第111話 或る大陸人の転職

 日本国

 千葉県千葉市大網区

 白子町沖


 大陸への移民を乗せ、帰還時に食料や鉱物資源を満載したフェリーや貨物船が千葉県の各港に寄港していた。

 積載された物資を降ろした後は、再び移民を乗せて大陸にとんぼ返りだ。

 そのうちの1隻の中型フェリーの窓から、大陸の人間と一目でわかる装束の男が、食い入るように港を見つめていた。


「船員はここで全員交代して家族と過ごすそうだ。

我々もここで降りる」

「日本がどれほど進んだ地なのか戦々恐々としていたが、思ったよりひなびたところだな」


 大陸より招かれた魔導士エステバンの感想に、同行していた公安調査官の松井繁は久々の本国帰国の気分に水を差された気分だった。


「まあ、東京湾は千葉市民の移民船で大渋滞ですからね」

「ここも千葉市のようだが?」

「こっち側にはフェリーが寄港出来る良港は無いんですよ。

転移後の市町村合併で、千葉市に編入された町ですからね。

ひなびてるから目立たなくて済みます」


 千葉市は転移後に大網白里市と白子町を合併し、大網区とした。

 これにより、千葉市は外房まで市の境が伸び、房総半島を分断する形になっている。


「待て、寄港出来ないのに我々はどうやって上陸するのだ?」

「迎えの船に乗り換えます。

荷物の忘れ物はありませんか?」


 勝浦海上保安署に所属することなみ型巡視艇『すがなみ』が、エステバンと松井調査官の乗るフェリーに接舷する。


「自衛隊の船とは違うのだな」

「さすがに大袈裟すぎて、動員出来ませんよ。

護衛艦の大半は船団の護衛任務ですから、本国近海は海保さんが頑張ってますよ。

それにしても……」


 松井は複雑そうに船首甲板に備えられていた13mm単装機銃(ブローニングM2重機関銃)を見つめる。

 従来のことなみ型巡視艇は非武装の巡視艇だった。

 海洋結界の縮小が判明した結果、非武装の巡視艇にも改修して13mm単装機銃(ブローニングM2重機関銃)を搭載させたのだ。

 占守島あたりはすでに海洋結界の範囲外になっているという噂もある。

 本国政府の焦りが感じられた。


「今の千葉市は混乱中で渋滞や電車も満員で酷い。

東金から成田、柏から三田に向かってくれ」

「随分遠回りですね。

まあ、一時間も変わらないか」


 艇長に伝えられた交通状況に松井調査官は眉をしかめる。

 上陸後は三田にある在日アウストリアス大使館に出頭し、大使であるレーゲン子爵に挨拶をしに行く予定なのだ。


「行き方なんて俺はわからんからな、頼むぜ」


 エステバンは些かドジで軽薄な松井調査官には、不安を感じていた。

『すがなみ』がさらに九十九里浜に近付くと、複合艇に乗せられて上陸を果たした。


 浜では待ち構えていた公安車輌で大網駅まで送られ、電車で三田まで向かうことになる。



 ガソリンが高価な為にここからは電車だ。

 最初のうちは、大陸で走っている汽車とは違う理屈で動いている電車にはしゃいでいたエステバンだったが、何度も乗り換えをさせられうんざりする顔を隠さなくなった。

 原子力発電所は全力稼働中なので、電車だけは転移前と変わらずに動いていた。

 最も都道府県間の往来は住民の移動を規制する為に県境の駅からは封鎖されている。

 国府台駅から小岩駅まで歩くことになった。


「大陸人は徒歩移動に慣れてるものだと思ってたが」


 徒歩移動にヘバっているエステバンに、今度は松井調査官が呆れている。


「大陸の民の大半は、自分達の住んでる村や町から生涯に渡って出ることは無いのさ。

かくゆう私も貴族の三男坊だったから馬や竜車で移動してたからな」


 皇国が崩壊した時、エステバンは現在は王都となっているソフィアの魔術師学院の導士だった。

 皇国や貴族の奨学金で学んでいる魔術師や生徒と違い、実家からの仕送りで学院に通っていたエステバンは徴兵の対象から外れていた。

 皇国政府は才能を認めた平民や士族を皇都に招聘し、学院で学ぶ為の奨学金を支給している。

 有事の際には魔術師団に召集され、皇国の為に働く事を義務付けられている。

 また、当時はソフィア大公領の領都だったソフィアの学院には、貴族の子弟やお抱えの魔術師にする為に貴族から奨学金が出ている士族、平民が集められていた。

 日米を含む地球系連合軍との戦争が始り、大陸への上陸を許すと皇帝親征が決定した。

 全ての戦力の皇都への集結が指示され、ソフィアの学院でも教師は魔術師団に、成人に達していた生徒も貴族の私兵軍に召集された。

 学院に残った魔術師は老齢や成人前で、召集の対象外だった者達と召集の義務が課せられて無かった者達だ。


 そして、米軍のB-52爆撃機による空爆で誰も皇都から生きて帰らなかった。

 その中にはエステバンの父や兄弟達も含まれる。

 戦後、男爵位に過ぎなかったエステバンの実家は爵位を剥奪されて領地も没収された。

 生徒達に魔術を教える導士だったエステバンは学院から給与が支給されている。

 皇国から国を引き継いだ王国政府は学院への援助を大幅に削減した。

 日米及び地球連合への賠償が財政を圧迫したからだ。

 没収された領地からエステバンを頼ってきた家族を養う給与も削減されてしまった。

 暫くは副業として冒険者稼業に身を投じてみたが、学者肌のエステバンに都市の外での活動は厳しい。



 ある日、エステバンの家に日本の総督府からの使者が訪れた。


「日本本国の魔術師の私塾に導士として働きませんか? 

実積次第では、男爵家の再興と領地返還をお約束しましょう。

但し、十年は大陸には戻れません」

「爵位や領地も安くなったもんだな。

引き受けようじゃないか」


 生活に困窮する寸前だったので選択肢は無かった。

 ついでに日本本国にも興味があった。

 日本の客船には驚愕したし、近代的な建物にも驚いたが、東京に入った途端にほとんど人と遭遇する事がなくなった。

 むしろ地下鉄にエルフやドワーフが乗り込んで来たときにも驚愕したが、海亀人やイカ人といった海棲亜人が乗り込んで来た時にはモンスターかと攻撃魔術を打っ放すところだった。


 三田駅で降りて三田二丁目まで歩くと、今度は大陸の人間ばかりなので安心することになる。


「この三田二丁目が王国の租借地として、大使館並びに職員の住居が設置されています」


 三田二丁目の旧慶應義塾大学敷地と神社仏閣を除く全域が塀に囲まれていた。

 三田通り交番と三田綱町交番には、王国からの駐在武官である騎士や兵士が詰めている。

 大使館業務は旧オーストラリア大使館で行われており、旧イタリア大使館は大使公邸となっていた。


「はるばる大陸から来たのだ。

今晩は細やかながら晩餐会を開かせて頂く。

松井殿も招待に応じて頂きたい」


 大使のレーゲン子爵の招待で晩餐会に参加する羽目になっていた。


「うっかり応じてしまったが大丈夫なのか?」

「日程的には問題無いのですが、公安の僕が参加するのは、問題があるような。

まあ、警固の一環ということにしておきます」


 三田二丁目には王国民ばかりが住んでいるので、エステバンとしても知己を得て起きたかった。

 晩餐会では来日の目的を知られないように苦慮したがどうにか乗り切る。



 翌日、エステバンと松井は目的地である府中市に到着した。

 航空自衛隊府中基地の北側に転移後に在日米軍に返還された土地が有る。

 転移前は府中市基地跡地留保地と呼ばれ、管理棟が放置されて廃墟化している。

 その管理棟は改装され、エステバンの邸宅並びに研究施設となった。


「府中市民から職員を募集中です。

暫くは不便でしょうが、御容赦下さい。

荷物は明日には届くはずです」


 次に職場となる府中刑務所に案内された。

 刑務所と呼ばれているが、囚人は一人しかいない。

 その実態は転移後に生まれた日本人の子供の魔術教室だ。


「はあ、本当に生きてたんですね子爵殿」

「元子爵だよ。

今となってはただのベッセンさ」


 大陸で天才の名を欲しいままにしていた皇国筆頭魔術師マディノ子爵ベッセンだ。

 彼は自らの自室にしている東1舎の6人用の雑居房の中でエステバンの到着を待っていた。

 戦犯として処刑されたはずの彼が目の前に現れたことに驚きつつも、生存に関しては然程でもなかった。



「子爵……

 ベッセン殿の生存説は、大陸の魔術師の間では頑なに信じられてましたよ。

都市伝説のような目撃情報がちらほら有りましたからね。

貴方なら不死の王に到達しても不思議では無かったですし」

「はっはは、死んだ事になっているが、片付けておきたい雑事が多くてね。

精神体を飛ばしてたんだよ」


 肉体を伴わない精神体でも距離と時間の制約はある。

 大陸まで精神体を飛ばせるベッセンの魔力と才能に複雑な思いを抱いた。


 ベッセンは刑務所内では、制限はあるが自由に歩きまわれる。

 学舎としている東2舎で生徒達を紹介された。


「正直なところ貴方一人いれば十分だったのでは?」

「現状はね。

でも来年には町田と西東京から仏教系7人、神道系が4人、大陸系が4人増えるんだ。

色々と手がまわらなくなってきたから、大陸系を別教室に分割して君に任せたいんだ」


 現状の生徒は仏教系が21人、神道系が7人、大陸系8人の36人。

 確かに生徒が50人を越えれば、ベッセンの手に余るのは理解できた。


「それに仏教系と神道系は、実家と後援の教団からの紐付きだから、色々と面倒でね。

私が表だって動けないこともあるから、そのあたりも君に任せることになる。

必要な物は経費で落ちるから申請の書類の書き方も教えるよ」


 ベッセンにとって、仏教系と神道系の奇跡は貴重な研究対象だった。

 他の者に渡す気は更々無い。



 一連の話を聞いていた松井調査官は、報告書に


『元子爵殿はパシりを欲しがっていた』


 と記載し、上司の叱責を受けることになる。

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