管理者がいない地獄の話、狂狂

とりい とうか

第1話

 地獄、という言葉から何を想像する? 悪事を成した人間が堕ちる場所? 悪魔や魔王が蔓延る場所? 悪徳の都、悪意の園、ありとあらゆる悪の巣窟?

 まぁ間違っちゃいない。地獄は管理者によって厳密に管理されていた。死んだ悪人は地獄に堕ちて、罪に応じた罰を受けていた。



 なお過去形。



 私こと地獄で最も多く呼ばれる個体名称をサイエという科学者(私は私自身を科学者だと定義しているしその他の呼称は相応しくないと断固として主張する所存である)は世間なる曖昧模糊なものによって悪だと判断されて死んだ。

 私は人類という種をよりよいものへと進化させようと奮闘していたのだが人間というものは自身に理解できないものを悪とする癖がある。故に私は悪とされて通称でいう所の現世(正確に表現するならば出産から死亡を経る間の認識及び存在の基盤となっている時空間とでもいえば足りるか)から弾き出されてこの地獄と呼ばれている地へと放逐された。

 地獄とは悪人が死後に赴く場所であり現世で積み上げた罪を清算するための罰を受けるための場所であると定義されていたが私自身はそれを信じていなかった。私は科学者であるからして多くの同業者(とはいえ私と似たようなことをしている人間というだけで真に私と同じ理想の実現に取り組んでいる人間など存在し得なかったのだが)と同様に無神論者であり天国も地獄も全ては死という現象を恐れた人間の想像上の存在だと定義していたからだ。その定義がある意味正しくある意味間違っていたことに気づかされたのは実際にこの地獄という場所に連れて来られてからなのだが。

 確かに人間から悪だとされたものが送り込まれる場所としての地獄は存在していたのだ。そうして悪魔或いは鬼と呼ばれている存在に類似した姿の何者か(私は彼等の存在について思考する度に私自身の知識が如何に矮小なものであったかについて思いを馳せねばならなくなるため彼等の存在に対してある種の嫌悪を抱いている)によって罪を償うためと称した拷問を加えられた。

 彼等が我々(と如何にも同類であるかのように語らざるを得ないが私は今我々と呼称した人間たちと同類ではないと口舌尽くして否定したい)に与える痛苦には終わりも果てもなく数としても概念としても観測し難い償いとやらが終わるまで続けられるらしかった。彼等は我々に懺悔と謝罪を求め続けていたがそもそも火に焼かれ肉も骨もなく溶解からの炭化そして再生(私があれだけ欲して止まなかった人類種に搭載されるべき機能がここではただ単に我々に苦痛を与え続ける手段として扱われていることに憤激が思考の八割を占めていた時期もある)からの溶解と繰り返されているどこでそれを成せというのかは疑問でしかない。

 とはいえこれらは全て過去の話であり現在の地獄はここから脱出する術がないらしいことを除けば無法地帯であり最高の楽園でもある。ここには私の理想を悪だとする人間は存在せず理解者とまではいかずとも私の研究の結実を望むものがいた。そしてここでは真に望むもの以外ならば何でも手にすることができる。

 研究のために必要なものは容易く揃えることができるし何より私は私自身の研究を結果のみのものだとは思っていないため無造作に完成形を差し出されないことに対しては感謝の念すらあった(そういえばかつて私を放逐した人間たちは私のことを血も涙もない人間としての心が欠けている化物だと騒いでいたが私とて私の研究に協力してくれて有り難いと思えば感謝くらいするし被験者の健康を維持するために彼等の感情に対して理解を示すことはそう難しいことではなかった)。

 さてここまでつらつらと思考を言葉として述べてきたがこれらは全て私が私自身に向かって語っているものであり他者の理解を求めての記述ではない。所詮私のことは私以外の人間がその全てを理解できるとは思わないし理解できると宣って近づいてきた人間は概ね知力が高くなかったからだ。私の知識や技術を欲する人間は数多く存在したが私の理想を是とする人間はいなかった。やはり人類種はもっと高みへと向かわねばならないと思う。ここでならそれが叶う。もっと強くもっと賢くもっと優れた存在へ。幸い被験者には事欠かない。もっとたくさんの人間をもっとたくさんの被験者をもっとたくさんの研究を重ねてそうすれば私の研究は真に理想的な人類を作り出せる。だから私はこの場所で研究を続けなければならない。



 それが、今日(地獄は地獄であるからして時の流れもあやふやで大体三回空腹になって一回眠気を感じたら一日と定義している)の私の最期の思考になった。というのも上空から降り落ちて来た刃物らしき凶器が私の頭蓋を割り開いたので。

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