第10話 惨めな悪あがきさえ


そのままオリビアは図書館に来た。学校1階の渡り廊下の先にある、併設の図書館だ。今日もここには誰もいなくて、ホッとする。15時以降は、貸し出しも受け付けていないため、司書もいない。


自室で勉強してもいいのだが、この静かな環境と、窓際の席が好きだった。窓から外を見ると、ちょうど夕焼け空が見えるからだ。今日は晴れていたから、特に綺麗だろう。


「今日は何から始めようかしら……」


オリビアは呟いて、机に教科書とノートを広げた。最後に、ポケットからグレーの羽根ペンを取り出す。これは、入学する時に「魔法と言えば羽根ペンでしょ!」と、買ったものだった。使いすぎて羽根がもげはじめ、もうだいぶ古いから、新しいものを買い換えようか迷っている。


「うーん、でも、まだ使えるし」


オリビアが独り言を言った時だった。


「へえ、確かにここなら誰にも見られなくていいね」


「きゃあっ!!」


オリビアは驚いて椅子の上で飛び上がった。振り返ると、ニヤニヤと笑うハヤトがいた。衝撃で心臓が跳ねる。


「ハヤト…!どうしてここにいるの…?」


「見ちゃった。オリビア、いつもここで勉強していたんだね。大して勉強してない、とか言ってたけど」


ハヤトの言葉にオリビアは慌てふためく。

オリビアがマリアと話していたことは、やはりハヤトにも聞こえていた。


「えっ……!ち、違うの!その、そうだ、本が読みたくて…!」


オリビアは必死に言い訳をする。


「そうか。じゃ、その教科書とノートはなんだい?」


「あっ……」


オリビアは、観念した。



「…そうよ。毎日ここで、勉強してるわ。それが何?わざわざ見に来たの?」


オリビアは、恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じた。努力している姿は誰にも見せたく無かったが、よりによって憎きライバルであるハヤトにバレてしまうとは。


「うん。オリビアがどんな風にしてるのかなって思って」


ハヤトがオリビアの隣に座った。


「はぁ…?どういうこと。何してるの」


「へぇ。いい席だね。夕陽も綺麗だ」


オリビアは迷惑そうな素振りを見せたが、ハヤトは構わず後ろの窓を少し眺めて、オリビアの方へ向き直った。机の上に広げられた教科書やノートを、覗き込む。


「何の勉強?魔法学?君、ほんと魔法好きだね」


オリビアはまた少しイライラしていた。この男は何をしに来たのだ。


「あなたには関係無いでしょう。馬鹿にしに来たの?」


「いや、頑張ってるなと思って」


ハヤトは笑顔で答えた。今まで見たことも無いくらい優しい笑顔だ。


オリビアは、そんなハヤトを見て、また少し動揺した。また頭をポンと撫でられ、慌ててその手を振り払った。顔が赤く染まっていく。


「だからっ……!!そういうのやめてよっ!嫌味なの?自分はここまでしなくても、私より上だって言いたいの?」


しかし、ハヤトは大真面目に返した。


「違うよ。僕はここまで頑張れない。君を尊敬してるよ」


───えっ……


ハヤトが?私を尊敬?見下してるんじゃなくて?オリビアは耳を疑った。


「あ、あなたみたいに何でも出来る人に言われても信じられないわ」


「皆はオリビアの事を天才だと言っていたよ」


オリビアは、嫌な予感がした。ついに、ハヤトに核心に迫られる時が来た。


「…そうみたいね。だから何よ…」


「でも君は、天才ではない」


ハヤトはきっぱりと言った。何もかもお見通しだった。


とうとう言われてしまった。胸にぐさりと刺さる。オリビアはよく分かっている。自分に才能が無い事を。それでも、この男にはっきりと否定されると、やはり傷付く。


オリビアは、認めた。


「……そうよ。私に才能は無いわ。そのくせ負けず嫌いで、自分の理想像も高い。だったら、努力するしか無いじゃない。必死になっている所、誰にも見せたく無かった。あなたにはなおさら…」


オリビアはうつむき、グレーの羽根ペンをきつく握った。


「そうかな。君のそういう所、僕は素敵だと思うけど」


ハヤトの予想外の言葉に、オリビアは驚いた。


「えっ……?ど、どこが?私、惨めよ。天才のフリして、結局、中途半端にしか出来ないし、その上あなたに逆恨みまでしてるんですもの…」


「いや、違うよ。僕はたまたま魔力や頭脳に恵まれたから成績がいいけど、もし才能が無かったら大した事無かったと思うよ。あんまり机にかじりつくの、好きじゃないから。でも君は、違うじゃないか。努力は、恥ずかしいことじゃないよ。誰にでも出来ることでもない」


「……」


オリビアは黙ってしまった。ハヤトは、自分のことを馬鹿にしていると思っていた。


「…あ、ありがとう」


オリビアは小さな声で言った。


「どういたしまして」


ハヤトは再び頭をなでてくる。


「でも、それはもうやめて…」


オリビアは恥ずかしくて顔を赤面させた。ハヤトの女慣れした態度に戸惑う。


「あ、ごめんね」


「…勉強、するから。さよなら」


「うん、頑張って」


オリビアは勉強を始めた。


***


「……そろそろ帰ろうかな…」


オリビアが伸びをして、すっかり暗くなった窓の外を見つめた。


「疲れた…」


教科書などを独り言をつぶやきながら片付けた。立ち上がって振り返ると、近くのイスに座って足を組み、本を読んでるハヤトがいた。オリビアはギョッとした。


「えっ!?まだいたの!?」


「ああ、終わった?お疲れ様」


「ええ……」


ハヤトが立ち上がり、腰をひねる。


「じゃ、行こうか。送ってくよ。暗くなってきたし、女の子1人は危ないよ。家、どの辺?」


「えっ、えっと……あの、宿舎だから大丈夫よ」


オリビアは、しどろもどろで答えた。


「えっ、そうなんだ。僕もだよ。じゃ、途中まで一緒に行こう」


「えっ……ええ」


少し迷ったが、断る理由も思いつかなかったので、仕方なく了承した。


(私、どうしてライバルと一緒に帰っているのかしら…?)


ハヤトと並んで歩いているこの状況が、不思議でならなかった。

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