保護者達

 むしゃピョコは震えていた。

 今、彼女はとある焼肉店の個室に居る。


 目の前には十年来の想い人。

 そして手元には、グラム一万円を超えるお肉。


 叫びたい。大騒ぎしたい。

 だけど、そういう雰囲気ではない。


 だから必死に我慢する。

 心の中で「あとで絶対ツイートする。鍵かけた裏垢で妄想垂れ流す」という呪文を唱えながら、努めて神妙な面持ちを維持していた。


「……本当に、ありがとう」


 想い人が口を開いた。

 あの頃と変わらない優しい響きのある声は、微かに震えていた。


 こっそり目を上げる。

 目元が赤い。口元が強張っている。涙を堪えているみたいな表情だった。


(……そう、だよね)


 妹さんのことは知っていた。

 十年前、当時の彼がどんな様子だったか、今でも思い出せる。


 それからのことは、あんまり知らない。

 卒業した後は、たまーにラインで連絡を取るくらいだった。


 いや、一度だけ食事をしたことがある。彼が就活で上京した時、一足先に社会人になっていた私が、1000円のランチを奢った。パスタだったかな。まさか最高級のシャトーブリアンになって返ってくるなんてね……などと話せる雰囲気ではない。


「…………」


 私自身、何も言えない。


 百聞は一見に如かず。

 知識だけだった妹さんの現状を目の当たりにした。


 衝撃という言葉では足りない。

 これまでの常識が粉々になるような出来事だった。


 私は、何も知らなかった。スピーカーから発せられた叫び声を聞いただけで、胸を引き裂かれるような痛みを覚えた。泣きそうだった。


 それは、配信を見ていたからかもしれない。


 新人Vtuberのミーコ。

 私がデザインしたアバターに受肉した魂は、それはもう元気に喋っていた。


 本当に同一人物?

 あんな風に笑える子が、ただ他人と会話するだけで……。


 一体、どんな経験をしたのだろう。

 それを想像するだけで、今でも胸が痛くなる。


「妹は、ちょっとだけ、友達と上手く行かなかった」


 彼が呟くようにして言った。

 それは私の心を覗き見たかのようなタイミングだった。


「……いじめ?」


 とても慎重に、言葉を選んで問いかけた。


「肉が冷める」


 彼は上品に箸を使って、お肉を口に入れた。

 私も彼の真似をして肉を……柔ッ!? えっ、豆腐!?


「……頂きます」


 場の空気を壊さないように。

 私は努めて神妙なンマァァァァァ!?


「ごめん、空気を悪くした」

「……ううん、そんなことないよ?」


 彼は笑みを浮かべる。


「好きなだけ食べてくれ」

「……良いのかな? これ、すごく高いんじゃない?」


 値段は見ていない。

 ただ、彼が注文する時にシャトーブリアンと聞こえた。


 名前だけ知ってる高い肉だ。

 今、初めて味を知った。私の中で、全ての焼肉が過去になった。


「全然足りない」


 彼は言う。


「君がしてくれたことを思えば、店の在庫を食べ尽くしても足りない」

「……あはは、大袈裟だよ」


 私はケラケラと笑って見せた。

 彼も柔らかい表情をした。だけど、目だけは笑ってなかった。


「……妹さん、すごく、がんばってるよね」


 彼は頷いた。


「過去の活動、こっそり見たんだ。ビックリした。毎日ちゃんと活動してる。毎日、ちゃんと成長してる。多分、有名な人の動画とか見てるんだと思う。私も、あんまり詳しい方じゃないけど、このやり方は知ってる、みたいなこと、ちょいちょいある」


 彼の表情が少し明るくなった。

 とても分かりやすい感情の変化を見て、なんか、わぁぁってなる。


 我ながら、めっちゃ拗らせてる。

 そろそろ子どもが居ても不思議じゃない年齢なのに……未だに、なんだから。


「……あのさ」


 彼の瞳が私を映した。

 その瞬間、頭が真っ白になった。


 いや、いや、待って。

 私、今、何を話そうとした?


 いやいや、ダメでしょ。

 そういう場じゃないよこれは。


 えっと、どうしよう。

 ここは何か適当なことを言って……。


「いじめって、誰が悪いのかな」


 考え得る限り最悪の言葉だよ!

 取り消し。今の無し! 無かったことにして!


「保護者だ」

「……え?」


 彼が即答した。

 私が取り繕うよりも早く、まるで回答を用意していたかのように。


「被害者の保護者が悪い」


 彼は俯き、ゆっくりとした声で言う。

 聞く人によっては、普通の声に聞こえたかもしれない。


「たかだか子供の問題ひとつ解決できない人間が、親を名乗るべきじゃない」

 

 だけど、私には分かった。

 高校時代の彼からは想像もできない程に、激しく怒っている。


 彼は机に肘をつき、手で顔を隠した。

 少し間が空いて、鼻をすするような音がした。


「……俺の人生最大の失敗だ」


 私には、その言葉の意味が分からない。

 当事者じゃないから。彼がその結論に至った理由とか、その言葉を口にした瞬間の気持ちとか、さっぱり分からない。


「仕方ないよ」


 何も分からないまま、慰めの言葉を口にした。


「当時、受験生だったじゃんか」


 こんな言葉に意味は無い。

 ただ、彼が自分を責めるのは違うと思う。その気持ちを伝えたかった。


「……やり直したいと思っていた」


 彼は言う。


「……妹は、前に進んだ」


 静かで、とても力強い声だった。


「……震えたよ。あの子は強い。勝手に諦めていた俺よりも、ずっと」


 少しずつ、その声が大きくなる。


「……だけど、妹の目の前にある現実は、当時よりもずっと厳しい。大人の問題だ。こんなにも理不尽な話があるか。あってたまるか」


 そこで、彼は大きく息を吸った。


「悪い。肉が不味くなる話をした」


 彼は右腕で涙を拭うと、笑顔を作った。


「この店はタレも美味しい」

「……ありがと」


 オススメされたタレにお肉をつける。

 少し冷めた最高級のお肉は、空気を読めと思う程に美味しかった。


「……」

「……」


 しばらく無言だった。

 少量のお肉を、チビチビと、ゆっくりと食べる。


「……今の保護者は、──くんだよ」


 私は言った。


「私も居る。──くんは、一人じゃない」


 顔をあげて、真っ直ぐに目を見て。


「だから、今回は大丈夫。きっと、大丈夫だよ」


 彼は驚いたような顔をした。

 それから照れた様子で笑うと、そっぽを向いて言った。


「……ありがとう」


 静かな個室。

 激しい感情が反響する。


 音は無い。色も無い。

 だけど、確かに存在している。


 二人の保護者は食事を続けた。

 その胸に、机の中央で燃える炎よりも熱い感情を抱きながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る