第3話 タカ兄とのひと時

 次に巨大トカゲが現れたのは、あろうことかその翌朝だった。


「んぎゃ!」


 思わず変な声を出してしまった。


 無理もない。荷物からフライパンを取り出し、昨日買ったもので簡単に何か作ろうと火をつけた瞬間、トカゲが現れたのだ。それも火の中から!!


 しかも、危うくフライパンごと落っことすところだった。反射的にトカゲを睨みつけるが、その姿はもうどこにもなかった。


(幻覚…………なのか?)


 疲れているせいだろうと深くは考えず、朝食を摂ることにした。今日一日タカ兄と一緒にいられると思うと、トカゲなんてどうでも良くなった。



 ていうか、トカゲどころではなくなった。



「……ユキ、荷物多すぎ」

「……すみません」


 一時間後、わたしは届いた大量の荷物を前に愕然とした。


(これ、部屋に全部収まるのか……?)


 あれこれ会話するのが楽しみだったが、はりきり過ぎてしまったため、そんな余裕は露となって消えた。


 壁紙を貼る作業を始め、片付け、使わないものの処分などを黙々とこなしていく。

 正直、せっかく持ってきたものを処分するというのは勿体ない気がしたが、そうでもしないと歩く場所も確保できそうになかった。


(でもまぁ、いいか。これからもタカ兄をこの部屋に呼ぶのに、座る場所もないなんて方が嫌だし)



 そうして作業を終えた頃には、外は既に薄暗くなっていた。



「……終わったね」

「あぁ……お疲れ」


 まだ肌寒い時期というのが唯一の救いだった。真夏だったら汗ぐちょぐちょの姿をタカ兄に晒すことになっていた。


(あ、でもタカ兄のだったらちょっと見てみたいかも……)


「タカ兄も、お疲れ。ありがとうね」

「いやいや。ユキが思った以上に力あったから、結構助かったよ」

「……わたしが馬鹿力だと?」

「あ、いや! 別にそういう意味じゃ――」

「まぁ、確かにわたし、昔から男子に男女呼ばわりされてたけどね。しかも何故か、女子にばっかモテてたし」

「あー……」

「そこ! フォローするところでしょ!!」

「ごめんごめん。つい」


 くすぐったそうに笑うタカ兄に、わたしはふくれっ面をお見舞いする。もちろん、攻撃力はゼロだ。


(悪気ないのは分かってるけどさ……)


 タカ兄にまで納得されるのは、腑に落ちない。彼の前で男女だったのは、ほんの小さい頃までだったのに。

 とはいえ、根っこが男勝りなせいで、結局男子と張り合う姿を何度も目撃されてしまったわけだけど。


 分かってる。タカ兄にとって、わたしは年下の可愛い従妹でしかない。


 男女と言われたわたしのコンプレックスも、タカ兄からしたら可愛い従妹の一要素でしかないのだ。


「でもまぁ、やっぱ女の子だな」

「え?」

「久々に会って驚いたよ。すごい可愛くなってたから」

「そ、そう?」

「あぁ。少なくとも、今のユキは男女に見えないよ」

「えへへ……」


 瞬く間に頬が緩んだ。体温の急上昇で汗臭さが増していないか心配なのに、頬の緩みが止まらない。



(ほんと、わたしって単純)



 タカ兄の一言で、もうコンプレックスなんてどうでもよくなった。恋って、本当にすごいと思う。一瞬で馬鹿になってしまうのだから。


(でもまぁ、タカ兄で馬鹿になるなら……全然いいかな)


「この部屋も、いかにも女の子って感じだよな」

「憧れだったから。こういう部屋」

「そっか」


 桜色と白を基調とした壁紙を貼り、持ってきたインテリアを飾り、枕やかけ布団なども壁紙の雰囲気に合わせた。男手があったとはいえ、殺風景だった空間がたった一日で部屋としての形を成したことが奇跡に感じる。


 何より、タカ兄と一緒に作ったという事実が感涙ものだった。


「本当に、ありがとうね。タカ兄」

「どういたしまして」


 わたしの中で渾身の笑顔を向けるも、タカ兄の柔らかさは変わらない。少なくとも少女漫画あるあるの『ドキッ』は微塵もなさそうだ。


(現実はそうだよな)


 でも、それでいい。

 映画のような甘さも、ドラマのような盛り上がりもいらない。



 わたしの歩幅で少しずつ、タカ兄に近づいていく。


 ただの可愛い『従妹』ではなく、対等な『彼女』として、側にいられるように。




「とりあえず、ご飯食べるか」

「うん」


 嬉しいことに、夜ご飯はタカ兄といっしょに食べることになった。お腹が空き過ぎて死にそうだったので、互いに牛丼屋で大盛をがっつくしかなく、雰囲気もクソもなかったが。


(……いや、これも悪くないや)


 久しぶりに会ったタカ兄は、前よりも大人の男らしくなっていた。かといって男臭いわけではなく、彼の良さである柔らかい雰囲気も消えていない。


(牛丼にがっついてても、やっぱりタカ兄はカッコいいなぁ……)



「そういえばユキ、そっちは大丈夫か?」



 タカ兄が不意に顔を上げたので、わたしは必死に平常を取り繕った。


「ん、大丈夫って?」

「ほら、昨日言ってたやつだよ」

「……あぁ、あれね。大丈夫だよ。特に何もないし」

「そうか? ならいいんだけど……」


 話した方がいいかなと思ったが、止めておいた。牛丼屋とはいえ、タカ兄との時間をトカゲの話なんかに費やしたくない。


(でもタカ兄、わたしのことを気にしてくれてたんだ……)


 作業の後で疲れてるはずなのに、気遣いや心配りを忘れない。どこに行っても、どんな環境にいても、やっぱりタカ兄は優しい。


(これからは、もっとたくさんタカ兄と一緒にいられる)


 新しい生活が始まること以上に、会いたい時にタカ兄に会えることが嬉しかった。



 だけどわたしは、ここで相談すべきだったと数日後に後悔することになる。


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