郵便配達見習いリリアンと竜のパル

ふみづき透明

本編「郵便配達見習いリリアンと竜のパル」

 小さなリリアンは郵便配達見習いの女の子。リボンのついた赤い靴をはいています。靴をとんとんと鳴らし、

「ワン! ツー! フライハイ!」

走りながら地面を大きく二度蹴ると、リリアンは空を飛ぶことができるのです。




 リリアンは今日も空を飛ぶくつをはいて、颯爽と町を駆け抜けていました。今日は洋館に配達に行くことになっていたのです。洋館は町の中心部から外れた場所にあり、周りには草木が茂っていました。洋館は、まるで遺棄されたかのような場所でした。窓ガラスは割れており、壁にはツタが絡みついていました。リリアンは不気味な感覚を覚えながらもドアノッカーを鳴らし、出てきた人に配達物を手渡しました。


「ありがとうございます。今日は、ここまでお越しいただき、お疲れ様です」洋館の人は厳格そうな、しかし疲れた目をした老婦人で、礼儀正しくリリアンに声をかけました。


「いえいえ、これが私の仕事ですから!」

リリアンは笑顔で返しました。が、玄関の扉が閉じられるとリリアンはあたりを見渡して思いました。恐らくこの洋館はあの人と共に命が尽きる場所で、あの人もそうなることを承知しているのだろう、と。


 リリアンは、洋館の玄関を出た後、少しだけこっそりと邸内を散歩してみようと思い、わきにあった荒れ果てた庭園を通りました。草木が伸び放題で、ツタが張り巡らされた庭園。足元には、草が膝のところまで生い茂っており、踏みしめる音が響きます。ツタは、庭園の壁や柱を覆い尽くし、まるで緑のカーペットを敷いたように見えました。風が吹くたびに、ツタが揺れ、不気味な音を立てます。彫像や噴水の周りには、ツタが絡みついて、草木が生い茂っていて、まるで森の中にいるかのようでした。その中にリリアンは何か動くものを見て、思わず「だれ!?」と叫びました。

なんと、それは翡翠色をした小さな竜だったのです。草むらの中に溶け込むように隠れていた竜は、小さくて、まだ子供のようでした。

「すごい。こんなところに竜がいるなんて!」

リリアンは思わず声を出してしまい、竜は驚いて慌てふためきました。リリアンは竜が怖がらないように、ゆっくりとかがんで目線を下げました。


「大丈夫、怖がらなくていいよ。私はリリアン、郵便配達見習いなんだ。貴方のお名前は?」

リリアンは、竜をなだめるように話しかけます。

竜は、おそるおそる近づいてきました。「おいらはパルって言うんだ」と小さな声で答えました。草むらからは出てきましたが、今度は近くの庭園の柱に隠れて、顔だけ出して話しています。パルは怖がっているようで、小さく震えていました。しかし、リリアンがはいている靴に気づくと、パルの表情が変わりました。


「それは空飛ぶ靴だね。それを持っているのは、魔法の民……おいらたち竜とか、じゃなきゃ妖精とか、エルフとかに信頼された人だけだって聞いたことがある」

「そうなの? これはお母さんにもらったの。真新しく見えるけど、ずっと古いものなんですって」

「じゃあ君のお母さんか、そうじゃなきゃそのお母さんかそのずっとお母さんが魔法の民と友達だったんだね」


 パルはリリアンが空飛ぶ靴を持っていることに安心したのか、少しずつ落ち着きを取り戻していき、彼女を見つめました。リリアンは、その小さな竜の大きなひとみに不思議な感覚を覚えていました。パルの目はどこか人間的で、やさしい雰囲気を持ってきらきらと輝いていたからです。

「竜をこんなに近くで見たのは初めてだな」と、リリアンはパルに話しかけました。パルはリリアンの言葉にちょっと気を良くしたらしく、照れたように「えへへ」と笑いながら、おずおずと柱の陰から出てきました。




「パル、ねえ、どうしてこんなところに住んでいるの?」

リリアンは、竜のパルに話しかけました。パルは、しばらく黙っていましたが、やがて小さな声で答えました。「実は、おいらが大事にしているものがあるんだよ。でも、それが狙われてるから、隠れ住んでいるのさ」。

「大事にしているものって?」

パルはリリアンの素直そうな目をじっと見て、それからまたリリアンの空飛ぶ靴をじっと見て、覚悟したように言葉を口にしました。


「『世界樹の妖精の卵』なんだ」

「『世界樹の妖精の卵』……? 何それ?」リリアンは知らない言葉に首をかしげました。

「世界樹は分かるよね。ずっと東にある、世界を支える大樹だよ。そこにお仕えする妖精の卵なんだ」


 パルは折りたたんだ小さな羽の中から、小さな小さな宝石を取り出してリリアンに見せました。

「きれい……」

「うん。宝石に見えるけど、これは生命力の固まりなんだ。妖精の卵だからね。それで、この卵を砕いてその力を取り出せば、病気や怪我をなんでも治すことができるんだ。だから、悪人たちに狙われているのさ」と、パルは説明しました。パルは大きな目を伏せて言います。


「……おいらたち竜は、何かの宝物を守るために生まれる。おいらにとってはこの卵が運命なんだ。ちゃんと孵してやりたいんだけど、上手くいかないんだよ」


「どうして世界樹の妖精の卵が孵らないの?」リリアンは、パルの目を見つめながら問いかけました。すると、パルはうなずき、悲しそうな表情を浮かべました。その表情からは、自分が守る宝物のために必死に努力していることが伝わってきました。


「この卵は人間の町の中でしか孵化しないんだ。それに、人間たちの悪意に晒されても孵化することはできないんだ」と、パルは悔しそうに語りました。リリアンは、パルが悲しみと悔しさに苦しんでいるのを見て、心が痛みました。うちすてられた庭園は、かつて花々が美しく咲き誇っていたのでしょう。しかし今は花々は生命力を失い、代わりに草たちが豊かな生命力をふるって生い茂っています。風が吹くたびに草の穂が揺れ、その音がささやかに静けさを破りました。


「人間の町の中でしか……」

草たちだけが会話している忘れられた庭園のの中で、リリアンは考え込んでいました。パルはその真剣な表情にドキッとしました。そして、リリアンはたった今出会ったばかりの自分のためにこんなに真剣な顔で考えを巡らせてくれるのだから、リリアンのお母さんかおばあさんが魔法の民たちの誰かから空飛ぶ靴をもらったこと、それを譲り受けて今リリアン自身が空飛ぶ靴を持っていることは決して間違いではないのだと、不思議と納得していました。


 パルが考え込むリリアンの目をのぞき込んでいると、不意に、リリアンの金のひとみの中で、かっと金の星が燃えたように見えました。彼女は何かを思いついたようで、パルに向き直り、明るい笑顔で言いました。


「そうだ! 時計塔に卵を持っていこう! 時計塔の聖なる鐘の音は、人間たちに平和と希望を与える力があると言われているよ。あそこでなら卵が孵化するかもしれない!」

パルはリリアンの提案に驚きましたが、すぐに理解しました。「時計塔の聖なる鐘の響きは悪意の力を寄せつけないとも聞いたことがある。名案かもしれない……」と、パルは呟きます。しかし、パルは怯えたように顔を上げて、上目遣いでリリアンを見ました。

「あ、あの……でも、時計塔って、普通の手段じゃ入れないよね? あそこを管理していた魔法使いたちはずっと前にいなくなって、もう誰も立ち入れないって聞いたよ」

「大丈夫、貴方は竜で、私には空飛ぶ靴がある。空を飛べば、入れるわ!」

「でも、途中で悪人に襲われたらどうするんだよ? 危ないよ、リリアン!」

「パル、それこそが冒険よ」


 廃墟、逆光。リリアンのひとみの中で、金の星がかっと強く輝いていました。自信満々の微笑みで、リリアンはパルに手を差し出しました。

「大丈夫、時計塔なんてすぐそこじゃない。空を行けば一瞬だよ」

「リリアン」

リリアンはパルから『世界樹の妖精の卵』を受け取ると、目と同じ金色の髪を整え、郵便配達屋の証である帽子を深くかぶり直しました。


「郵便配達見習い・リリアン。配達、開始です!」

リリアンは空飛ぶ靴をとんとんと鳴らし、走り始めます。

「ワン! ツー! フライハイ!」

走りながら地面を大きく二度蹴ると、リリアンは空を飛ぶことができるのです。




 飛ぶ直前は、身体が大地に引っ張られ、胸が息苦しくなる感覚をリリアンはいつも覚えます。しかしその瞬間を超えると、重力の糸が切れ、すさまじい突風を身体に感じながら、リリアンの身体は空高くへと一気に舞い上がるのです。風が彼女のほっぺたを撫でるように吹き抜けます。風は彼女の髪をなびかせ、彼女の服を軽く揺らします。風を支配する空気の精霊たちは目に見えませんが、確かにリリアンの友達なのです。


「リリアン、待って! おいらも行くよ!」パルは小さな体から声を振り絞ってリリアンに向かって叫びます。ばたばたと小さな羽をはばたかせてついてこようとするパルに、リリアンは声をかけました。

「大丈夫、パル。一緒に飛ぼう!」

リリアンは空飛ぶ靴で空気を蹴って、パルの元に戻ります。靴が空気を蹴るたびに、タップダンスのような乾いた軽やかな音が響きました。そして、パルの小さな手を引いてまた空に上がっていきました。


下を見下ろすと、リリアンたちは町が広がっているのを見ました。屋根の上には、色とりどりの布が干され、煙突からは煙が出ていました。市場には、人々が集まり、露店で商売をしている様子が見て取れます。広場。図書館。眠り続ける古城。町の建物や人々がぐんぐんと小さくなっていきますが、町はそれでも広大に広がっています。リリアンはその町の中に、多くの人々が生活していることを知っています。


「こんな高いところまで、初めて来た。おいらまだそんなに上手く飛べないから」

「そうなの? じゃあ今度また一緒に、空を飛ぶ練習をしようよ」

微笑むリリアンは、少しずつ空を駆ける足をゆるめて、最後には天空にぴたりと立ち止まりました。リリアンは青空の中で青空を見上げました。空気の精たちが彼女の髪を優しく揺らして遊んでいます。空気は地上よりも冷たく、彼女の体を包んでいました。広大な周囲はすべて天そのものでした。リリアンはパルに苦笑を向けながら、配達人の地図を取り出します。

「えへへ。なかなか町の形を覚えられないし、地図を読むのも下手だから見習いなんだよね」

「あっ。でも、ここまで高いところなら、地図と町の形が一緒だよ!」

「そうそう! 町の中で地図を見るより、空から見たほうが分かりやすいんだよ!」


 リリアンは地図で時計塔を見つけると、見下ろした町の同じ場所に時計塔がちゃんとあるのを見つけてにやりと笑いました。

「行くよ、パル!」

「OK! ――え?」

パルを抱きしめたリリアンは、突然飛ぶのをやめました。フリーフォール! パルは驚きと恐怖で目を丸くし、「リ、リリアン、何して……ひゃああああー!」と叫びました。

しかし、リリアンはむしろ楽しそうに笑いながら、風になびく髪をなびかせていました。「この感覚、最高! もっと早く落ちていきたいくらい!」

「ええええ!? おいらは怖いよ! ちょっと、リリアンっ、うわあああー!」

パルは必死にしがみつきながらリリアンに訴えかけましたが、その訴えも途中で悲鳴に変わってしまいます。落下のスピードは増すばかりなのがパルにも分かります。リリアンはパルを抱えたまま、まるで遊びのように落ちていきます。

「大丈夫、大丈夫。私がいるから、何も心配いらないよ!」

リリアンは優しく微笑んで、パルの小さな体を抱きしめました。その呑気な声のひびきは、確かにパルを安心させるところもあったのです。リリアンたちはそのまま落ちていき、ぐんぐんと地上が近づいてきました。風を切る凄まじい感覚。けれどリリアンに抱きしめられているパルは、リリアンを親しく見つめている空気の精の気配を一緒に感じた気がしました。


 そして、時計塔に近づくにつれ、その気配はより強く感じられました。目に見えない優しい手が落ちる勢いをやわらげます。リリアンは靴を使って空気をカンカンと二回蹴り、落下の速度とバランスを整えました。とうとう、二人は時計塔の上に着地したのです。

「ほらね、パル! 無事に到着したよ!」

「リ、リリアン……おいら、まだ生きてる?」

パルは、リリアンに声をかけられて初めて自分が時計塔に到着したことに気づいたようでした。

「当たり前じゃない。あっという間だったでしょ?」

リリアンは、パルに楽しそうに微笑みかけました。パルは、リリアンに恐る恐る笑顔を返しました。




 時計塔の中央、大きな鐘の下に立って、リリアンは手にした『世界樹の妖精の卵』を大切に指でなでました。パルと目を見合わせると、リリアンはパルに一度卵を返しました。パルは少し驚いた顔をしましたが、その卵を受け取りました。そして、自分の手で、時計塔の聖なる鐘の下、その真ん中にそっと『世界樹の妖精の卵』を置いたのです。


「もうすぐお昼の鐘が鳴るはずだよ」

リリアンとパルは鐘の下で、鐘の音を待ちます。しばらくすると、鐘がぐぐっと動き始めました。聖なる鐘が鳴り始めるのです。がああ――……ん、と大きな音が響きます。流石に鐘のすぐ下で聞く音は大きすぎて、二人は耳を覆いました。

鐘の音が高くなって、次第に静かになっていきました。そして、最後の鐘が鳴り終わると、鐘楼からは静けさだけが残りました。

「あれ、終わり?」

パルはきょとんと言いました。

「流石に一回鐘を利かせただけじゃ何も起きないかなあ」

リリアンとパルが残念そうに言い合っていた時です。宝石のような見た目をした『世界樹の妖精の卵』にぱきぱきとヒビが入りました。

「リリアン!」

「パルぅ!」

驚いてお互いの名前を呼び合う二人の目の前で、『世界樹の妖精の卵』は一瞬で砕け散りました。青白い光が放たれ、周囲が光に包まれます。リリアンは驚きの声を上げ、パルもびっくりして、離れた場所に身を隠しました。そして、その光は徐々に小さな人のような形になっていきます。光輝くその人が、生まれたばかりの世界樹の妖精なのでした。


 パルは嬉しそうに……しかし丁重に、妖精に声をかけました。

「ようこそ、世界樹の妖精。あなたが孵化した瞬間を見届けられて、とても光栄です」

威風堂々とした表情の妖精はパルを一瞥して、微笑みました。小さな竜のパルよりも小さなその妖精は、ふわりと空を滑るようにしてパルに近づき、そっとその額の小さなツノにキスをしました。


「パル、妖精に祝福されたんだね。すごいよ!」リリアンはパルに話しかけます。

「きっと、おいらが宝物を守る竜で、『卵』を守ってたってことを分かっているんだね」

パルはうれしそうに尻尾を振りました。妖精はそんな二人の様子を見てふっと笑うと、そのまま背を向けて飛んでいきました。

「見て! 妖精が光になって空に昇っていくよ!」

リリアンが興奮気味に言います。パルも嬉しそうな表情で、妖精を見送ります。妖精はきらきらと光の粒になり、空に溶けて消えていきました。守るべき世界樹のところへ行ったのです。




「ありがとう、リリアン。おいらの『世界樹の妖精の卵』を助けてくれて」

「うん! 良かったね、パル!」

しかし、パルは内心で物足りなさも同時に感じていました。

「でも、これでおいらの守るべき宝物がなくなっちゃったよ。竜はみんな、宝物を守るために生まれてくるのに!」

そんなパルに、リリアンは迷わず言いました。「それじゃパル、私と一緒に配達のお仕事をしない? 配達してたらいろんなところでいろんな人に会える。そうしながら、次に守りたい宝物を探そうよ。きっと、素敵なものが見つかるよ」

優しく微笑むリリアンのひとみの中で、金の星がまた、強く輝いていました。そのまたたきをパルはずっと見ていたいなと思いました。

「うん。リリアン、おいら、頑張るよ!」

パルはリリアンが差し出した手を取り、リリアンはその手を握り返しました。




二人は今日も、配達物を届けていきます。

「パル! 今日も町の人たちが私たちの配達物を待ってるんだ。早く届けて、喜ばせよう!」

「うん、リリアン! ――さあ、早く!」

練習して空を飛ぶのもだいぶ上手くなったパルが、我先にと空に飛び上がってリリアンに笑顔を向けます。

小さなリリアンは郵便配達見習いの女の子。リボンのついた赤い靴をはいています。靴をとんとんと鳴らし、走りながら地面を大きく二度蹴ると、リリアンは空を飛ぶことができるのです。

「ワン! ツー! フライハイ!」

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