彩月あいすの独書感想文

彩月あいす

世界の終りとハードボイルドワンダーランド/村上春樹

 小説を読んで、はじめての涙が出た。

 もちろん、小説を読んで泣いたことがないわけでは無い。むしろ私は涙もろい方の種族と自認している。有川浩さんの「阪急電車」や千早茜さんの「からまる」なんかはいつも同じところで涙ぐんでしまうくらいだ。LINEスタンプ・うさまるのキャラクターブックを見ていて泣いたときは、友人からワイシャツが汗で濡れて乳首が透けている中年男性を見るような視線を向けられたこともある。私の友人はどちらかといえば狭量なのだ。


 ともあれ世界の終りとハードボイルドワンダーランド(長いな⋯)のことである。

 物語の最後、今まで流したことのない類の涙が私の頬を撫でた。読んで頂けたらわかるのだが、物語は決してハッピーエンドではない。だからもちろん「全米が泣いた」的な感動が私を感涙せしめたわけではない。しかしその涙は哀しみから生じたモノではない。登場人物に同情したわけでもない。

 なんといえばいいのだろう?

 あえて言葉にするのなら──言葉にしないことにはここに書く意味はないのだけれど──誰かの背中を押したくなるような、あるいはそっと肩を叩かれているような、けれど鋭い痛みも孕むあたたかさから生じた涙。

 その涙の名前はわからない。名前などないのかもしれないし、名付けるわけにはいかない類の涙なのかもしれない。わかるのはそれがはじめて流した類の涙だったということだ。その涙のレンズを通して見たあとの世界はいつもより仄かに明るく、すこし拡がって見えたということだ。


 話はいささか変わるが今回はじめての投稿ということで、私にとって「読書とは?」について語ろうと思う。


 読書とは登山に似ている。

 まず、外側から見て楽しむ(電子書籍だとそうはいかないけれど)。頂上までの道のりを想像する。どんなことが待ち受けているだろうか、と心を踊らせる。

 いざ足を踏み入れてみれば、その道のりが楽しいだけでないと気付く。急に先が見えにくくなったり、予想に反して唐突な悪天候に見舞われるかもしれない。油断して怪我をしたり、足場が崩れて先に進むこと躊躇うこともあるだろう。それでも私たちは汗を流し、涙を流し、ときに血液をも流しながら歩みを進めなくてはならない。読書も登山も同じで1歩ずつ進まないことには結末と呼べるところまでは辿り着かないモノだからだ。そこに辿り着かなければ、足を踏み入れた決意や労力は灰燼と帰し、何より費用がもったいない。

 しかしもちろん、私たちは知っている。

 その道のりが険しさだけでないことを。だからその覚束無い坂道への1歩を踏み出せるのだ。名も知らない野鳥の囀りに癒されることもあろうし、想像もしなかった素敵な出逢いが待っているかもしれない。そういう些細なあたたかみのおかげで私たちは足を進める勇気を持てる。ある種──読書が好きだという(私も含めた)変わり者──の人間にはそういった確信が今までの経験で培われている。

 そして山頂に辿り着く。

 想像以上に美しい景色に出逢えることもあろうが、それはどちらかといえば稀である。それは奇跡といってもいいかもしれない。ほとんどの場合が想像していた結末とは一線を画してしまう。雲が多く出ていたり、うまく見頃の時期を捉えられていないことだってあるものだ。なのにそこから見える景色は辿り着いてみないことにはわからない。余所から眺めていてわかるものではない。そういう意味でいえば読書(山登り)とはほとんどギャンブルといって差し支えないかもしれない。

 しかし、と私は思う。

 そこに辿り着いたことは決して無意味では無い。短くも容易でもない道の、その最後まで歩を進めることでしか身に付かない筋力が必ずついているはずなのだ。とはいってもそれは日常のなかで即効的に役に立つようなシロモノではない。人に「ほら、こんなに」と見せられるモノでもない。しかし必ず、それは私たちを大きくさせている。私は、そう信じたい。強く、信じていたいのだ。

 しかし、そのような効能があるとして、それは誰を救いもしない達成かもしれない。それでもその達成が自分を救うことはあるかもしれない。そして自分をも救えない者が、いったい誰に救済をもたらすことができるだろう?


 私はそういう小説を読みたいし、実際沢山読んできた。今回取り上げた「世界の終りと⋯」も、もちろんそのなかのひとつである。いや、この作品の壮大さや心に食い込む深度は特にその傾向が強いといえる。ページの最後をめくったとき、脳が、身体が。歓んでいるのがよくわかる。


 私は小説家になる。

 目指しているのではない。と決めている。そして私も誰かにとっての登山たりえるモノを書きたい。そういうモノを書けるよう努力を続けたい。

 私の成長を見守って頂ける方がいるなら、その方のために、私は力の限り書き続ける。それが間違いなく、私のためになるとわかっているから。この文章をここまで読んでくれたあなたと、私たちだけの頂上を見てみたい。さあ、行こうか。


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