小銭を入れる。確か掛ける番号は『4253』だったはず…。ポチポチと数字を押し込み、コールの返事を待つ。頼む、出てくれ。


 「…ガガ、あー、テステス、マイクのテスト中、マイクのテスト中…。」


 何度かコールが鳴った後、ふざけた反応で声の主が出た。


 「もしもし、あのっ、僕の名前はっ。」

 「オーケー、いったん落ち着け、声の感じからして…少年!」


 良かった。声の主が怖そうな人じゃなくて。


 「僕は、啓介。弘前啓介と言います。あなたは…?」

 「俺か?俺は…『カミサマ』とでも名乗っておこうかな。」


 カミサマ?こっちが真面目な話をしようとしているのに、つくづくふざけた人だ。


 「カミサマは、本当になにか願いを一つ叶えてくれるんですよね?」

 「そうだとも。多少のハプニングはあるかもしれないがね。だけど、アフターサービスもバッチリよ。」

 「なら、一つお願いしたいんですが…。」

 「何だね?言ってみたまえよ。」


 僕は、肺に大きく息を吸い込んで言葉を発した。


 「僕をいじめるやつを、消してください。」



 朝、目が覚める。小鳥のさえずりが響き、太陽の熱が体を温める。しかし、心は全く晴れる気配がない。また憂鬱な一日が始まる。


 あの後、カミサマは何も返答を返すことなく電話を切ってしまった。そのせいで昨日のことは本当にあったのか、自分でも疑わしくなる。やっぱり、あの話は嘘だったのか?


 出された朝食を胃に流し込み、母の「いってらっしゃい」と言う言葉を無視し、扉をたたくようにして家を出た。


 駅から電車に乗り込み考える。『カミサマ』とは何なのだろうか。

 

 頭の中で考えを回転させていると、電車は学校の最寄り駅に着く。一気に現実に戻されたような気持ちになり、ため息が出た。

 椅子から立つ。定期を改札にかざす。信号を待ち、一歩を踏み出す。何故嫌なことを自ら進んでやっているのだろうか。


 正門まで着いたところで、妙な違和感に気づく。みんなが怯えるような視線でこちらを見ているのだ。何か体に変な物が付いてるのかと思い確認したが、何も異常は無い。不思議に思いながらも教室に入る。


 教室でも対応は同じだった。腫れ物を見るような目で僕を見る。何故?僕が何かしたのか?


 そういえば、僕をいじめていた奴らが見当たらない。遅刻か、欠席か。どちらにしても嬉しいが…。


「はい、静かにして。」


 いつのまにか教壇に立っていた教師がクラスの空気を切る。


「本日はとても悲しいお知らせがあります。私達のクラスの一員である中島くん、北里くん、浜崎くんが事件に巻き込まれ亡くなりました。」


 淡々と伝えられるその言葉に、僕は戦慄を覚えた。


「詳しい理由はいまだにわかりませんが…。」


 皆が一斉に僕を見る。怯えた目で僕の心を抉る。なんだよ、僕が何したっていうんだよ。


「おい、お前だろ弘前。」


 まともに話したことのない奴が僕に突っかかる。確か田中だったはず。


「俺、見たんだよ。あいつらとお前が小さな小屋に入っていったところを。」

「やめてください、田中くん。」


 いつも大人しい教師が少し声を荒げて止める。だが田中は止まることなく、それどころか僕の胸ぐらを掴み、怒鳴った。


「お前が小屋から出て、俺が中に入った時何を見たと思う?あいつらが喉から血を流してもがき苦しんでる姿だよ!」


 あいつらが死んだのは僕のせい?そんな、知らない。だって、昨日は電話ボックスのところに行ったはずだ…。


「救急車を呼んだけど遅かった。医者が言うには声帯も切られていて助けを呼べない状況にされていたらしい。なぁ、どうやったらそんなに残酷な殺し方ができるんだ?答えろよ!」


 その言葉と共に、田中は僕の頬を本気で殴った。口の中が血の味で満たされる。これが罪の味なのか?でも、僕は無実だ。


「…知らないよ。」

「あぁ?」

「僕はそんなことやってない!」

「そうかよ、クズが。」


 田中はそう言うと、二枚の写真を見せてきた。一枚は僕らしきものが小屋から血塗れで出てくる写真。もう一枚は集中治療室へと運ばれたであろう3人の姿だった。


「お前、これを見てまだ嘘がつけるのかよ。これを見て良心が痛まないのかよ。少しでも人間の心が残ってるのなら、罪を償ってくれよ…。」


 頭が真っ白になる。僕は昨日、電話ボックスに行ってカミサマにお願いした。いじめるやつを消してくれって。


「あいつらは、クラスに馴染めていなかったお前を必死に誘って、仲良くしてくれてたじゃないか。なんで、なんで裏切るんだよ…。」


 田中の目からは涙が溢れる。空気は時間が止まったように張り詰め、動かない。僕は何も言葉が出なかった。


 あいつらが、僕と仲良くしようとしていた?違う。僕はあいつらにいじめられていたんだ。だって…。


 あれ?僕はあいつらに本当にいじめられていたのか?すこし話したり、ウザ絡みをされただけ…。


「僕は、僕は…。違う、違う違う違う違う!僕は悪くない!悪いのはあいつらだ!」

「まだ言うのか!お前はっ…。」


 田中の声が止まった。いや、声が止まったんじゃない。出せなくなったんだ。だって、今、目の前で何の前触れもなく喉から血を流している。


 田中はパクパクと魚のように口を開け閉めし、そのまま倒れ込んだ。苦しそうにもがく田中は、僕を睨みつける。その目は、救いようのない罪人に向ける目だった。


 クラスは阿鼻叫喚の地獄絵図となった。我先にと出口に人が押し寄せドミノ倒しのように人が押し潰される。


 僕はその人だかりを踏みつけ、下駄箱へと急ぐ。靴を履き、信号を待たず、改札を飛び越え、電車に飛び乗った。


 カミサマともう一度話す。僕の目的はそれだけだった。あんなことが出来るなら、今までのことを全てリセットできるはず…。



 息が切れ、足に乳酸が溜まり痺れる。何度も転け、体は傷まみれだった。それでも僕は電話ボックスを目指した。


 着いた。僕の人生は一日でめちゃくちゃになったのに、それは昨日と変わらない薄汚れた姿を保っている。


 急いで中に入り、息を整え、小銭を入れ番号を押す。頼む、出てくれ。


「…ガガ、あー、テステス、マイクのテスト中、マイクのテスト中…。」


 また、あの時と同じようなふざけた対応でカミサマが出た。


「カミサマ?カミサマ!」

「おぉ少年。どうだい?願いは叶ったかい?」


 ふざけるなふざけるなふざけるな!


「ふざけるな!お前のせいで僕の人生はめちゃくちゃだ!」

「何がふざけるなだ。お前がすべての元凶だろうが。」


 カミサマの声色が急に図太くなる。


「お前が何故ここにきたのか、何故願いを叶えて欲しいのか調べさせてもらったよ。いじめるやつを消して欲しいだって?中島くんも北里くんも浜崎くんもいい子たちだったじゃねぇか。問題はお前だよ。」

「僕?」


 カミサマが、カミサマじゃないみたいだった。カミサマに話せば何もかも解決すると思い込んでいた。でも、違う。


「お前、あの日三人と口論になったらしいな。しかも原因はお前が浜崎くんの財布から金を盗み取ったから。被害妄想も甚だしいぞ。」


 何も言えなかった。


「お前の中でのいじめの定義が逆恨みだから皆死んだ。素直に謝っておけばこんなことにならなかったのにな。」


 あぁ、そうだ。全部僕が悪い。


「ごめんなさい…。もうしません…。だから、助けて…。」

「やったことは戻せないがリセットすることはできる。アフターサービスはバッチリって言っただろ?」


 僕は希望の言葉を聞いた。リセットできる。甘美すぎる言葉だ。


「それは、どうやって…。」

「そこにあるビニール袋の中身を使え。」


 縛られているビニール袋は妙にずっしりとした重さがあった。そこにあったのはある意味で救いとなる道具だった。


「これって…。」

「そいつで自分を終わらせるんだよ。リセットするにはそれしかない。」


 袋の中にあったのは拳銃。弾は一発のみ。


「口に咥えて引き金を引け。そうすれば一発で死ねる。」

「無理だよ、そんなの。」

「じゃあ俺がやってやる。」


 体が勝手に動き出す。拳銃を力強く口に押し込み、人差し指を引き金にかける。


「待って!」

「いくぞ、3、2、1。」



 パンッ



「うわぁぁぁぁぁああああああああ⁉︎」


 ここは、ベッド?僕の部屋?今までのは全部夢?


「良かった…。」


 安堵して体の力が抜ける。


 外へ出よう。その辺りを散歩して気を晴らそう。


 僕は靴を履き、母に「いってきます」と言った。しかし、返事はない。


 扉を開ける。だが何もない。本当に何もないのだ。


 白い地平線が無限に続く景色を見て僕は察した。


 あれは全部本当にあった事だと。


 後ろにあった家がサラサラと砂のようになって消える。


 この場所には僕しかいない。何もない孤独な空間。本当の一人。


「ごめんなさい……。」


 それしか言葉が見つからなかった。

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