元旦那は今妻の為に私に花束を作らせる

青下黒葉

第1話 今井咲良

「すいませーん」

 毎週火曜日の午後6時。

「はーい」

 仕事終わりのスーツ姿。

「花束をお願いします」

 愛妻家を装うバツイチ男。

「本日はどのような感じで?」

 『出来る男です』と言わんばかりの顔で。

「愛が伝わるような、そんな感じで」

 元夫は私の所へ今妻の為に花束を作らせに来る。


「毎週ありがとうございます」

「いえ、妻が好きなもんで」

 彼は広告代理店に勤める社長の息子。28歳とまだまだ若いが既に課長に昇格。出世街道まっしぐら。

「その花、綺麗な色ですね」

「丁度旬ですので」

 しかし半年前に離婚。原因は彼の不倫。会社の若い女性に手を出し、そのまま不倫相手を選んだ。

「じゃあその花も入れてもらえますか」

「かしこまりました」

 彼と元妻、つまり私との間には現在4歳になる息子がいる。彼は慰謝料と養育費を払いながら今妻とのうのうと暮らしている。それもこれも"社長の息子"という強い武器があるから。

「毎週花束を持って帰ったら、お家が花束で溢れませんか?」

「……溢れかえってます。あーですが最近引っ越しまして」

 知ってる。この花屋から見える、高層マンション。あの最上階にあなたは引っ越した。知らないとでも?

「そうなんですね」

 私と彼は現在、店員と客。プライベートな事には決して踏み込まない。

「これだけ綺麗な花束だと誰かにあげたくなりますよね」

 出た。

「今はそういう方、いらっしゃらないんですか」

 この人は毎度こうだ。『私には愛しの妻がいますが、貴方には愛する人はいないんですか』というマウント。

「ええ、今は仕事やら子供の事やらで忙しいので」

「そうなんですか」

 彼は親指の腹で鼻先を撫でた。

「このような感じで大丈夫ですか」

 出来た花束を抱えて見せた。

「ええ、とても綺麗です。妻も喜ぶと思います」

「そうですか」

 花瓶に収まるほどの小ぶりで可愛らしく派手な花束は、彼とその妻にお似合いだ。

「じゃあありがとうございました」

「いえ、毎週のようにありがとうございます」

「それでは」

 彼は花束を小脇に抱えて去っていく。1週間も美しい姿を保つことが出来ない花束を抱えて。

「今井さん、あいつずっと来ますけどやめさせないんですか? なんか凄いあの人が来るとイライラするんですけど」

「ごめんね瀬戸くん。あの人は何言っても通用しないから」

「でも、毎週ですよ? 来すぎでしょ」

「売上貢献ってことで」

「懐広いなー」

 お店に飾ってある時計を見ると午後7時を指していた。

「そろそろ片付けに入ろっか」

「はーい」

 お店の片付けを済ませ、シャッターを下ろし鍵をかける。見上げると彼が住んでいるマンション。彼は私を見下すためにあそこに引っ越した。

「嫌味なやつ」

 近所で住む両親から息子を引き取り家に帰ってから晩御飯の支度をする。両親と一緒に暮らせば、この時間を別のことにあてられるのだが、今は仕方がない。

「あ、悠真それは触っちゃダメって言ったでしょ」

 4歳児の男の子は想像以上に手がかかる。1人だと余計大変なのは分かっていたが、両親には迷惑をかけられない。

「パパはー」

「パパはねー、上の方から私たちのこと見てるよ」

 間違いではないと思う。

 悠真を寝かしつけ、私は自室へと向かった。また来週の火曜日のために。


「悠真くんは、ここの看板娘でちゅねー」

 今日は両親が2人とも家にいないということで悠真も花屋に連れてきている。そんな日は瀬戸くんが日中悠真の世話をしているのだ。

「娘というより息子なんだけどね」

「看板息子かー」

「ごめんねー、悠真の世話頼んじゃって」

「楽勝っす。保育士希望だったんで」

「今は?」

「やっぱりあの業界って偏見の壁っていうか、男には難しい世界な気がして。したい仕事をするのって無理なんですかね。ねー? 悠真くんもそう思わないかい」

「ステータスの為に仕事をしてる人もいるから、瀬戸くんは立派だよ」

「元旦那ですか」

「まぁ、そうだね」

 平日のこの時間は比較的人が少なく、話しながら片手間でできる作業ばかりなので基本ずっと瀬戸くんと喋っている。

「そういえば、ずっと聞こうって思ってたんですけど、今井さんってなんでずっとイヤホンつけてるんですか?」

「え?」

「左耳の」

「あー、ラジオ聞いてるの。お客様が来たら外してるんだけどね、天気予報とか聞いてないと外の花を雨で濡らしちゃうかもしれないから」

「なるほど」


「聞かれたなー」

 悠真を寝かしつけながら瀬戸くんとの会話を思い出す。無難な返事だったと思うけど、やはり業務中にイヤホンをつけているのは怪しすぎた。

「おやすみー、悠真」

 そうして今日も自室へと向かう。

「機械替えてから音が良くなってホント助かる」

 今日の映像に必要なデータはなかったので編集無しで圧縮して『9月分 ゴミ箱』と名前をつけたファイルにデータを移動させる。

「倦怠期なのかなー。あ、でもこれがちょっと面白いかも」

 必要な部分だけを切り取って『9月分 需要』のファイルに入れて再生する。

「ねえ、今度家に弟連れてきてもいい?」「え、なんで」「引っ越したって言ったらさ、見てみたいって言うから」──

「夏樹くん、ついに真実を知っちゃうのかなー」

 カレンダーに青色のペンで『夏樹くん平山宅へ』と書いてもう一度同じ音声データを再生する。

「チキンな男になっちゃったんだね、浩大くん」

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