第20話 葛藤

 バーベキュー台の設置や火おこしが終わると宏美がやってきた。後は食材を切ったり盛り付けをしなくてはならないが、いかんせん順平は料理に疎い。


「玉ねぎは、あ、違います、横にして、そう、輪切りです」


 危なっかしい手元だが宏美が横であれこれ指示してくれるのでなんとか形になる、白井はすごいスピードでニンジンやジャガイモを切り分けている。なんでもできる男だな、と感心した。


 それにしても――。


 あの姉妹はまるで手伝う気がない、百歩譲って理沙は子供の面倒をみているのだろうが麻里奈は何をしているのだ。たしかに美しいが、みなでバーベキューをやろうと言うのに顔も出さないのは、さすがに傲慢だなと感じずにはいられない。


「瑞稀ちゃん上手ね、お家でやってるの?」


 身長が足りない瑞稀がビールケースの上に立って、まな板でサラダ用のトマトを切り分けている。確かに自分より安定感がある。


「うん、たまにママに教えてもらう、果穂みたいに何もできない女になりたくないから」


 三人の中で間違いなく瑞稀が一番かしこい、勉強的なところではなく空気を読む力を七歳にして持っている。今のような発言も決して本人の前では言わないだろう。


「素敵な女性になりそうね」


「別に、」


 子供たちは勝手に大きくなったのだと思っていた、いや、思いたかった。そんなはずはない。トマトの切り方も順平が知らないだけで理沙に習ったのだろう、ちゃんと形になっている。


 仕事が忙しいと言い訳して子供たちと距離を取ってきたのは自分だ。それを棚に上げて懐かない娘たち、と一蹴していた。そうしなければ家庭を顧みないダメだ夫だと認めてしまうようで怖かった。


 果穂が発達障害だと診断された時だってろくに理沙の話を聞かなかった、聞きたくなかった。これ以上の負荷に自分は耐えられない。そう決めつけて、いつからか自分は毎月、月末に金を運んでいくだけの機械になっていた。


 もっと自分から歩み寄っていれば違う人生だったのだろうか、一度は愛した女性を殺そうとして、その女性もまた自分を殺そうとしている。本当にそれで良いのだろうか。良いわけがない、もう一人の自分が必死で止めるが引き返せない現実が追いかけてきて、すぐに追い越した。


「ちょっと順くん、どうしたの」


 気がつくと涙が溢れて、つけ慣れないエプロンを濡らしていた。


「すみません、玉ねぎがしみて」


「そっか、変わるよ」


「すみません」


 情けない、自分の人生も自分で決めることができない、涙を拭うと視界に白石が入る、何か言っているような気がしてそちらを向いた。


 大丈夫――。


 声は聞こえなかったが、口の動きがそう見えた。そしてその表情は慈愛に満ちていて、これから殺人を犯す男の顔にはとても見えなかった。


 すべての準備が整う頃に姉妹はやってきた、あくびを噛み殺す麻里奈を見て、できればコイツから殺したいと思った。


「七輪なんて珍しいわね」


 理沙が地面に直接おかれた七輪をじっと見つめている、心臓が跳ね上がり、心拍数が急上昇した。


「子供用ですよ、春華ちゃんと瑞稀ちゃんは届かないでしょう、せっかくだから自分で焼いて食べた方が良い、火傷には気をつけてね」


 白井があらかじめセリフを用意していたのか、スラスラと答えた。理沙は満足そうに頷いている。


「パパ、お肉食べたい」


 突然話しかけられてハッとした、すぐ隣にはいつの間に果穂がいてバーベキューの炭台を指差した。パパ、と言うのが自分の事だと認識するのに数秒かかる。


「あ、ああ、今焼いてやるからな、ちょっと待って」


「うん」


 何年ぶりに呼ばれただろうか、記憶を遡るが思い出せない。それを見て春華と瑞稀も理沙に肉をおねだりしている。


 白井が用意した高級そうな肉を炭台にのせて焼いていく、すぐそばでは同じように、小さな七輪に理沙が肉や野菜を並べる。


「焼けてきたらトングでひっくり返すのよ」


 理沙がしゃがんで娘たちに教える。


「もう、ひっくり返す?」


 春華が質問すると「もう少しかな」といって頭を撫でる。その表情はとても柔らかく、順平が思い描く母親像のそれだった。


「パパ、焦げそう」


 果穂に指摘され、急いで肉をひっくり返す、幸いちょうど良い焼き加減だった。


 子供たちは一通り食べてお腹いっぱいになると、とたんに興味を失い庭園を散策しだした。珍しく瑞稀も二人の姉について行く。


「あんまり遠くにいっちゃダメよー」


 理沙が娘たちの背中に声をかけると「はーい」と言って三人とも手を挙げた。


「ふー、やっと落ち着けるわね」


 理沙は腰をトントンと叩きながら、アウトドア用のチェアに腰を掛けた。


「お疲れ様です、三人いると大変ですねえ、どーぞ」


 宏美がクーラーボックスからビールを取り出して理沙に手渡した。


「ありがとう、あなたは気がきくわねえ、モテるでしょ? オッパイ大きいし」


「ぜ、全然です、モテないです……」


 順平は冷や汗が背中を伝うのを感じながら聞き耳を立てる。まさかこんな所で暴露をするような事はないと思うが。


「麻里奈とは違うエロさがあるわよね」


 理沙が皆に同意を求めるが、なんて返して良いか分からず黙っていた。麻里奈はつまらなそうに肉をつついている。


「彼女は営業としても非常に優秀でね、なくてはならない存在ですよ」


 白井が無理やり話をかえた。が。


「どんな男がタイプなの?」


 麻里奈が話を戻す。そこで順平はハッと重要なことに気がついた。いや、なぜ今まで気が付かなかったのか。


 この二人は宏美のことを知っている。

 白井が盗聴した姉妹のやりとり。

 「この写真みて」

 「誰コイツ」


 おそらく麻里奈が雇ったという探偵が撮影したであろう、順平と宏美の写真。それを見たのであれば今、目の前にいる若い女が順平の不倫相手だとバレている事になる。


 缶ビールを飲む理沙の横顔を凝視する、自分の旦那の不倫相手に朗らかに話しかけている様子は、異常を通り越して狂気に思えた。


 何を考えている――。


 再び疑心暗鬼にかられるが、深く考えることを順平は諦めた。


「この七輪いいわね、サイズ感も、家でも使えそうね」


 考え事をしている間に宏美の話は終わっていた、しかし今度は殺害道具に理沙が興味を示した。


「家の中で七輪は危ないです、よく換気しないと一酸化炭素中毒になりますから」


 宏美の話に一瞬で場が凍りついたように感じたのは自分の勘違いだろうか。順平は首を動かさないよう目線だけで皆の顔を伺った。だれも喋らない、この流れで無視は変じゃないか。順平が口を開く。


「そもそも、こんなに煙がでたら部屋が大変だよなあ、中毒の前に煙にやられちゃうよ」


 ハッハ、と空笑いするが誰も賛同してくれなかった、頼りの白井すら能面のように表情を崩さない。


「違うんです、何も焼いてないでほったらかしにすると不完全燃焼をおこして、空気中に一酸化炭素がたまります、匂いもないので気がつきません、そのままお陀仏です」


 宏美の口を塞ぎたかったが、彼女は両手を合わせて南無阿弥陀仏を唱えている。


「まあ、苦しまないで死ねるだけ良いわね」


 やけに細長いタバコから紫煙をくゆらせて麻里奈がつぶやいた、その姿はまるで死神のように禍々しい。


「まあ、外で使う分には問題ありませんから」


 白井が言うと、やっと場の緊張感が解けた。まさか麻里奈と理沙がコチラの作戦を知っているとは思えない、この案はこっちに来てから白井が発案したのだから。


「お姉ちゃんサウナ入るでしょ?」


 唐突に麻里奈が理沙に問いかけた。落ち着いた心拍数がまたトクトクと上昇していく。


「なんか、面倒になってきたなー、飲んじゃったし」


「せっかく水風呂も用意したんだから入ろうよー」


 白井の情報通り、麻里奈は無類のサウナ好きのようだ、今回の計画はそもそもターゲットがサウナに入らなければ始まらない。


「ダイエットにも良いのよ、少し太り過ぎよお姉ちゃんは、そうだ、果穂も一緒に入るといいわ」


 自分の心音が聞こえてしまうんじゃないかと思うほどの激しい動悸が順平を襲う。

 

 俺は妻と娘を殺すのか――。


 まるで心の整理がつかないままにバーベキューは幕を閉じた。目の前にはブスブスとオレンジの光を発する七輪が、今か今かと出番を待っている化け物のように見えて寒気がした。

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