第一部『邂・逅』後編
その夜。帰って大好物の手巻き寿司を平らげると、耕助は母からすぐに風呂に入る事を強いられた。昨日は先に小雪ちゃんが入ったのだが、今日は何故か後から入りたいと言って聞かず、やむなく耕助が先に入る事になったのである。しかし耕助自身、ご飯を食べた後すぐに風呂に入るのはあまり気が乗らなかった。しかも今日は手巻き寿司をたらふく食べた後だったので、尚更腹が重く、風呂に限らず何もする気が起こらなかった。しかし両親は小雪ちゃんに気を遣って、何でも小雪ちゃんの意見を優先するので仕方ない。耕助は渋々、しかし小雪ちゃんの前ではなるべく顔には出さず、風呂に入る事にした。
「はひゅー、はひゅー」
腹の苦しさに呼吸を荒くしながら、耕助はシャンプーを丁寧に泡立てる。満腹の時のシャンプー程、面倒くさいものはない。しかし、シャンプーをちゃんとやらなければ、将来僧になってしまう(禿げ散らかってしまう)かもしれないーーと、どこかで聞いた◯ノ内サディスティックのフレーズを頭皮に銘じながら、耕助は集中してシャンプーを揉み込む。
ふと背後に誰かの気配がした。しかし耕助は慣れた様子で、動じる事なくシャンプーを続ける。シャンプーをしている時にふと誰かの気配がする事は、耕助に限らず多くの人間が共感できる現象だろう。そして目を開けて後ろを振り返ると、大抵は誰もいない…その経験は、1年程前から1人でシャンプーをするようになってもう何度も経験した。だから今更、いちいち目を開けて振り返る事などしないーー
ごしごし。
ごしごしごし。
…いや。
いつもより、頭を洗う感触が多い気がする。
ごしごしごし。
やっぱり。
今耕助は、手を動かしていない。
誰かいるーー。
「誰だ!」
耕助が突然目を開けて叫びながら、イナバウアーのように頭を仰け反らせて後ろを見るとーー
「わ」
そこには座敷童がいた。
いや、違う。小雪ちゃんだった。
「なんだ、小雪ちゃんか」
耕助はコニーの母親のような体勢のまま、小雪ちゃんを逆さに見つめる。耕助の視界には、一糸纏わぬ小雪ちゃんの裸体がありありと映し出されていた。
「ボクがあたま洗ってあげる、まえむいて」
小雪ちゃんが耕助のほっぺたをぶにぶにしながらそう言うので、耕助はとりあえず素直に従い正面に向き直る。後から入ると言ったのはこれがやりたかったのか。しかし何で急にーーまぁ、この年頃の子は急におままごととかしたくなるか。いや、それは幼稚園の頃までか。どうだろう。梨乃ちゃんはいつくらいまでおままごとしてたっけ。あ、そういえば今日家行った時、クッキー作ってたよな。あれもおままごとの一種と言えばそうなのか…?いや、けどあれは料理だよなぁ。果たして料理はおままごとって言うのか…?料理の真似をして遊ぶのがおままごとであって、本当に料理をしたのなら、それはおままごとじゃないんじゃ無いのか…?いや、待てよ。梨乃ちゃんは多分、誰かのレシピの真似をしてクッキーを作っているよな。だとしたら料理の真似事ーーつまりおままごとだと言えるんじゃないか。けど一つ問題は、あれは果たして遊んでいたのかという点だ。僕達に振る舞うためだけに作っていたのなら、それは遊びじゃなくお・も・て・な・しだ。でも仮に梨乃ちゃんがクッキー作りを楽しんでいたのだとしたら…?それは遊びであり、おままごとだという事になる。だからまとめると…えっと…あのクッキー作りがおままごとだったかどうかを決めるためには、梨乃ちゃんに電話して、クッキー作り楽しかったかどうかを聞かなきゃいけないーーよし、梨乃ちゃんに電話だーー
「梨乃ちゃんに電話だ!」
そう言うと耕助は小雪ちゃんを器用にすり抜けて風呂を飛び出し、シャンプー塗れの頭とびしょ濡れの身体のままリビングに直行した。そして至る所を濡らしに濡らしながら受話器を取りーー梨乃の家の電話番号にかける。
「もしもーー」
「今日のクッキー作り、楽しかった!?」
「はぁ?」
電話に出るや否や耕助が叫ぶと、梨乃は困惑の声を上げながらも少し時間を置いて答えてくれた。
「うん…まぁ」
「ありがとう!」
耕助は梨乃から回答が得られると、すぐに電話を切った。そして解放感に満ちた表情で天を仰ぎ、ラオウの如く大きなガッツポーズを掲げる。
料理はおままごとだったーー。
導き出したその結論は、耕助にとってはノーベル賞級の発見であった。後にこの発見を、耕助は「真夏の風呂場の奇跡」と名付ける。また、その後の出来事を耕助は「真夏のリビングの悲劇」と名付ける事となる。
「こーうーすーけー」
昇天ポーズをしながら余韻に浸る耕助を影が覆い、耕助はびくりと身体を震わせる。そしてようやく気付いた。びしょ濡れのリビング、びしょ濡れの身体、シャンプーを付けたままの頭、風呂に残して来た小雪ちゃんーー
母から制裁が下されるには、充分すぎる条件が揃っていた。
奥に怒りを秘めた笑顔で、母は耕助の首根っこを掴む。
嗚呼。
我が生涯に、一片の悔いなし。
耕助はどこかで聞いたラオウの名台詞を引用し、覚悟を決めた。
ーーみぎゃあああああああウィィィィィンあああああああああ。
耕助の覚悟もクソも無い悲鳴と謎の機械音が混ざりあった音が家中にこだまし、お風呂に浸かっていた小雪ちゃんは思わず耳を塞ぐ。そしてその音が鳴り止んでしばらくするとーー風呂場のドアが空き、1人の少年が入って来た。
「ごめん小雪ちゃん、もっかいシャンプーして」
僧(丸刈り)になった耕助が、ぺろりと舌を出して頭を掻いた。
~~~~~~
小雪ちゃんが泊まりに来て3日目の早朝。明け方の緩やかな日差しにあてられ、耕助は目を覚ます。デジタル時計を確認すると、時刻はまだ4時半だがーー昨日千合温泉でしっかり整ったおかげか、はたまたハゲにされたおかげか、頭はこれ以上なくスッキリしていた。しかも今日の夜は、年に一回の花火大会。これは良い1日になりそうだーー。そんな予感と共に、耕助はベッドを出て洗面所へと向かう。今日は休日であるため、両親はまだ起きていなかった。耕助は電気も付けず、薄暗い洗面所で1人歯を磨く。この寝静まった空気の中で1人身体を動かしているとーー世界が自分を中心に回っているような気がして、耕助は何とも言えぬ高揚感を得る。そしてこんな時は、とある場所に行きたくなるのだった。
耕助は歯を磨き終えると、パジャマも着替えずに庭に出る。そしておもむろに自転車に乗り込んで、家から少し離れたその場所へと、澄んだ早朝の空気を全身で浴びながら、快調にペダルを走らせていく。一面の田んぼからは蛙の鳴き声、陽光の滲む空からは雀のさえずりーーこの時間、たまに近所のお爺ちゃんが農作業をしている事もあるが、今日は誰もいない。今は自分だけがこの大地で躍動し、地球と共鳴しているーー。それは耕助にとって何物にも代え難い、かけがえのない感覚だった。
ふゅぅーーー。
耕助は下り坂を重力に任せて滑走しながら、その爽快感に思わずできもしない口笛を吹いた。
20分くらい自転車を漕いで、耕助は目的地に到着した。それは商店街の一角にぽつんと佇むーー
がらり
と子供がちょうどしゃがんで通れる高さくらいにシャッターが開いた。そして耕助は、そこを通って中に入る。オレンジ色の電気が点いて顕になった内観は、その外観のイメージ通りの、古本が無数に立ち並んだ普通の本屋だったが…奥からコーヒーと椅子を持って来て迎えてくれた店主が、普通では無かった。服装こそ本屋店員のようなエプロン姿だが、その顔は太陽のような形状をしており、目鼻口も無いーーつまり言ってしまえば、宇宙人であった。
「2号、おはよう」
耕助はその宇宙人ーー2号に挨拶をし、持って来てくれた椅子に座った。そしてその辺の本を手に取りぺらぺらとめくる。ここにある本は全て変な文字で書いてあり何も分からなかったが、耕助は早朝の本屋の落ち着いた雰囲気の中でコーヒーを飲みながらお洒落に本を読むという「大人の仕草」がやりたいだけなので、本の内容はどうでも良かった。ちなみにコーヒーも苦くて嫌いなので、ただ飲むふりをしているだけである。
2号は耕助をひとしきりもてなした後、シャッターを閉める。そして2号がパチンと指を鳴らすとーーどういう原理かシャッターが透過し、中から外が見えるようになった。ちなみに外からは中の様子は見えない。マジックミラー号と同じ原理である。耕助は本を読む(ふりをする)だけでなく、こうして商店街が徐々に活気付いていく様を観察するのも好きだった。
そしてしばし狭い本屋の中、耕助は2号と2人で、ただ無言で本を読む(ふりをする)事に興じた。この落ち着いた大人の空間では、2号の吸うマルボロの白煙のいやな匂いすらも、耕助には心地好く思えた。
~~~~~~
2時間程ゆったりとした時間を過ごし、耕助は商店街の店が所々開店し始めるタイミングで帰路についた。商店街を走る途中、肉屋のおじさんや花屋のおばさんに挨拶をしながら帰ったので、往路よりも少し長い30分程で家に到着した。そして自転車を倉庫に止めて玄関のドアを開けた瞬間ーーウインナーの焼ける芳しい匂いが鼻をつき、耕助は盛大に腹を鳴らす。早起きして少し運動した後の朝食は格別に美味だという事を、耕助は知っていた。洗面所で手洗いうがいをするとすぐに食卓につく。そして表面を肉々しく照らしながら並ぶウインナーを、待ち侘びたように一本掴みーーゆっくりと口に放り込む。そして歯を入れた瞬間ーーぷち、と薄皮が破ける音がしたかと思うと肉汁が弾け、口いっぱいに芳醇な肉の香りが広がる。まるで肉汁のダイナマイトーーそして噛む度に漏れ出る上質な油が、血液を通して全身に行き渡り、耕助は思わず至福の感嘆を漏らす。
「おいしい…」
「コーちゃん、ほんとに幸せそうに食べるね」
あまりにも朝食に浸りすぎて気付かなかったがーーいつの間にか小雪ちゃんが隣に座っていて、両手で頬杖をつきながら、心底微笑ましそうに耕助の食事姿をじっと見つめていた。
「コーちゃんの食べてる姿みてると、こっちまで幸せな気持ちになっちゃう」
そう言ってクスクスと笑う小雪ちゃんは、心なしかいつもより大人っぽく見えた。
「コーちゃん、早くからどこ行ってたの?」
「さんぽ。自転車で」
朝5時前から卍金堂にいた事は秘密にした。
早朝のあの場所にしかない静かで落ち着いた空間はーー自分だけが独り占めしたかったのだ。
「今日3時からお祭りだから、力蓄えとかないとね」
そうやって耕助はさり気なく話を逸らし、ウインナーをまた一本口に運んだ。
~~~~~~
気がつくと耕助は、見知らぬ土地にいた。訳も分からず耕助がつっ立っていると、突如として真下からロケット風船が飛び出して来て、耕助の尻を思い切り突き上げる。耕助はロケット風船に持ち上げられて、遥か上空へーー。
「わぁ」
耕助は感嘆を漏らした。大気圏を抜けた先ーーそこには限りなく壮大な、宇宙が広がっていた。どこまでも続く暗闇の中、己の存在を主張するような無数の星の煌めきに耕助は思わず見入る。まるで映画の中のような、幻想的な光景ーー耕助は恍惚としながら、その映像美を目に焼き付けていた。
ーーぼす、ぼす。
突如下から鈍い音がした。見ると耕助を持ち上げていたロケット風船から空気が抜け、小さく萎んできている。
「あ」
耕助がそう小さく声を上げると同時に、ロケット風船が一瞬荒ぶり、耕助の尻を撫でてーーそしてふっと力を失った。そして宇宙には本来無いはずの重力に引っ張られーー耕助の身体は地球へと急転直下していく。しかし何故か、その時の耕助には恐怖は無かった。
むしろこの状況を、楽しんでいた。
ーーあはは。
耕助は落下しながら、身体を悶えさせて笑う。
ーーあは、あはは、あはは!
どんどん、笑い声が止まらなくなっていく。
ーーあはははははははははははははははははははは
くすぐったい。
「うんふ」
耕助はそう甲高い声を上げ、ぱちりと目を覚ました。そこは自室の床の上ーーそして目の前には宇宙図鑑。どうやら宇宙図鑑を開いたまま枕のようにして眠ってしまったらしく、そのページが耕助のよだれでびしょ濡れになっていた。そしてそれ程までによだれが出た原因ーーそれは後ろから耕助をぎゅっと抱き締めて眠る小雪ちゃんが耕助の横腹を無意識に掴み、くすぐっているせいだと分かった。
「…こ…ん…」
小雪ちゃんは耕助が起きても依然として耕助を抱き枕のようにして離さず、何か寝言を漏らしながらぐっすりと眠っている。耕助は徐々に寝ぼけも取れてきて、ようやく今がどういう状態かを理解した。朝食の後、耕助は小雪ちゃんの宿題を手伝ってあげて、そしてひと段落して、寝転びながら宇宙図鑑を読んで…恐らくそのまま寝落ちしてしまって今に至るーー
「コーちゃん…」
小雪ちゃんは今度ははっきりと寝言を言って、耕助を強く抱きしめる。その拍子にまた横腹をまさぐられ、耕助は「あへん」とまたクロちゃんのような甲高い声を漏らす。我慢できずに小雪ちゃんの腕を剥がそうとしても、その白く細い腕からは想像できぬ程のばか力で掴んでおり離れないので、耕助はやむなく小雪ちゃんを起こしにかかる。
「小雪ちゃん、小雪ちゃん」
「んん…」
小雪ちゃんが瞳をぱちりと開け、眠そうな声をあげる。ちなみに時刻は13時半。15時からの祭りに参加するためには、そろそろ昼ご飯を食べて、準備をしないといけなかった。
「起きて。祭りいこ」
「うん…」
うん、と言いつつも、小雪ちゃんは抱きついたまま、一向に離れようとしない。それどころか更に抱きつく力を強めるので、耕助はまた変な声を漏らす。
「あひ、小雪ちゃん?」
「もうちょっと」
小雪ちゃんはそう甘えるように耕助の背中に顔をうずめて言い、一向に離れる気配がない。まぁこの3日間でここまで仲良くなれたのは少し嬉しくもあるが…一方で時計の秒針は容赦なく動き続けている。さてどうするかーー
耕助は歪な思考回路で、必死に考えた。
「あの…ねぇ…きみたち」
母が眉をひくつかせながら言う。
「それ、行儀悪いとかの次元じゃないんだけど…」
見ると耕助は小雪ちゃんをおんぶしたまま、小雪ちゃんはされたまま、器用に冷やし中華をすすっていた。
「おんぶ飯も中々悪くないね、小雪ちゃん」
「うん、いつもより体力つかう分、美味しく感じる気がする」
その姿はさながら、阿修羅の食事風景であった。
その後、本当の修羅となった母に僅か数ミリの髪も刈られ、僧スキンヘッドにされてしまった耕助は、笑いを抑えられずにいる小雪ちゃんを自転車の後ろに乗せ、そのまま祭りへと向かったとさ。
~~~~~~
「わたがし美味しー」
「これも美味しいよ、玲ちゃん一個食べる?」
千合祭。毎年夏にこの地域で行われる、全国でも有数の規模を誇る花火大会である。会場となる広場には多種多様な屋台が立ち並び、中央に設置されたステージでは有名アーティストのライブなども行われるため、例年地域内外問わず多くの見物客で賑わう、この地域の目玉イベントとなっていた。勿論、梨乃にとっても毎年楽しみなイベントで、今年も友達の玲と浴衣姿で一緒に回っていたのだがーー
「何あの子たち、可愛い!」
「子どもハンター?」
怪しげな人混みを見つけ、梨乃は立ち止まる。玲ちゃんも気になっている様子なので、人混みをちらりと覗きにいくとーー
「げ」
その人混みの中心にいる姿を見て、梨乃は眉をひくつかせた。そこには何故かスーツにサングラスーー「逃◯中」のハンターのような格好をした耕助と小雪ちゃんが、大人達に囲まれて写真を撮られていた。小雪ちゃんの方は人混みを怖がっているのか、耕助にくっ付いておどおどしており、そしてその耕助は何故か知らない内につるっ禿げになっていて…と、とにかくカオスであった。
「何してんの、耕ちゃん…」
仕方なく梨乃達は耕助に声をかける。梨乃達は普通に顔を出しているため、同じ画角に入ると流石に撮るのを忍ばれたのか、大人達はぞろぞろと解散していく。
「あ、梨乃ちゃん。いや、祭りならスーツかと」
「いや、普通は浴衣なんだけどね。あとサングラスは問答無用でいらないよね」
「小雪ちゃんが大人の人苦手って言うから、サングラスで見辛くしてみた」
「対処法なんなの。全然役立ってないじゃん。むしろ逆効果だし」
耕助の奇言を相変わらず冷静に処理していく梨乃。その手腕にはさながらベテラン漫才師のような風格すら感じられ、玲は少しツボる。
「ねぇコーちゃん、あれやりたい」
小雪ちゃんが耕助の裾を引っ張って、とある屋台に指を差す。それは所謂くじ引き屋ーー当たりの紐を引くと連動する商品が引っ張られてそれを獲得できるという、祭りにありがちな店だった。
「うん、やろう」
そう言うと耕助と小雪ちゃんはすぐさま、その屋台へと一目散に駆け出した。
「ちょっと、その格好で走ると本当にハンターだから!著作権!」
梨乃がまたツッコミながら2人を追っていくので、玲も面白がりながら小走りでついていった。
~~~~~~
「結局、ロン毛カツラだけか…」
耕助はそう残念そうに呟き、肩を落とす。両親からもらったお小遣いは2人で3000円。その全てを費やし、一等の金インゴットを狙ったのだが…結局戦利品は百均の安っぽいカツラのみだった。
「仕方ないよ。くじなんて全部ぼったくりだから」
「そうそう。ヒ◯ルも言ってたよ」
梨乃と玲が耕助を必死に慰めるが、耕助の壊れた心が修復する事は無かった。しかし次の小雪ちゃんの台詞で、耕助はすぐさま活気を取り戻す事となる。
「コーちゃん、あれ出よう」
小雪ちゃんが指差すのは中央のステージーーそこには横断幕が掲げられ、現在のイベント名が表示されていた。ちびっ子パフォーマンス大会ーー耕助はパンフレットを確認する。小6までの子ども達がジャンル問わずパフォーマンスを競う、飛び入り参加OK、優勝商品は金メダルと副賞ーー
どの屋台でも使える、無料券30枚。
「あれ優勝したら一獲千金か…」
耕助は手に持つ、ロン毛カツラを見やる。
「よし出よう、梨乃ちゃん」
「え、出るの…って私!?」
「うん、無料券半分あげるから」
「絶対無理!てか小雪ちゃんと出なよ!」
「小雪ちゃんはスーツだからダメ、浴衣じゃないと」
「何それ、ちょ、玲ちゃん助けてぇぇぇぇぇ」
梨乃はその叫び声も虚しく、耕助に引っ張られステージへと消えていった。
「がんばってー、小雪ちゃんは私が見てるからねー」
玲は梨乃を気の毒に思いながらも、自分でなくて良かったと心底安心したような笑顔で2人を見送った。
「では、ちびっ子パフォーマンス大会も、いよいよ最後のグループになりました!何と先程飛び入り参加してくれた、幼馴染ズのおふたりです!さぁお二人さんステージにどうぞー!」
南海キャ◯ディーズの山ちゃんに似た司会の男性が、声高にそう呼び込みをかける。するとステージ裏から、どういう訳かあのロン毛カツラを被りサングラスを外した耕助が全く緊張する様子も無く堂々と、梨乃はまだ状況を飲み込めていない様子でおどおどと出てきて、ステージの中央に立った。
「さぁ、まずはお名前と学年を教えてくれるかなー?」
「宮◯浩次、小学6年生です!」
「し、椎◯林檎…小6です…」
堂々と嘘をつく2人に司会は少し困惑しながらも、無難に進行を進める。
「お、おぉ、大分キャラに入り込んでるねぇ、良いねぇ!それじゃあスタンバイお願いしまーす!」
その司会の声と同時に、2人は背中を合わせて立つ。
「それではよーい、スタート!」
そして司会が合図をした瞬間ーー。
でれれれれれーん。
「このよはむーじょぉー、みんな分かってるのさぁぁ」
「だ、誰もが移ろふ….」
イントロが流れた瞬間、会場がざわつく。なんと2人は宮◯浩次と椎◯林檎のデュエット曲「獣◯く細道」のLIVEバージョンを完コピで歌い始めたのだ。梨乃が昔から椎◯林檎を好きで、会うたびにLIVE映像を2人で鑑賞していた時期があったのだが… 人前でこういったパフォーマンスをするのはこれが初めてだった。しかし曲が進むにつれ、観客は徐々に不思議な魅力に引き込まれていき、会場は熱気を増していく。そしてサビに差し掛かるとーー
「かりもののぉおー」
耕助は歌いながら、さながら本家宮◯浩次のごとく、ステージ上でロン毛カツラを振り乱し、縦横無尽に暴れ回る。梨乃もこの終盤になると何やかんやでノッてきて、椎◯林檎のように澄ました表情を作りながら気持ちよく熱唱し始めた。
「さぁ貪れー、笑ひ飛ばすのさー」
小学生にしてはあまりにも渋すぎる選曲とパフォーマンスーーそのギャップに会場は爆笑の渦に包まれ、大盛況を見せる。
「だれもとおれぬほーどー」
そしてラストで客の盛り上がりは最高潮となり、2人はそれに呼応するようにーー
「
てれれーん。てれれーん。
ラストフレーズのハモりをしっかりと決め、最後の演奏パートで耕助は猛獣のごとく全身全霊を込めて暴れ回る。するとそのあまりの勢いにロン毛カツラが吹き飛んで、耕助の禿げ頭が顕になり…会場は更に爆笑の渦を大きくする。飛び入り参加の少年少女が見せる熱狂的かつユーモア溢れるパフォーマンスに、観客はすっかり虜になっていた。
てれれれー、てれれれれれれ、てーれーれー、てーーーーん……
曲が終わると同時に、2人が背中を合わせてキメ顔をするとーー観客から「うぉー!ヒュー!ブラボー!」という賛辞の声と、惜しみない万雷の拍手が注がれた。そしてノータイムで山ちゃん似の司会からその言葉が告げられた。
「優勝、幼馴染ズ!!」
耕助はピースサインを、天に掲げた。
~~~~~~
楽しく幸せな時間に限って、どうしてこんなにも儚く過ぎ去ってしまうのだろうーー。
小雪ちゃんは祭り会場から少し離れた公園できこきことブランコを揺らしながら、そんな事を考えていた。パフォーマンス大会の後、梨乃・玲ペアと別れーーその後は耕助が副賞で獲得した15枚の無料券を使い切って、思う存分祭りを楽しみ尽くしーーそして辺りも少し薄暗くなってきたタイミングで、こうしてしばし休憩をとっていた所であった。祭りが終わりに向かっていくにつれ、小雪ちゃんは耕助との別れを意識するようになりーー最後の花火を見るのが、少し寂しく感じるようになっていた。
「コーちゃん」
「ん?」
小雪ちゃんは横で立ち漕ぎをする耕助の日に焼けた顔を、おもむろに見上げる。耕助は相変わらず平然とした様子で、小雪ちゃんを見下ろしていたがーーそんな耕助の姿を見るのもこれが最後だと思うと、小雪ちゃんの目からは大粒の涙が溢れそうになる。
「東京帰ったら、お手紙かくね」
小雪ちゃんはその涙を隠すようにーーそう言ってにこりと笑った。最初は正直億劫だった、この田舎町での3日間の小旅行。しかしそれは耕助がいてくれたおかげで、とてもかけがえのない思い出となった。宿題の絵日記も、この3日間だけは枠からはみ出るくらいに描いた。
「うん」
耕助も小雪ちゃんにそう言って、にこりと笑い返す。
すると次の瞬間ーー
どーーん。
夜空に満開の花火が美麗に咲き誇る。
いつの間にか辺りはすっかり暗くなり、既に花火大会が始まる時間となっていた。
「やば、花火始まった」
耕助は慌ててブランコから降りて走り出そうとするがーー小雪ちゃんはスーツの裾をぎゅっと掴み、耕助を引き止める。
「ここで見よ」
それは走るのが面倒だという事ではなくーー最後くらいはこの静かな公園で、耕助と2人きりで花火を見たかったのだ。
「そだね」
耕助は小雪ちゃんのその落ち着いた表情を見てーー特に反論する事もなく同調し、ブランコに座った。
どーん。ぱらぱらぱら。
ぽん。
ぽんぽんぽん。
雲一つない夜空に、色とりどりの花火が乱れ咲く。会場から少し離れたこの公園からでも充分すぎる程の大絶景に、2人は恍惚と酔いしれていた。
嗚呼。
こんな時間がずっと続けばいいのにーー
小雪ちゃんがふとそう思った瞬間。
「綺麗だな」
頭上から声が聞こえ、2人は顔を見上げる。
「やはり地球の文化は、美しい」
そのブランコの上では、紅蓮の長髪を真夏の夜風に靡かせながらーー1人の女性が座っていた。そしてその姿を認識するとーー耕助と小雪ちゃんはその女性の名前を呼ぶ。
「1号」
それは紛れもなく1号の人間の姿ーーしかしこうして喋る姿を見るのは2人とも初めてであった。1号は「よっ」と声をあげながら、べちゃりと音を立てて2人の目の前に降り立つ。
「花火に見惚れていた所、邪魔をしてすまないな」
今日は口も尖らせず、ただ凛々しい女性の姿で、ハスキーな声で堂々と喋る1号はーーさながら宝塚女優のようであった。
「今日はお前達に別れの言葉を伝えにきたのだ」
1号の突然の言葉に、2人は目を丸くする。そして「帰っちゃうの」と耕助が寂しそうに言うとーー1号は頷いて続けた。
「私は火星の王ーーマーズ。元々この地球を支配するつもりでやって来たのだが…お前達と出会い考えが変わった。私は何もする事なく火星に帰る事にした」
「マーズ…支配…」
耕助と小雪ちゃんは訳が分からず、顔を見合わせる。
「しかしその前に…実は私には地球に来る前に付与された、『誰かの願いを叶える力』があるのだ。使える回数は2回…それを使わずに帰るのは勿体ないーー」
1号ーー改めマーズはそう言った後、舞台役者のように大袈裟に表情筋を動かしてにやりと笑った。
「なのでそれを今から、お前達に使ってもらおうと思う」
「えぇ」
どーん。
花火は未だに夜空を轟音と共に彩り続けていた。しかし花火など今は見る余裕もなく、耕助と小雪ちゃんはマーズの、眉目秀麗な顔を見上げる。
「元々この力は、世界征服を企む誰かに使う予定だったがーーお前達に使わせて欲しい。特に耕助。お前の毎日のマッサージには感謝してもしきれないからな。あれほど幸せな日々は、生まれて始めてだった」
毎日のマッサージーーそれがマーズをつつく日課の事だと気付き、耕助は思わず少し吹き出す。そして正直に、遊びでやっていただけだと伝えたのだがーーそれでもマーズの耕助に対する恩義は変わらぬようだった。
「そして小雪ーーお前にも昨日、良いものを見せてもらった。是非使ってくれ」
マーズはそう言うとーー昨日と同じ、ドラ◯もんの「温かい目」のような笑顔をした。そこで小雪ちゃんはふと思い出す。そう言えばドラ◯もんのひみつ道具には、タコのような姿をした「ラジコン火星人」という道具があったと。
「さぁ、何でも良い。好きな願いを言ってくれ」
「うーん…じゃあ…」
耕助は少し迷った後ーー願いをマーズに述べた。
「SAS◯KE完全制覇かな」
「なるほど、分かった」
マーズは耕助のその願いを二つ返事で了承し、小雪ちゃんの方へ身体を向ける。
「小雪、お前はもう決まっているか」
「うん」
小雪ちゃんは耕助と違って悩む様子もなく、願いをマーズに述べた。
「ボクの願いはーー」
「お前達の願い、改めて承った。しかし最後に言っておくが、願いを叶えた後の事までは私は保証できない。それでも良いか?」
「うん」
「わかった」
2人が頷くのを確認すると、マーズも頷きーーそして人間の姿から、いつものタコのような姿に変身する。
「では私は火星に帰るとする。願いはその後すぐに叶うだろうーー」
「待って、1号」
別れの瞬間、耕助と小雪ちゃんはマーズーーもとい1号を呼び止め、思い切りその柔軟な身体に抱きつく。
どーーーーーーん。
夜空には花火大会のトリを飾る大花火が、晴れ晴れと咲き誇っていた。
「また地球に帰ってきてね」
轟音の中、2人が弾ける笑顔でそう言うとーー1号は少し寂しそうに「ああ」と笑った。
「ではお前達ーー」
1号は2人を自分の身体から離すと、次の瞬間、勢いよく天に向かって飛び立つ。そしてーー
ひゅるるるるるるる。
「何だあれ!」
「おい、花火はさっきので終わりじゃないのか!?」
花火師達の困惑の声と、観客達の興奮の声を切り裂くようにーー
ーー達者でな。
ぽぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんんんん。
夜空を覆い尽くす程に巨大な、タコ型の花火を打ち上げた。
耕助と小雪ちゃんはその花火に思わず歓声をあげ、そして心から感動しながら、しばしその余韻に浸りーー
そして意識を失った。
~~~~~~
「ゼッケンナンバー21番、小学6年生、
「なんと史上最年少の、1stステージクリアぁぁぁぁ!!」
「歴史の申し子となるかぁぁ!!行ったぁぁーーーー」
「登れ!犬飼耕助、登れぇぇーーーー」
ーー登り切ったぁぁぁぁぁ…
~~~~~~
「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ…」
「良かった…涼子…よく頑張ったね…」
「うん…ちょっとあなた、泣きすぎぃ…ぐす」
「おめでとうございます!奥様、旦那様ーー」
ーー元気な、女の子ですよ。
《第一部 完》
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