決戦②
刹那、グレンはあろうことか自らの剣を手放すと、運悪く、いや、あるいは緻密な計算の結果なのかもしれない。宙に浮いた剣が俺の視界を遮った。
その直後、グレンはこちらに向けて掌をかざし、膨大なエネルギーによって身体が後方へ吹き飛ばされるのを感じる。
「ぐ、はッ」
背中から叩きつけられ、内臓がひどく痛んだ。しかし、身体の節々が折れたように痛むだけで、あの間合いで命を失わなかったのは奇跡としか言う他ない。
魔法での戦闘で中距離での使用が殆どなのは、集中力を割くために一瞬無防備になること、そして発動にラグが生じるからだ。近接戦闘においてそのラグは致命傷になりかねない。それゆえに、俺は心のどこかで油断していた。
勇者となれば能力が制限されていてもこれほどの魔法を近距離でも一瞬で解き放てるのだ。
とはいえ、あの間合いであれほどの魔法をぶっ放せば、流石のグレンも無傷ではいられないだろう。俺は砂埃が舞う間に気力で立ち上がり、俺は地面に突き刺した剣に体重を預ける。
やがて視界がクリアになると、グレンは片膝を突きつつもこちらを鋭く睨んでいた。
「さすがは勇者というべきかな。俺ももうボロボロだ。どうだ、ここで撤退してはもらえないだろうか?」
「ふん、こちらには3万の兵が控えているんだ。お前一人のために撤退するなどありえない」
「その3万の兵はなぜ俺に飛び掛かってこない?」
「お前など俺一人で十分だと分かっているからだ。俺のことを皆信頼しているのだ」
薄っぺらい『信頼』だと、俺は心の中で断じた。状況も直視しようとせず、ひたすら己の優位を疑わない。
「ならばあれほど望んでいたパーティーでの戦闘を俺相手にしてくれば良いだろう? 恰好の機会じゃないか」
「それは……」
一人で戦っているならパーティーを組む必要などなかったと、シオンから苦言を呈されていたのに、だ。
おそらく勇者パーティーの面々が健全な状態でそこにいたとしても、グレンは彼らを頼らなかっただろう。
事実、グレンは俺との一騎打ちに傾倒して、周囲が全く見えていなかった。
「気づいているか? お前のパーティーにはもう、一人欠けていることを」
「はっ? 何を言って……」
怪訝に眉根を寄せ、グレンは背後を振り向く。
「シオン? シオンはどこだ!?」
剣士・エリスは満足に動けない身体でフルフルと首を横に振る。
再びこちらに目を向けた瞬間、俺の背後にマーガレット先生に肩を掴まれたシオンの姿がグレンの目に映った。
「お前、シオンに何をするつもりだ!」
「何をすると思う?」
俺の不敵な笑みが蠱惑的に映ったのか、グレンは肩を震わせる。俺が手荒な真似をすると思ったのだろう。
「ッ……シオンを離せ!」
その瞬間、グレンは再び臨戦態勢に入ったようだった。だが俺は掌をかざして静止する。反射的に足はぴたりと止まった。
「それ以上動くな。一歩でも近づいたら、俺は容赦なくシオンを殺す」
怯えが孕んだ瞳に罪悪感を感じ、俺はなるべく撫でるような小さな声で話しかける。
「怖い思いをさせてすまない。たが安心してくれ。手荒な真似をするつもりは毛頭ない。これは交渉だ。君を殺すつもりは毛頭ない」
「……はい」
俺は小さく頷き、今度はグレンにも聞こえるような声量で尋ねる。
「君に聞きたいことがある」
「……なんでしょうか」
「君の母親から妹は国によって捕縛されている。違うか?」
「ど、どうしてそれを……!」
正気を失ったような瞳が途端に光を灯す。
「やはりか。そしてそれは勇者パーティーに入るのを拒否したから、だな?」
「……はい」
弱々しく頷く。俺はグレンに向かって鋭い視線を送った。
「らしいぞ。知っていたか?」
「……初耳だ。シオンの家族には国から援助があるとあの国王は言っていた」
「確かに身体の弱い母にはその援助がありました。でも妹は……」
「そんな……!」
わざわざ妹を拘束したのは、シオンになんとしても言うことを聞かせるためだ。
「シオンの解放には条件がある。この場での即時停戦および撤退をしたうえで、今後メーテルブルグに一切の兵を置かないこと、そして今後100年の魔族国家との不戦協定を国王に飲ませることだ。無論、シオンの妹も解放してもらう」
「ひゃ、100年だと?」
人間にとっては悠久の時間かもしれないが、吸血鬼にとってはそうでもない。これくらいは通してもらわなければ困る。
「無理だとは言わせない。お前なら通せるはずだ」
「……わ、わかった。その通りにしよう。だからシオンは……」
「シオンを返すのは、今言った条件を全て国王に飲ませてからだ」
「くっ……。致し方ない。シオンを人質に取られては、強硬手段に出ることはできない」
グレンはシオンの塩対応をどうにかして改善しようとずっと腰を砕いていた。それがやがて好意を持ってもらいたいという感情になり、グレンは明確に恋心を持つようになった。
男とは単純で、惚れた女のためならば全てを捨てるくらい造作もないのだ。
グレンとて、本気で魔族を滅ぼしたいわけではない。国王から直々に頼まれ、周囲から羨望の眼差しを向けられ、良い気分になったからだ。そして世界を救うという使命を抱いた自分に酔った。
「全軍、撤退だ! 国へと戻る!」
俺が敵全体に向けていた強い感情を虚空に手放すと、全軍はようやく動けるようになった。身体の恐慌状態が長い間継続していたことで、将兵は疲れ切っている様子である。そのため殆ど市民が残っていない敵地の制圧を目の前にしても、反発することはなかった。
俺は反転して撤退していく東方連邦軍を前にしてようやく肩から力が抜け、やがて全身を支える力すらも抜けていく。
俺はマーガレット先生に身体を支えられて立つのが精一杯で、その体たらくに思わず力無い笑みがこぼれる。だが当初の計画がほぼ思い通りに運び、かつてないほどの充足感が胸を覆っていた。
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