薔薇のメアリー

 ヘンリー博士は見つめている、紙煙草ですっかりすすに汚れた真っ黒々な天井を。昨夜のうたげの席で small- horse- deer鹿 にされたことが、今でも悔しくて悔しくて堪らないらしい。思い返す度に心臓がバスドラムになって ──── 嗚呼、それだけではない!……ナイフの顔をしたピエロが、博士の頭の中の満月にキラリと絡みつくのである。

 「ワシが一体何をした? たかがバイロン卿の詩を朗読するのにドギマギしてシクジッタだけじゃないか! 朗らかな笑いが起これば、まだ良かった。……それなのに、──── おお、全く何事だ、よりにもよって、底抜けに冷えた蔑みを以て報いるとは……! ワシはの神の子ではないというのに」。

 一八六四年某日、二十六時の聖霊がルビコン河に降りた頃 ─── 真夜中の雨嵐は窓を打っていた ─── 、博士は精神のアルゴリズムのリズムを刻む煙の中のに話しかける。

 「ワシはバイロン卿にはれん。……だが、快晴の空を鈍色にびいろに変えることならできるのだ。─── そうだろう、Mary the rose薔薇のメアリー?」

 土星ののドーナツを頬張る、頭の中の月の陰。そこに、一輪挿しの薔薇が見える。rebel反逆者 に立ち向かう le Belフランス王 のように、勇気と怖気おじけとを以て真夜中の小さな暗室に屹立している薔薇メアリーは、早速ヘンリー博士に次のように応えた。

 「Ouiええ, mais seulementでも神が天に quand Dieu estまします時 dans le cielだけですわ.」

 すると、小羊の群れが海を割ってその場を悠々と闊歩している幻影、博士の後頭部の骨の中から突如として現れ、彼の肩から腕を通って中指に至るルートで、音もなく、タイル張りの床の上に、ただただスウ-ッと滑り落ちた。

 

 そして、破砕。

 

 「ああ、何ということだ!……もう何もかも終わってしまった! Adieuさよなら、adieu、mon cher humain我が愛しの人類よ!」

 その時、博士の月を猛然と襲い始めたものがあった。……おお、まさしくあれは、部屋の隅のかびから飛び出した紫色の鋭いいかづち!……嗚呼、ナイフ、ナイフ、ナイフ! ナイフの顔をしたピエロは、いつしかピエロの顔をしたナイフとなって紫雷しらいに加勢する! 心をうしなった人造人間の生命いのちの幕引きのような甲高い叫びが、部屋に脈々と木霊こだまする! 苦しみは早くも嵐となって、窓を激しく打ちつける外界そとの暴風雨に混ざりあう、嗚呼、Prestissimo極めて急速に、Prestissimo!












 今日も天井から逆様にえた薔薇がポツンと一輪。薔薇メアリーはただ独り、待っている。……ヘンリー博士がまたいつものように、阿片アヘンを巻いた紙煙草に柔らかく火をけるのを。





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