第二話:第三の男

Scene-01 ファンタズマリコール

 チク タク チク タク チク タク


 そうして《時》を遡っていく――


 見えたのは火事。

 何らかの実験室みたいな大部屋に黒煙が充満し、チロチロと炎が蛇の舌みたいに伸びている。

 時々爆発も起こってるようだ。


 地獄絵図の中での死体が動き回っている。

 え……三体ぃ!?


「ニュート、死体は三体あった。二体じゃない」


 相棒に向けて小さく呟く。

 焼け跡から発見された死体は二体だった。素性のよろしくない研究者たちで、片方は結社の監視の網にかかってる。

 でも第三の男は誰だろう……?

 仙人みたいに髪と髭を伸ばし放題にし、肌はホルマリンにでも漬けられていたように生気と色素がゴッソリ抜けている。


 三体の死体は床に倒れ込み、しばらくジッとして……それから激しく暴れ始める!

 二体の死体が――死ぬ前の姿に戻った。

 どうやら第三の男が二名をくびり殺したらしい。

 最中に火災が起こっている。


 それから第三の男は二人の男たちと分かれ、部屋の隅にあった金属製の『棺』みたいなタンクへ戻って、頭まで液体に使った。

 蓋が閉まり、弾け飛んだ鍵が元へ戻る。

 しばらく中で暴れていたけど、やがて収まって静かになった。

 それからは幾ら遡っても静かなまま……


 もういいか。

 そのまま《幻視》を解除すると歪曲されていた時空が正常に戻った。

 現実が戻ってくる。大正の現実が――




「ふぅ……」


 いま見ていたのは、現在から過去を遡ってみたヴィジョンだ。

 僕は『過去』を視る能力を持っている。

 こう見えても転生者で、時を駆る《旧支配者》イースの大いなる種族のエージェントでもあるのだ。ふふん。

 頭の中で幻視から得た状況をまとめつつ、炭になった実験室を出る。

 自分の恰好は軍装風のジャケットとスカート、白いフード付きマント、濃い目のタイツなので、汚さないように注意。

 ブーツの底で、炭の固まりが滲むように崩れいく。


『瑛音、状況を詳しく教えてくれ』


 マントのフードからひょいと顔を出した黒猫が喋った。

 とっくに慣れているので喋ったことについては何とも思わない。むしろ可愛い。世の猫はもっと喋るべきだと思う。


「透明な液体に何年も沈められていた男性が生き返ったっぽい。そいつが、二人を殺した。おそらく違法で、神話的な人体実験だと思う」

『にゃにい、これ神話事件だったのか!』

「見えた範囲で魔道書はなかったな。仮にあっても燃えてるんじゃないかな……この有様だし」


 天罰……というには、被害が大きすぎた。

 場所は横浜郊外の、さらにハズレにある二階建てのビル。その焼け跡だ。

 コンクリートのガワは残ってるけど中は完全に焼け落ち、二階は床が抜けて酷い有様になっている。

 鎮火してから一日たってるけど、冬の空気がまだ熱を持ってるようだ。

 苦労して比較的無事な階段まで戻る。


 ここにいる理由は単純で、自分と協力関係にある魔術結社から《幻視》を依頼されたからだ。

 制約も多いし地味だけど便利な能力ではある。

 例えば、探し物を見つけるときに大活躍してくれたりもする。

 まさにチート能力!


 だからこそ、新宿での事件後に引っかかった細い糸をここまで辿ってこれたのだけれども。

 だけど視られるだけだからね。

 既に起こったことを――火事を無かったことにできたりはしない。

 すくなくとも、今のところは。


「ニュート、不死に関する《旧支配者》に何か心当たりある?」

『いきなりどうした。直球でならグラーキ、クァチル・ウタウス――こら待て、逃げるな!』


 バタバタと階段を駆け下りようとして、ニュートに後ろ頭をペチペチ叩かれる。

 でもさー!


「どっちも超ド級の《旧支配者》じゃないか! 僕はチート能力があるだけの、ケチな転生なんだけど!?」

『少年と少女の美点を併せ持つ、年若き美貌の転生者だろう。時間を操れる《神話》能力まで持ってて贅沢言うな』

「うう……ファンタジーの住人はどうやって自分の百倍くらいある怪物と戦ってるんだろ」

『落ち着け、そんな特級が絡むにしては魔術の気配が薄すぎる。オレもまったく気付かなかったくらいだ』


 ニュートがフードから肩に登ってくる。

 黒繻子みたいな毛並みが耳をスルリと撫でて気持ちいいな。

 僕の肩で両足を踏ん張ると、改めて焼け跡を見回す。


『しかし……ううむ、ブラックブックの調査かと思えば!』

「そう言えばさ、結社はどうやって生き返った死体を始末したのかな」

『どういうことだ?』

「三体目が生き返って、それに殺された男二人も最後に動き出してたから、ゾンビみたいに増えるんじゃないのかな」

『……!?』


 ニュートの目がまんまるに見開かれる。

 あ、あれ?

 フードに戻り、前足がビタンと僕の後ろ頭に添えられた。

 もしかして切羽詰まってます?


『瑛音、結社がお前に《幻視》を依頼したのは……此奴らが兜町の処分屋に接触していたからだ。誰も死体が動くなどとは思ってはおらん!』

「え!?」


 ということは――あああああ!

 全力で車へ戻る。

 英国製の大衆車『オースチン7』結社カスタム仕様に真鍮のキーを差し込むと、即座にエンジンが目覚めた。

 左足でクラッチペダルを踏んづけつつ、左手でギアをバックへ――英国も右ハンドルなので方向はコレで正しい。というか、日本は英国に倣って右にしている。大正の日本は妙に英国贔屓が多い……じゃなくて!


『瑛音、これから指定する病院へ安全運転かつ最大全速!』

「りょ!」


 ギアを再度切り替え、アクセル全開!

 オースチン7をぶっ飛ばす!

 大正の日本にはコンクリートやアスファルトで舗装された道はないので全部ダート。

 砂利と土埃を巻き上げつつ、校外から倉庫街を抜けて街中を大爆走する。悲鳴が後ろにカッ飛んでいった。

 百年前の横浜市民さん、ご免なさい!




『瑛音、あそこの白い木造がそれだ!』

「ニュート、ちょっと遅かったかも……すいませーん、大丈夫ですかー!」


 サイド引いてスピンターン!

 そのまま急停車させると、止まりきらないうちにオープンカーから飛び出す。

 車と同じような勢いで飛び出してきたお医者さんたちや、作務衣みたいのを着た患者さんたちと入れ替わりに飛び込んだ。

 廊下の先には――比較的皮膚が残ってる焼死体が一体!

 首から顎、頭にかけて変な肉腫ができている。うぞぞぞぞ。


『瑛音、弾倉を確認!』

「英国のガンスミスさんたちが丹精込めて造ってくれた、四十五口径ウェブリー弾ろっぱーつ!」


 つまり通常弾を二発、ゾンビの膝へ!

 男は――よかった、顔色を全く変えずに倒れ伏した。痛覚とか感情を残してると心情的に撃ちにくくなるから助かる。

 それでも這って近づいてくるので、顔面へもう一発!

 動きは……止まらない。

 でも鈍りはしたから、もう一発……さらに一発!

 それで動かなくなった。

 ぜー、ぜー


「倒した、かな?」

『念のため細胞片を採取してから燃やしとけ。あと病院探索。もう一体いるかも知れん』

「探索りょ! 採取はどうやるの?」

『結社を呼ぼう』


 念のためリロードしてから探索を開始する。

 しばらく緊張した時間が過ぎるけど、幸いなことに他の焼死体はピクリとも動かない。どれがどれか区別が付かないけど動かないならいいだろう。

 銃を持ったまま即席モルグの壁に背を預け、ほっと溜息をつく。


「よかった、これで収まったみたいだね」

『実際に死体が動くと厄介だな。倒したかどうかがさっぱり分からん』

「とにかく結社を呼ぼう。スマホ……は、ないか。病院の固定電話を借りてくるけど、番号幾つだっけ?」

『日比谷三角を経由した方が安全だ。ええと、符丁は……』


 ニュートが複雑な暗号コードを思い出す間、さっき撃った死体が動き出さないかちょっと様子を見る。

 大丈夫かな? 大丈夫!

 なら日比谷三角へ電話しよう。番号は――っ!


「うわっ!?」

『うお!』


 急に足を掴まれ、つんのめる!

 ニュートが放り出され、慌てて手を伸ばすも――空振り!

 それで完全にバランスを崩して倒れる。

 何事か……って、ドアップ! さっき倒した死体の!?


「んぎゃーっ!!」


 情けない絶叫と全力蹴り!

 スカートがとんでもないことになったけど、気にしてられない。

 物凄い恰好からプラトーを引き抜いた。プラトー、僕の愛剣! 物質のカタチを取った《接触》魔術そのもの!!

 この《イースの大いなる種族》の力を込めた剣を――杖にして立ち上がる。

 だってさ、腰抜けてるし!

 軍装風のスカートが盛大にズリ上がってる気がするけど、今は無視。


『瑛音、仕方がないのは認めるが……お前の持ってるその魔剣は凄いモノなんだぞ?』

「抜けた腰にいって!」

『ううむ……教える必要はないと思っていたが、仕方がない。後で話しがある』


 ??

 混乱しつつも辛うじて立ち上がると、プラトーの魔術を発動させる。


 境界よ、あれテルミヌス・エスト

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