日本異世界始末記

能登守

第1話 長征07号事件

 大陸の沿岸部


 洞窟を利用した粗末に設置された天然のドックに1隻の潜水艦が停泊していた。

  天然のドックといっても粗末な木製の桟橋が掛かっているだけだ。

 094型原子力潜水艦『長征7号』は、中華人民共和国海軍が運用する弾道ミサイル原子力潜水艦である。

 NATOコードは晋級。

 海南島の亜竜湾海軍基地を出港して約半年。

 当初は日本国が実行支配する魚釣島近海まで航行して、日米の反応をみて帰還する簡単な任務のはずだった。

 しかし、帰還中に何らかの異変が生じたのか本国への連絡はおろか、大陸の存在すら無くなっており、ひたすら大陸を探して航海を続けた。

 そして、ようやく見つけた陸地は地球上のものとは明らかに違っていた。



 呉定発中尉は最後の仲間だった乗員の墓穴を砂浜で掘り、埋葬を終えたところだった。


「副長達はうまく行ったかな?」


 すでに備蓄の食料は底を尽きた。

 艦長を初めとする127名の乗員は、食料調達や周辺の偵察の際に化け物のような生物の襲撃や流行り病で次々と命を落としていった。

 『長征7号』に立て籠り抵抗を続けたが、艦に装備されていた小銃や拳銃を持って、副長達12名が森に消えたのが三ヶ月前。

 遂に呉中尉は最後の1人となってしまった。

  残された武器は拳銃1挺。

 弾丸は3発。

 『長征7号』の魚雷やSLBMなどは使い途がない。

 艦に戻って手製の釣竿で魚でも釣ろうか考えていると、銛や三ツ又の矛を持った人型の生物が海から上がって、呉中尉を取り囲もうとする。

 人型の生物と言ったが、人は手足にヒレや水かきは無く、全身がうろこで覆われたりしていない。

 何より頭部が魚のものだ。

 拳銃を彼等に向けながら少しずつ後退する。


「魚野郎め、食われてたまるか!!」


 呉中尉は食われていった仲間達の顔を思い浮かべながら最後の抵抗を試みることにした。



 釣り針のように突き出た半島に守られた新香港は天然の良港である。

 もとは大陸で覇を唱えていた皇国を、異世界に転移した日本が降伏させ、帝国海軍最大の根拠地であるノディオンの街を割譲させたのが始まりである。

 爆買い等の観光で来ていた中国人観光客約十万人。

 転移の影響で失業した中国人労働者約30人や1万人の留学生、日本人配偶者などを加えて約45万人が住民を完全に追放したこの地に住み着いた。

 異世界チャイナタウンと日本では呼ばれている。

 日本大使館が設置され、日本本土から大陸への玄関口となっている。

 その日本大使館から1台の車が大使相合元徳と駐在武官である渡辺始一等海佐が、新香港主席官邸であるノディオン城に緊急に呼び出されたのだ。


「最近、呼び出される懸案事項があったかね?」

「新香港の武装警察と駐屯している16即連の演習は終わりましたし、海警も特に問題はないですし……」


 渡辺一佐にも思い当たることはない。

 車が場内に入るとすぐに応接室に通される。

 すでに林主席と数名の武官が待っていた。

 林主席は立ち上がり握手を求めてきて、相合も応じる。


「相合大使、急な呼び出しに応じて頂きありがとうございます」

「火急な呼び出し緊急な事態とお見受けしますが?」


「新香港設立から5年、我が市でも異世界人と中華人民を見分ける為に戸籍の登録を行っていましたが、最近無登録の人民が城壁外で発見されてましてな。

 本人は中華人民共和国海軍南海艦隊所属の呉定発中尉と名乗っています。

 どうやら日本の異世界転移時に巻き込まれて6年も放置されてたようですな」

「なるほど、海警か軍艦の生き残りですか」


 転移直前に尖閣諸島に領海侵犯を繰り返していた中国側は海警船3隻と江凱II型(054A型)フリゲート常州。

 中華民国の巡防船1隻が転移に巻き込まれて、日本の保護下に入っている。

 そのまま新香港海警局の所属となったが、まだ取り零しがあったのかと渡辺一佐は考えていた。

 だが林主席は首を縦にふった。


「彼が乗艦していたのは『長征7号』弾道ミサイル搭載原子力潜水艦で、どうやら核ミサイルが1基搭載されていたようです」


 相合も渡辺も絶句したが辛うじて言葉を捻り出した。


「これは本国通達事案ですな」








 冒険者のパーティーが地上に上陸して、近隣を略奪していたマーマンの群れを討伐していた。

 シーフのマシューを先頭にマーマンがねぐらにしていた洞窟を安全を確かめながら入っていく。

 洞窟の中は海に繋がっているが、巨大な黒い船が浮かんでいて放置されている。

 リーダーのハリソンが船を見上げて呟く。


「たいへんだ、御領主様に知らせないと!!」


 冒険者のパーティーは慌てて洞窟を飛び出していった。





 

 新香港

 主席官邸『ノディオン城』


 日本大使相合元徳と駐在武官である渡辺始一等海佐が本国に問い合わせる為に急ぎ大使館に戻る為に退室した後、林主席は背後に控えていた武官に声をかける。


「常少将、現在遠隔地まで派遣できる部隊はいるかね?」


 常峰輝武警少将は、林主席と転移前の在日中国大使、陸軍駐在武官だった頃からの付き合いである。

 さらに今の日本側との会話の内容から目的地までの距離も勘案して返答する。


「陸自16即連との演習を終えた武警第6大隊から50名ほどなら、弾薬や車両の燃料の残りを集めさせて捜索に当たれます」

「よし、疲れているかもしれないが出動させて『長征7号』を抑えろ。

 自衛隊や米軍が出てきたら、『長征7号』は中国籍なのは確実だから新香港が接収すると主張しろ。

 但し、武力による交戦は避けろ。

 こちらには呉定発中尉という案内役もいるから先手は取れるだろう」

「現地組織が介入してきた場合は如何致しますか?」

「反乱を名目に武力によって鎮圧だ」

「畏まりました。

  燃料、食料、弾薬の手配ができしだい出発させます。

 現地までは2日ほどで到着すると思います。

 しかし、何故日本側にも教えたのですか?

 我々が密かに確保してからでもよいと思いましたが……」


 林主席は武官全員に伝わるようにソファーから立ち上がって見渡す。


「我が新香港は、日本に軍事的、経済的に依存しているのが実態だ。

 核兵器1発手に入れた程度で日本に対抗すれば、北朝鮮の二の舞になるだけだ。

 だが高く売り付けることは出来るだろ?

 先に教えるのは、我々は日本と敵対していないという意思表明だよ。

 ただ、先に核兵器を抑えないとは一言も言ってないがな」

 




 在新香港日本大使館



 大使館に帰還した相合大使は、本国に事態の説明と対応の指示を求めて執務室に籠っていたが、直ぐに自衛隊や文官の責任者を召集した会議室にやってきた。

 事態の説明はすでに渡辺一等海佐が行っていたが、大使の顔色から本国から色好い返事が貰えなかったことを皆が察していた。


「本国は現地駐屯部隊で対処しろと通達してきた。

『長征7号』の確保、或いは無力化だ。

 目標が原子力潜水艦である以上、無制限の破壊は禁じるとのことだ。

 本国からの増援はすぐにはでない。

 青木陸将、部隊の派遣を命じたい」


 第16師団師団長青木一也陸将は立ち上がって説明を始める。


「今回は即応を優先しますので、第16偵察中隊から先遣を出させます。

 現在、出動待機しており命令次第出動出来ます」


 陸上自衛隊第16師団は、大陸駐屯の為に新設された部隊である。

 本国の部隊は転移直後に大量に発生した失業者を背景に自衛隊経験者を大量に再雇用した。

 もちろん失業者対策である。

 偵察隊が中隊規模になるくらいの増員だ。

 転移直後に起きた『隅田川水竜襲撃事件』や開戦の発端となった『横浜広域魔法爆撃』が、自衛隊の大幅増強を世間が後押しする結果となった。

 海上からのモンスターの襲撃がある以上、終戦後各部隊は本国に張り付けになってしまったのだ。

 第16師団は大陸の日本の権益を防衛するのが存在意義となった。

「まあ、宜しく頼むよ。

 どれくらい掛かる?」

「現地までは6日といったところでしょうか」





 ハイライン侯爵領

 海岸部



 冒険者の一団から通報を受けたハイライン侯爵ボルドーは、馬に引かれた『ISUZU:エルフ』と書かれた車両の横扉を開いて、その地に降り立った。

 日本との戦争の責任を取って隠居させられた父の後を継いだばかりの若者だ。

 次の馬車からも数人の男達が降りてくる。

 そして、馬に乗った武装した銃士達がまわりを固める。

  先込め式の滑腔式歩兵銃を持てるのは、以前は騎士と呼ばれてた階級の人間だけである。

 馬車から降りた者達には、船大工や錬金術師と言った人間やドワーフといった妖精族が混じっている。

 ボルドーは一団を率いて、洞窟に入っていく。


「これが異界の国の船か?

 まさか上部まで鉄張りとは……

 だがこの船を手に入れれば奴らに対抗出来るかもしれない」


 軍事的にはたかが1隻程度では話にならないだろう。

 だが船ならば生活の為の道具や武器が積まれていたはず。

 圧倒的な技術格差が少しは埋まるかもしれない。

 そうすればこの新興開拓地の民達を救える方法が見つかるかもしれないと希望を見いだす。


「上部に手回し式の入り口があるそうです。

  開けっ放しになっていたらしく、内部にはマーマンの死体が何体か。

 乗員は停泊中に襲撃を受けたものと思われます。

 洞窟の外に100基以上の簡素に造られた墓地も発見されています」


 銃士長が現時点でわかったことを報告してくる。


「うむ、職人達をかき集めてきた。

 徹底的に調査を進めよ」






 客船『中華泰山号(チャイニーズタイシャン)』



 下関寄港時に異世界転移に巻き込まれた同船は、新香港の公営企業の所属となっている。

 かつては900人もの中国人客を乗せて、日本爆買ツアーを行っていたが現在乗せている乗客は新香港武装警察官50名と案内役の中国海軍中尉呉定発が乗り合わせている。

 すでに出港から2日と半日。


「船長?

 すでに到着予定時刻を2時間も過ぎてると思うのだが……」


 隊長の湯正宇大尉が心配そうな顔で船長に尋ねる。


「はっはは、もうすぐですよ、あわてない、あわてない。

 もともと航路も無いとこ進んでるんだから時間が無茶なのね。

 まあ、近くまでは前にも行ったことがあるから水深はわかってるけど、慎重に進んでるだけだから安心するよろし」


 実質、軍事組織に所属する湯大尉は時間に正確になっているが、船長は未だに中国人的大陸時間の感覚でいるらしい。

 異世界に来てむしろ悪化しているようだ。

 だか船長にも思うところはあるのだ。

 普段は新京から日本への食糧を運ぶのんびりした航海ばかりなのだ。

 突然に新香港政府から武警を運ぶよう命令されて、これはヤバイ仕事だと感じてはいた。

 厳重な機密扱いが適用された。

 新香港政府が隠し事をする相手など、日本政府や自衛隊以外に無いだろう。

 慎重に航海を進めるしかない。


「いや、どうせ目標は逃げやしないだろうけどさ。

 報告が遅れるから急いでくれよ?」


 湯大尉からの苦情も大変疎ましく感じていた。

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