第11話 独白

 彼女は、人前に立つことが得意ではない。

 小学生の頃から、なるべく目立たないことを意識するような性格だった。


 だけど配信で緊張したことは一度も無い。

 彼女の目に映るのは液晶画面であり、文字である。極端な表現をするなら、ゲームをプレイしているような感覚だった。


 それは自分を守るための現実逃避。

 彼女は無意識のうちに自分とミーコを切り離していた。


 ──まもなく、午後の八時を迎える。

 肉体を得たミーコの「お披露目配信」を控えた彼女は、初めて緊張していた。


 今の彼女は、ミーコを自分と切り離すことができない。

 今日に至るまでの一ヵ月。これまでの人生において、一番がんばった時間であると胸を張って言える。その間、彼女はずっとミーコと向き合い続けていた。


 ミーコは、もはや彼女自身である。だから緊張している。

 不安の言葉が次々と頭に浮かび、体には息苦しい程の圧迫感がある。


 比喩ではなく、吐きそうだった。

 それでも彼女はグッと自分の胸を握り締め、パソコンの前に座っている。


 彼女の前には、ふたつのディスプレイがある。


 左側にあるのは配信用のディスプレイ。

 兄特製の配信ツールが表示されており、たくさんのボタンと、リスナーに配信する画面がある。その画面には、例の猫が表示されている。猫の表情はランダムな間隔で変化し、その下には「Now Loading...」の文字がある。


 この映像は、既に配信されている。

 ツール・ウィンドウの左側にある「配信開始」というボタンを押すだけで、マイクが有効化され、生まれたばかりの猫耳少女が全世界に向けて配信される。

 

 その一方で、右側のディスプレイは、裏で作業するための場所。

 こちらにも同じツールが表示されている。ただし「テストモード」という赤い文字が表示されている。そしてウィンドウの右側には、猫耳少女の姿があった。


「……これが、ミーコ」


 兄の知人が生み出した猫耳少女。

 それが、アバターに対する第一印象だった。


「……これが、ミーコ?」


 何度も凝視している。

 だけど、どうにもピンと来ない。


 それはデザインが気に入らないわけではない。

 むしろ逆だ。あまりにも完璧過ぎて、現実感が無い。


 そのアバターは、フードを被っている。

 彼女が首を動かすと、それをトレースしてアバターも首を動かす。


 額の上で銀色の前髪が揺れた。

 前髪の下には赤と黄色を混ぜたような色の瞳があり、猫特有の縦長の光彩からは、微かに不安そうな雰囲気を感じる。でも口元には挑戦的な笑みが浮かんでおり、全体を通して見ると、明るく元気な少女という印象を受ける。


 それは、まさに「彼女」そのものだった。

 彼女はいつも不安に思っている。だけど口元には笑みを浮かべ、明るい声で、元気いっぱいに喋っている。一見すると子供みたいに無邪気だが、その正体はヒキニートである。本当は他人と目を合わせることもできない惨めなアラサーなのだ。


 ミーコの年齢設定は十四歳。

 アバターの外見も年齢相応である。でもそのアバターからは、子供らしからぬ雰囲気が感じ取れる。少なくとも、彼女にはそう思えた。


「……すごい」


 彼女は呟き、「フードを脱ぐ」と書かれたボタンを見た。

 このボタンをクリックすると、アバターはフードを脱ぐ。


 昨夜のこと。

 彼女は兄と会話した。


「是帽着脱可?」

「不可。其激難」

「我思非不可。兄必可」

「兄非万能。其不可」

「絶対不可?」

「……要検討」

「嗚呼、追加要求一二三……」


 ちょっと噓である。昨夜、彼女は食卓に「フード着けたり脱いだりしたい」というメモを置いてから眠った。会話はしていない。しかし、次に配信ツールを見た時にはボタンが追加されていた。


「……奇跡だよ」


 彼女は自嘲するような笑みを浮かべて呟いた。

 ふと本番用の配信ツールを見ると、現在の視聴者数が839人と表示されている。もはや一学年どころか、彼女が通っていた高校の全学年よりも多い人数だ。


 だけど彼女は成し遂げたとは思っていない。

 むしろズルをした。インチキの結果だと思っている。


 こんなの長くは続かない。

 直ぐに化けの皮が剝がれて、どんどん視聴者数が減るに決まってる。


 皆が協力してくれた。

 それが、自分のせいで台無しになる。


 そんなことないよ。

 四人のリスナーに相談すれば、きっと温かい言葉で元気づけてくれる。


 だけど、今の彼女は孤独だ。

 今この瞬間において、頭に浮かび上がるのは自分自身の言葉だけである。


 どうして前向きに考えられるだろうか。

 ずっと逃げ続けていたヒキニートが、どうして成功を信じられるだろうか。


 ペチッ、と音がした。

 それは彼女は自分の頬を叩いた音。


「よっしゃ! やるぞぉ!」


 へにょへにょした声を出した。

 彼女としては気合十分に叫んだはずなのに、情けなく震えていた。


 逃げたい。怖い。怖い。怖い。

 でも──覚悟は、とっくにできている。


 配信開始。

 彼女は無機質なボタンをじっと見た。


 マウスを動かしてカーソルを合わせる。

 そして──カチッ、と指先に力を込めた。

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