友達
あるふぁ
苦しみ
「昨日、ーーさんが転校しました」
担任がさらっと発した一言で、教室の空気が一変する。
納得する者、焦る者、嗤う者‥‥その反応は様々だが、1つ共通しているのは、誰一人として「驚き」を感じていないということだ。
それを見て、理解して、だから――
もう二度と助けなど求めないと、そう誓ったのだった。
× × × × ×
「兵庫から来ました、
新しい中学校のクラスメートを見ながら、明日香はそう挨拶をした。
「じゃあ、明日香はあの後ろの席に座ってくれ。二学期からの転校で不安だろうからな。詩歌、いろいろ教えてやれよ」
先生の視線の先にいたのは詩歌と呼ばれた長い髪をポニーテールにまとめた、いかにもクラスの中心にいそうな女生徒だった。
言われた席に着くやいなや、右側の席に座る彼女が話しかけてきた。
「明日香、だっけ?私、
「うん、よろしくね」
いきなり呼び捨てをする距離の詰め方に少々驚きつつもそう答え、今度は左の席に挨拶をしようと向きを変える。
そちらに座っていたのは、髪の毛を肩の高さに揃えて黒ぶちの眼鏡をかけた、詩歌と比べると地味で落ち着いた雰囲気の女生徒だった。
胸のプレートには川野と書いてある。
本を読む彼女から話しかけてくる気配はしなかったので、とりあえず挨拶をしようと考えた。
「えっと、川野さん?私、明日―」
「あー、いいよそっちは。梅と話しても全然面白くないって!それよりさ、好きな芸能人とかいる~?」
名乗りかけたところで、詩歌に遮られた。
何となくいい気はしなかったが、梅と呼ばれた彼女は本を読む手を止めず話す気はないと言わんばかりの態度だったので、この場で話すのは諦める。
「私、好きなアイドルがいて~‥‥」
授業が始まるまで、ずっと詩歌が楽しげに話すのを聞きながら、なぜか梅の存在が頭から離れなかった。
× × × × ×
数日後。
キーンコーンカーンコーン‥‥
昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴り響き、教室の空気が一気に弛緩したものになる。
外に遊びに行ったり、部活動の昼練をしたり、読書をしていたり‥‥それぞれ思い思いに過ごしている。
詩歌たちがいなかったので、学校のつくりを把握しようとあちこちをふらふらと歩いていると、廊下で梅を見かけた。
その細腕に10冊ほどの本を抱えていた彼女はかなりきつそうだったので、手伝おうかと声をかける。
「梅ちゃん?私、明日香っていうの。その本、少し持つの手伝うよ」
「‥‥いいよ。気にしないで」
とは言われたが、既に腕は震えていて今にも本を取り落としそうだった。
「気にしないで!私、結構力持ちなんだ」
半ば奪うようにしていくらか受けとると、梅は観念したかのように軽くため息をついて図書室に向かって歩き出した。
「でも、ここってこんなに借りられるんだね~。借りるときも大変じゃなかった?」
朝話せず、梅がどんな人なのか分からなかったので、とりあえず目の前の話題をふる。
「ここで借りられるのは一人二冊だよ」
「え?でも、じゃあこのたくさんの本は?」
「‥‥詩歌さんたちの借りてた本、代理で返してるの」
思いがけない返答があって、一瞬思考が止まる。
「えっと、こういうのって、借りた人が返すんじゃないの?嫌じゃないの?」
「‥‥いいんだよ。私暇だし」
「でも、借りたのは詩歌ちゃんたちなんでしょ?私、言ってこようか?」
なんとなく梅の立場が察せられたので、梅が嫌がっているなら代わりに詩歌たちに注意しようかと考える。
幸い、明日香は人見知りするタイプでは無かったのでそう提案してみたのだが―
「だめっ!」
今まで聞いたなかで一番はっきりした声で拒絶された。
「‥‥手伝ってくれてありがとう」
驚いている間に、梅は明日香の持つ本をさっさと取っていってしまった。
一瞬梅を追いかけようかと思ったが、何と声をかければいいのか思い付かず、明日香は教室に戻ることにした。
教室にたどり着くと、詩歌たちのグループが集まって楽しげに喋っていた。
詩歌の席に集まっていて、隣の明日香の席に座りづらかったのでどうしようかと考えていると、詩歌がこちらに気づいた。
「あ、明日香!」
無視するわけにもいかないので、グループに近づく。
「何してたの~」
「えっと、う‥‥」
反射的に答えそうになったが、詩歌たちの本を押し付けられた梅を手伝っていたとは言いづらく、言い淀んでしまった。
とたん、最後の拒絶が思い浮かび、連鎖的に明日香から詩歌たちに言おうかという提案が思い出された。
明日香の胸に迷いが生まれる。
詩歌たちに、本の返却を梅にさせるのは悪いことだと思うと正直に伝えるか、梅の拒絶にしたがってごまかすか。
「どうしたの?」
詩歌にそう聞かれ、明日香の発言を待たれていたことに気づく。
かなり、迷ったが――明日香は、正直に伝えることにした。
だって、明日香が嫌じゃないのかと聞いたとき、梅は否定しなかったのだから。
「さっき、梅ちゃんを手伝ってたんだけどー」
言いかけたところで、後ろから制服が引っ張られ、振りかえるとすぐ後ろに梅が立っていた。
「詩歌さんたちの本、借りてきた」
と、先ほどと同じようにたくさん抱えていた本を机に置いた梅は明日香を見て、
「‥‥先生が呼んでたよ」
と言った。
「職員室?」
「‥‥ついてきて」
言われた通り梅についていくと、職員室ではなく教室から離れた階段の踊り場につれていかれた。
「ねぇ。さっき、ダメっていたのになんで言おうとしたの」
そう切り出されて、梅は明日香が言いかけたことが分かっているのだと気づいた。
「ごめん。でも、梅ちゃんだって嫌だったでしょ?だったらちゃんと言った方がいいよ。それに‥‥」
「なに?」
言い淀んだことを追求されたので観念して言う。
「‥‥梅ちゃんがされていることってあれだけじゃないんじゃない?その、梅ちゃんは、いじめられてるんじゃないの?」
「だから?」
恐る恐るそう聞くと、梅は表情を変えないままさらりと認めた。
「やっぱり、そうなの?先生とかに言った方がいいよ!」
「‥‥なんでよ」
「何でじゃないでしょ!嫌なら嫌って言わないと、終わらないよ。詩歌ちゃんたちも、言えば聞いてくれるかも」
説得するようにそう言い募るが、梅は一層表情を消して――否。
梅の表情に、堪えきれない怒りが滲んでいた。
しかし、それがどこに向けられたものか、分からない。
「私も一緒に言うから、ちゃんと嫌って言おうよ!」
梅の怒りに引っ張られたか、明日香も少々感情的になりながら言う。
これにも、梅は淡々とした返しをするのか――
「―――」
梅は沈黙したまま動かない。
「ねえ、言おうよ!絶対そうした方がー」
「――ふざけないでっ!!」
先程の拒絶の倍ほどもある声が、踊り場に響き渡った。
しーん‥‥とした音が踊り場に広がる。
静寂のなか、息を荒くした梅はこちらを睨み付けていた。
「ふざけないでっ‥‥!」
先程と同じことを言われ、明日香は困惑する。
無表情から一変、梅は怒りを全面に押し出した表情をしていた。
「なんで‥‥嫌だと訴えることを拒絶するの?」
それを聞いた梅は、ゆっくりと怒りをなにか別のものに変えて俯く。
「‥‥‥‥」
再び静寂が戻ってきたが、明日香は梅を見つめたまま動かない。
何分、何十分にも感じる数秒の後、梅がゆっくりと口を開く。
「昔‥‥小学生のとき‥‥‥‥私、いじめられてたの。引っ込み思案で、抵抗できなかった。けどその時、たった1人だけ、私の味方になってくれた人がいて。でも‥‥」
ポツリポツリと話される梅の話を、明日香は静かに聞く。
「確かに、私は救われた。でも‥‥代わりに、その子がいじめのターゲットになって‥‥。その子はクラス中に無視されて、だけど当然、私に話しかけてきた。彼女のお陰で私は長かったいじめから解放された。けど、私のいじめを肩代わりした彼女を、私は無視した。皆と同じように。また、いじめられてしまうのが怖かったから」
声を震わせて、辛そうで、それでも梅は自らの罪を告白し続けた。
「それが続いて、一年半くらいたって‥‥その子は、耐えきれなくなって転校した。結局、最後まで私は彼女になにもできなかった。なにもしなかった‥‥」
口の端にわずかに自嘲を浮かべた梅を見て、明日香はようやく、先程の怒りの矛先は梅自身だったのだと気づく。
それにに変わって現れた感情が『後悔』だということも。
「‥‥梅ちゃんは、後悔しているのね。だから、助けを求めない」
「‥‥もう、その子の顔も思い出せない。嫌なことは他人に押し付けて、忘れて‥‥私に、救われる権利なんてない。もう、誰かを巻き込むなんてできない。きっと、同じことが起きても、私はその子を救えない。だったら、私だけいじめられる方がいい」
「‥‥そんなの間違ってる」
「っ‥‥!なんで!」
一瞬込み上げた怒りが、梅に声を荒げさせる。
しかし、その怒りは行き場を失い、すぐに消滅した。
代わりに無気力な声で問われる。
「なんで、あなたはそんなに私にこだわるの?引っ越してきたばかりで、何も関わりないでしょう」
確かに、梅の言う通りだ。つい先日出会ったばかりで、明日香は梅の親友でもなんでもない。
でもー
「‥‥私の大好きな従姉がね、いつも言ってるの」
そっと、胸に手を当てて続ける。
「困ってる人を迷わず助けられる人が、一番素敵な人だって。ずっと、私の根幹はこの考えなの。だから私は、困っているあなたを見捨てない。私は絶対に、あなたを助けてみせる」
それは、いつも心の真ん中にある、明日香の一番大切な言葉だ。
この言葉がどうか梅の心に響きますように。そう願いながら梅の反応を待っていると―
「‥‥‥‥ぇ?」
その返答は、期待したものでも恐れたものでもなかった。
梅は驚いた顔をして固まっていて、怒りも泣きも笑いもしなかった。
「‥‥どうしたの?」
何か変なことを言ってしまっていただろうかと少々不安になりながら聞いてみると、梅がようやく言葉を返してくれた。
「‥‥その、従姉は、何て言うの?」
何て言うの、とは名前のことだろうか。
またもや期待とは違っていたが、とりあえず答える。
「花道 夏、だよ」
端的にそう言うと、梅の驚きはより深くなった。
いよいよ梅の感じている驚きが分からなくなり、明日香は困惑した。
となり町に住んでいて学校も違う夏と何か関わりがあるわけでもあるまいし…
「…!」
そこまで考えたところで、明日香はとある可能性に思い至った。
確かにこれなら梅の驚きに納得もいく。
「間違ってたら、ごめんね。…さっき、あなたが言っていた、自分を助けてくれた子っていうのは…夏ちゃんのことなの?」
梅は、ゆっくりとうなずいて、掠れた声で言った。
「…花道、夏。そうだ、夏ちゃん。私が酷いことをしてしまった、夏ちゃんだ」
やっぱり、と思った。彼女が、いじめを苦にしてとなり町に引っ越したことは、聞いていたから。
梅は肩を震わせて、目に雫をためて、言う。
「毎日、夢に見る。先生が、夏ちゃんが転校しました…って告げる所を。どうしようもないクラスメートを。そして誰よりも一番クズな私を」
と、そこで授業5分前を知らせる放送がなった。いつのまにか、そんなに時間がたっていたのか。
「…戻ろっか。もう、私のことは気にしないで。私なんかに、救われる価値はないから」
微笑を浮かべ、しかしその瞳に深い悲しみと諦念を宿して梅が言う。
「…そんなことない!」
梅の言葉に堪えきれず、叫んでしまった。
だって、だって、彼女は自分がいじめられる原因になった子のことをーー
「今日の放課後、時間ある?」
梅をまっすぐ見据え、問う。
「あ、あるけど‥‥」
私の叫び声に驚きを残しつつ、梅はうなずいた。
「今日、一緒に帰ろう」
「ど、どうして?」
「決まってるでしょ」
不安そうな梅にニヤリと笑いかけ、言う。
「夏ちゃんのところに行くため、だよ」
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