第2話 本物には勝てない
レースは、ここにいる生徒が一斉に飛ぶため、かなり大規模なもので見応えがある。
地元住民の見学スペースもあり、学校の敷地の外にも、多くの見物客がいる。町をぐるっと一回りし、ここへ戻ってくるコースだ。
──スタートダッシュが大事よ。
オリビアは、飛び始めの速さに定評があった。それさえクリアすれば、後はどうとでもなる。よし、と気合いを入れた。
先生がレース開始の合図を出す。芝生を蹴り、空へ舞い上がろうとしたその時だった。彼女よりも、誰よりも速く、空へと駆け上がる者がいた。
「え……」
──速い。
驚き、目を大きく開く。一瞬遅れたが、我に返り、急いで後を追った。
何者かは、ぐんぐんとスピードを上げている。その後ろにつこうとしたが、少しでも気を抜くとすぐに差をつけられてしまう。
(うそ……速すぎる…)
ホウキに乗っていても分かる。背が高い。そしてこの学校では滅多にいない、坊主頭。オリビアの先を行くのは、どうやら男子生徒のようだ。しかしどのクラスにも、オリビアは彼を見たことが無かった。
専門学科生?トップクラスの人?───オリビアは頭を巡らせた。
(誰なの……?)
オリビアは初っ端から本気でスピードを出すしかなかった。もう、後先を考えている余裕は無い。
他の生徒たちも飛びながら、男のホウキの飛行スピードに驚いていた。
「なんだよあれ……!」
「オリビア、負けるな!」
「頑張れ!」
驚きの声に混じって、オリビアへの声援が遥か後方から聞こえる。あれは、先程も自分に声をかけてくれたクラスメイトたちだろう。
(ああ、もう……!)
オリビアの顔が歪む。悔しさと焦りが入り混じったような表情だ。必死に追うが、差は少しずつ開いていく。ホウキを握る両手が汗ばむ。
──あの、嫌な予感はこれのことだったのか。
後ろにはすでに誰もいなかったが、それにも気付かず、彼女は前にいる男だけを睨みつけていた。すると、ある事に気付く。
「はぁっ、はぁっ………え、うそ、片手でホウキ掴んでる……?」
自分は両手でしっかり握らないと、バランスが不安定になる。だが、男は右手で柄の部分を軽く握り、もう片方の手はだらんと下げていた。それだけ見ても、男の余裕が伺える。オリビアは初めて感じる敗北感に唇を強く噛んだ。
(………いえ、まだよ。あの角を曲がる時に、スピードが落ちるはず。そこを狙うしかないわ……!)
まだ諦めない。もうすぐ最後のカーブだ。校舎建物の5階辺りの高さで曲がり、直線コースに入った瞬間、一気に加速して追いつこうと考えた。
カーブを曲がると案の定、男が目の前にいた。オリビアは隣に並ぶことに成功した。
(やった……!)
もう限界だったが、意地になって、さらにスピードを上げた。
「はあっ、はあっ、はあっ」
ここまで必死に飛んだことはない。体力を魔力へ変換させると、当然疲れる。息が苦しくなってきた。心臓の音がうるさい。
横目でチラリと男を見る。
「え……」
オリビアは驚いて、空いた口が塞がらない。
男は息ひとつ切らさず、相変わらずホウキを片手だけで握り、涼しい顔をしてこちらを覗き込むように見ていた。不思議そうに自分を見ている。
「ああ、女の子なんだ。凄いね」
それだけ言うと、男は前に向き直り、あっさりとオリビアを置いて行った。あっという間に最後の直線コースを飛び、ゴールテープを切ると、下で見ている近隣住民たちがワーッと拍手で男を迎えた。
オリビアは一瞬の出来事に呆然とし、空中に浮かんだままその場にとどまった。
ハッと気が付いた時には、遅かった。後続の生徒たちが次々と自分を抜かし、ゴールしていった。オリビアは意気消沈したが、それでもなんとか10位でゴールして、ゆっくりと地上に降りていった。10位でも相当な好成績なので観客たちは大いに湧き上がったが、オリビアは顔を上げることも出来ない。
***
500人もの生徒が全員ゴールするまでには、時間がかかる。
ゴールした後は表彰式まで、各自自由に過ごす。オリビアはいつもなら、この時間にマリア先生に1位になったことを褒めて貰いに行っていた。しかし、今日はゴール付近の地上で呆然と立ち尽くしていた。ショックで、動けない。
自分より遥かに早くゴールした男は、水飲み場の近くで色んな先生に囲まれ、賞賛されていた。よく見ると、その中にマリア先生もいる。オリビアはそのことにもショックを受けた。彼を称えている先生たちは皆、笑顔だ。
やがて、遅れてゴールした普通科のクラスメイトたちがオリビアの周りに集まった。
「ふぅ。疲れたな。で、どうだった!?オリビア、なんか速いヤツいたよな。でも、勝てたよな!?お前ら、速すぎ。もう見えなかったよ」
「いくら速くてもオリビアの敵じゃないわよね!」
オリビアが負けたとは夢にも思わないらしい。明るく笑いながら聞いてくる。
しかし、オリビアは何も答えない。彼らは彼女の暗い表情で全てを察した。
「オリビア……?」
「…………」
「えっ……まさか、本当に……?嘘よね……?」
「そんなに速いヤツなのか?すげーな、あいつ…」
クラスメイトらは動揺した。オリビアは仲間たちを気遣い、パッと顔を上げて笑顔を作ってみせた。
「ええ、負けちゃったの。どこの科かしら?凄く速い人だったわ。残念だけど、仕方ないわね」
明るく答えたオリビアに彼らは安心し、励ました。
「はは、びっくりしたよ。そういうこともあるんだな。大丈夫だよ。俺たちなんて、400番台だぜ!?こいつらとのろのろ喋りながらゴールしたんだよ?な!」
「あはは、そうよ、これはこれで楽しいものよ!元気出してね」
優しい言葉に、オリビアは微笑み返す。
「ふふ、ありがとう。大丈夫よ。次、頑張るからいいわ」
「おう。じゃ、水でも飲んでくるか。オリビアも行く?」
「私はまだここに居るわね」
「そっか。じゃ、また後でな!」
「あ、俺も行く!」
クラスメイトたちを見送った後、オリビアは俯いて自分の足下を見つめていた。目の奥から涙がこみあげてきた。誰も見ていないし、このまま泣いてしまおうか。そう思ったが、男がいる方が何やら騒がしくなったため、顔を上げた。
見ると、水を飲みに行ったはずのクラスメイトたちが、男の周りに群がっていた。すげーな、という声がここまで聞こえてくる。男が何か聞くと、クラスメイトたちは笑顔でオリビアの元へ連れて来た。
男がオリビアの前に立った。改めて見ると、細身だが背が高い。180cm以上あるだろう。オリビアは見上げていた目をすぐに逸らした。ふてくされている。
「オリビア!こいつ、今日からの転校生だって!しかも、トップクラス生!!どうりで見た事無いと思ったよな」
クラスメイトが男を紹介した。彼が持っていたホウキは、よく見ると柄に緑色のラインが入っていた。特別進学科のクラスカラーである。
「……ああ、なるほどね。転校初日でいきなり大会1位、良かったですね」
オリビアは男を見ることなく、素っ気なく返した。
男がオリビアに笑顔で話しかける。
「うん、ありがとう。君、オリビアっていうの?僕は、ハヤト・ヤーノルド。よろしく」
「……オリビア・ポットよ」
「オリビア、君、凄く速かったね。びっくりしたよ。ちゃんと最後まで飛べば2位だったのに」
ハヤトが右手を差し出した。オリビアはカチンとくる。ハヤトの手をチラリと見て、無視する。初めて見るオリビアの不機嫌な態度に、クラスメイトたちは戸惑った。
「えっと、オリビア、握手しようぜ。ハヤト、さっき速かった子と話がしたいって言うから、お前のことだと思って、ここに連れて来たんだ。な?」
「…………」
オリビアは黙って、横を向く。
「オリビアったら……あの、ハヤトくん、ごめんね。オリビアは、あなたに負けて悔しいのよ。オリビアって、凄いの。天才なのよ。テストでもいつも1位。ホウキレースでも、授業の時から毎回ダントツで。だから…ちょっとその、あたしたちもびっくりしてて…」
女子生徒は、オリビアをフォローするように言った。
ハヤトは驚いた顔をした。
「ああ、学年一なんだね。あれで」
オリビアにハヤトの言葉が突き刺さった。クラスメイトたちも、苦笑いでオリビアを見る。オリビアの顔はみるみる赤くなる。
「なっ…………何よ、あれで、って。大体、さっきのは何?どうして、私と並走なんかしたの?大会なのに、わざわざスピードを落として!」
オリビアはクラスメイトの前だが、怒りを抑えられない様子だ。
「え?いや、僕のスピードを見ても、誰かが諦めないでついて来ようとしてるから…頑張るなと思って。どんな人か見てみたかったんだよ」
「…!ずいぶんと上から目線ね…!」
ワナワナと震えるオリビアに、クラスメイトたちは慌てて取り繕う。
「まあまあ、落ち着けよオリビア。ハヤト、悪気は無いって。本心で褒めてると思うぞ?」
「………っ」
オリビアは仲間になだめられ、我に返った。必死に冷静になろうとした。
(落ち着くのよ!クールに…!)
握りしめていた拳をゆるめてハヤトを見上げると、目が合った。ハヤトは、クラスメイトたちがオリビアを見てる隙に、オリビアに向かってニヤリと笑いかけた。完全に挑発している。
「っ!!」
オリビアは悔しさで怒りが爆発した。カッとなってハヤトを怒鳴りつける。
「なに、その顔は……!?馬鹿にしてるの!?」
「え?何のこと?」
ハヤトはわざとらしく首をかしげた。
「とぼけないで……っ!」
「オリビア……?」
クラスメイトたちは、オリビアがさらに怒り始めたので、何が何だか分からないでいる。
「もういい。表彰式が始まるわ。さっさとあなたも並びなさいよ!1位の賞状貰うんでしょ!」
オリビアはクラスメイトたちの心配をよそに、先に戻ってしまった。
残されたハヤトとクラスメイトは、あ然としていた。
「どうしたんだよ、オリビアのやつ。今まであんな態度したことなかったのに」
「オリビアがあんなに怒ったの、初めて見たわよ」
「あいつ、プライド高かったんだ。よっぽど負けたのがショックだったんだろうな。ま、ハヤト、気にするなよ」
男子生徒がハヤトの肩をポンと叩いた。
「うん、してないよ。こういうの、慣れてるんだ」
ハヤトは本当に気にも留めていないのか、爽やかな笑顔で答えて、付け加えた。
「…逆恨みしそうだね、彼女も」
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