追憶2

 人間と会話することを考えた。

 とってもとっても久し振りだった。


 怖いけど、がんばろう。

 決意する。眠りに就く。夢を見た。


 くるくる。くるくる。

 私を囲み、ヒトが回る。


 かごめかごめ。

 似てるけど違う。

 

 ヒトは沢山。

 くるくる。くるくる。


 遠い場所。

 触れられない距離。

 

 私は苦しい。

 目を閉じ、耳を塞ぎたい。

 

 できない。


 くるくる。くるくる。

 怖い。怖い。怖い。怖い。


 夢なのに、夢じゃない。

 苦しい。辛い。怖い。胸がギュッと締め付けられる。


 違う。違う。

 今じゃない。


 この感覚は、──ずっと前。

 思い出してる。復活してる。


 忘れたいこと。

 忘れていたこと。


 べちょり。

 ヒトが毒を吐いた。


 じゅわっ、溶ける。

 腕や足がただれて、湯気を出す。


 痛い。怖い。苦しい。

 でも私の口からは声が出ない。

 

 べちょり。べちょり。

 一人、また一人、毒を吐く。


 べちょり。べちょり。

 じゅわ、じゅわ、じゅわわ。


 苦しい。辛い。怖い。

 心の中では何度も叫んでいるのに、声が出ない。


 あは、あはは。

 楽しい。楽しいね。


 そう言って、毒を吐く。

 私の皮膚はどんどんただれていく。


 終わらない。

 いつまでも、いつまでも、いつまでも。


 これは夢だ。分かってる。

 早く覚めろ。起きろ。起きろ。起きろ。


 願いは届かない。

 悲鳴は生まれることさえも許されない。


 多くの人に囲まれて、私だけが、孤独。

 一人。独り。ずっと独り。気軽に、気楽に、毒を浴び続けるだけ。

 

 逃げ場は無い。

 居場所は無い。


 溜まる。溜まる。

 ゴミ箱にティッシュを投げ入れたみたいに、毒が溜まる。


 溢れて、零れて、身体を焼く。

 どんどん苦しくなる。止まらない。終わらない。


 いつまでも続く地獄。

 あるいは、いつまでも続いた地獄。



 ──むしゃピョコさんの声が聴こえた。

 その瞬間、永遠に続いた地獄を一瞬に詰め込んだかのような苦痛に襲われた。



 顔は見えない。

 声だけ。音だけ。


 喉が焼けるような痛み。息苦しい感覚。

 何も分からない。私は、そのまま気を失った。


 一敗。



 目が覚めた。

 全部、覚えてる。


 リベンジする。

 ごめんなさいして、お願いする。


 またダメだった。


 二敗。



 私は学習した。

 事前に袋を用意しよう。


 リベンジ。

 そして三敗目。 




 あー、笑える。

 超みじめ。ダサすぎ。


 これがブランクか。

 へへっ、流石。十年は長いぜ。


 リベンジ。もっかい。

 ……えっと、あれ、あれれ?


 通話ボタンが押せない。

 最初は、これくらい、できたのに。


 なんで後退してるの?

 なんで前よりダメになってるの?


 なんで、なんで、なんで──


「……?」


 パニック寸前。

 急に、落ち着いた。


「こんにちは」


 優しい声。目を向ける。

 お兄ちゃん。忘れてた。ずっと傍に居たんだった。

 

「こんにちは」


 なんだろ。分かんない。


「…………こんにちは?」


 とりあえず挨拶を返した。

 お兄ちゃんはゆっくりと頷いた。


「今から、何をする?」

「…………お話、する」

「具体的には?」

「…………ぐたい、てき?」


 お兄ちゃんが急に難しいことを言った。


「挨拶」

「…………あい、さつ?」

「こんにちは」

「…………こんにちは?」


 お兄ちゃんは、再びゆっくり頷いた。


「よし、行こう」


 目を追いかける。

 お兄ちゃんが通話ボタンをポチッと押した。



『はい、むしゃピョコです』



 直ぐに声が消えた。

 その瞬間、私はパニックになった。


 どうしよう。どうしよう。

 何か言わないと。急げ。また失敗する。また。今度こそ見捨てられちゃう。何か。はやく。何か。何か。何か何か──


「……こん、ちぁ」


 初めて言葉を発した赤ちゃんみたいな声だった。

 頭が真っ白だった。目に映る世界がチカチカしていた。


『はい、こんにちは』


 ブチッ、とノイズ。

 お兄ちゃんが通話を切った。


「…………?」


 何が何だか分からない。

 私は説明を求めてお兄ちゃんを見上げた。


 沈黙。

 すぅっと息を吸う音。


「タラララ、ッタラ~」


 お兄ちゃんが壊れちゃった。


「ミッションをクリアした音だ」

「…………?」


 お兄ちゃんは変な方向を見て言う。


「レベルが上がった」

「…………レベル、アップ?」

「挨拶ができるようになった」


 お兄ちゃんは何を言っているのだろう。

 分からない。私は、少し赤らんだ横顔を見続けた。


「次のミッションを与える」


 お兄ちゃんはゲームみたいな口調で言う。


「名前を言ってみよう」

「…………あっ」


 急に、パッと、理解した。

 お兄ちゃんが考えてること、やっと分かった。


「…………また、上がる?」

「もちろんだ」


 私は息を吸った。

 ずっと呼吸を続けていたはずなのに、水の中から出たみたいな感覚だった。


「…………おにぃ、ちゃんは?」

「お兄ちゃんのレベルは9999だ」

「…………つよぉ」


 お兄ちゃんは言う。


「1日1レベル上げたら、27年で追いつける」

「…………大変」

「諦めるか?」


 私は首を横に振る。


「…………やる」

「そうか」


 お兄ちゃんは液晶画面を見た。

 そして、通話ボタンをポチッと押した。



『はい、むしゃピョコです』



 また直ぐに通話が繋がった。

 何度か耳にしたはずの声なのに、初めて聴いたような気がした。


 私は深く呼吸をする。

 それから、さっきよりも少しだけ大きな声で挨拶をした。


『はい、こんにちは』


 それは、とても優しい声だった。

 私は両手でギュッと胸を抑えて、自分の名前を言う。


 十年留まり続けた場所から抜け出すために。

 前に進んだ昨日の自分を裏切らないために。


 また一歩、前に出た。

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